大伴家持のみかん賛歌
大伴家持(718年-785年、67歳)は、『万葉集』の編者とされていますが、
彼は、みかんについて歴史的な歌を残しています。
https://plaza.rakuten.co.jp/sagamimikan/diary/200810230001/
当方のブログというのは、そもそもの出発点は、みかん栽培の紹介でした。
どこかで、これを紹介していたことは記憶していたんですが、
それは2008年10月23日のブログでした。
その年の9月に、ブログをはじめたばかりの時に紹介していたんですね。
大伴家持というのは、今でいう内閣総理大臣級の有力者かとおもいます。
そうした人が、みかんについてですよ、
こうした歌を残しているということは、意外なように感じませんか。
しかも、歴史や事実に即して、記録を大切にしているんですよ。
この元となる題材は、『古事記』や『日本書紀』に題材があるわけでが、
それに家持自身による、みかんに対する認識や愛着をそえていますね。
家持の時代、その置かれた条件というのは、単純ではなかったと思います。
彼は727年に大宰府に左遷される旅人に同行しています。
そこで梅見の宴の歌も残しています。
また、746年には越中(富山県)の国守として下ってますし、
その最後は、陸奥の国・多賀城で亡くなっているんですよ。
貴族のなかの名門とはいえ、単純な人生ではなかったことが見て取れますが。
そうした人が、その中で、『万葉集』を編纂し、こうした歌も残している。
もちろん具体的なことは知る由もありませんが、とにかくすごいことだと思います。
少なくとも現代の政権担当者に比べると、はるかに物事に対し正直に歌っています。
あれこれ誤魔化すのではなく、事実を踏まえて率直な気持ちを歌っていると思います。
国家や、政治の上に立つものの、最低限に求められていた資質じゃないでしょうか。
そう私などは、これまで勝手にさう思っていたんですが。
とにかく、これは、みかんに対する名だたる貴族による賛歌として聞きました。
これは、歌った人の思いのほどは分からないのですが、
ともかく、みかんにかかわる人たちにとっては、
大事にしたい、歴史的な励ましの歌になっていると思います。
一年を通してのみかんの魅力を、彼なりの目と実感により紹介してくれています。