3年前、不破哲三著『スターリン秘史』を読みました
不破哲三さんが、スターリンの実像について、『スターリン秘史』にまとめました。
3年前に単行本にまとめて刊行されたので、当方も読んでいました。
https://plaza.rakuten.co.jp/sagamimikan/diary/201501050000/
スターリンについては、なかなか実像を明らかにした著作というのは無いんですね。
レーニン死後のソヴィエト連邦の指導者、
第二次大戦でヒットラーによるソ連侵攻を打ち破った英雄、
社会主義諸国の指導者。
こうした明の側面が、一定の時代に定着していました。
ところが、日本に関しても、第二次大戦の戦後に日本兵をシベリアに抑留する、
千島を占領したうえで、日露戦争の胸のつかえがとれる、などと演説する。
最近、荒畑寒村氏の自伝を読んだんですが、
荒畑氏は、1920年代のソヴィエトの知人が処刑されていることに疑問を抱いていた。
これは推測ですが、荒畑氏が共産党をつくりながら、再建共産党に入らなかったのは、
1、直接的には、福本主義に対する違和感がありましたが、
2、その根底には、ソヴエトで行われていた粛清などから不信から、それが共産党そのものに根ざすかのようにとらえだしていた点があります。
目の前に展開される非道の政治に対して、それにノーというのは分かるんですよ。
社会主義のそもそもの大義にたって、そのおかしさを正すというのならわかるんです。
ところが出発点はそうだったと思うんですが、そのうちにそうではなくなって、そのおかしさというのは、そもそも社会主義そのものに根ざしていると考えはじめるというのは、これはこれで逆に本来明らかにすべき大道を、逆に見失ってしまうことになる、そうした事態があると思うんです。
こうした問題は、何も荒畑氏に限ったことではありません。
今日においても、基本において混迷するケースというのは、様々な形であると思うんです。
「非共産党マルクス主義」という考え方のなかには、共通してそうした問題があると思うんです。
その点を見すえた検討・吟味が必要だと思うんです。
不破哲三さんが、この著作で明らかにしようとしていることですが。
問題は、歴史な出来事に根ざしていますが、それをソ連崩壊後に明らかになって出てきた資料により、あらためてレーニン死後のソヴィエトが、どの様な問題をもっていたか。
そうした問題を社会主義の本来の理念からして、また新たに資料からして、あらためて吟味しようとしている、名誉を回復させようとしている、そうした試みだと思うんです。
順次、刊行されていった『スターリン秘史』ですが、この本質、大事な問題が問われていると思うんです。
連載はその後も続きました。2年前には第5巻が刊行されました。
2016年1月5日の第5巻の感想レポートです。
https://plaza.rakuten.co.jp/sagamimikan/diary/201501050000/
あらためて、これらが問いかけいる問題ですが、
現状の非道は、社会主義のそもそもの本質に根ざしている問題なのか、
それとも、それからの逸脱によるものなのか。
荒畑氏においても問われていますが、
この点には、社会主義の思想の歴史的な役割、そもそもの理論的な名誉がかかっています。
大体、今の世に、だれも社会主義の名誉を救済するなどということは、どのメディアにおいても絶対にしっこないわけです。けなす方には、スポンサーはいくらでもつくわけです。
そうした中で、この連載がまとめられ刊行されました。
ことがらは、社会主義の歴史的な大道が問われています。社会主義を看板にしたの歴史的な逸脱に対して、しっかりした批判、考え方の基盤が求められているわけです。
そして、その解明が正しいかどうかを吟味するのは、一人ひとりの人の理性であり、探究努力に属することなんですね。そこには人として基本的な姿勢が問われているんですね。
この不破氏の『スターリン秘史』ですが、そうした歴史的な問題について、大事な社会主義のそもそもの在り方の問題に対して、今を生きる人々に対して、大事な問題を投げかけている著作として読みました。