ヘーゲルの言葉の一つ
みかんの収穫は、その時が限られてますから、読みたい本をかかえて畑を往復していました。
温州みかんの収穫・販売も山場の仕事は終わりましたが、
その後にも、周辺の雑木林の開拓など、農夫はあれこれの仕事におわれています。
そうした中にあって、ヘーゲルの印象的な言葉が残っています。
今回はその紹介ですが、それが何かに役立ってくれれば幸いなんですが。
ヘーゲル(1770-1831)とは、ドイツ古典哲学の代表的人物で、日本では江戸時代の人です。
以前に読んだはずの『哲学史序論』(岩波文庫)ですが、
何故かそれを今回読み返す機会があったんです。
私などは、日中は、あれこれの仕事においたてられますから、
短時間であっても、自由な瞑想のひと時が大事だと思っていたんですね。
その時ばかりは、自分自身のあれこれの必要な事項に思いをめぐらすことが出来ます。
しかし、ひとたび動き出すと、否応なく現世の必要に追い立てられることになりますから。
やはり朝のひと時が、自分自身の課題を念頭にする上で、大切な時と感じていたんです。
ヘーゲルの『哲学史序論』ですが。カール・ミシュレという人が編集したものだそうです。
ミシュレの序言によると、ヘーゲルの哲学史講義は、イェナでの1805年期から晩年の1831年のベルリン大学まで、10回は講義していたそうです。
私などが注目したのは、その中の序論の部分ですが。
その部分を抜粋してみます。
「第三に、我々は個々のものに入る前に、先ず一般的な見通しをつけておかなければならない。そうでないと、我々はただ個別的なものだけを見て全体を見ず、ただ木々を見て森を見ず、ただ個々の哲学だけを見て哲学そのものを見ないことになる。精神は自分の全体の目的と規定とについて一般的な観念を獲得しておくことが要求される。それは、我々が何を求むべきかを知るためである。即ち我々が個々の部分の中に入って行くとき、やがて見失ってしまう風景を全体的に概観しておこうとするように、精神もまた個々の哲学と普遍的なものとの関係をつけておこうとするのである。なぜといって、個々の部分は実際は、その全体への関係によって、独自の価値をもつことになるものだからである。」(P45)
この指摘(思想)なんです、私などが注目したのは。
まったく別々のことですが、やはりなぜか関連して浮かんでくる言葉があります。
それはエンゲルスの言葉ですが。彼は、晩年の時期ですが、マルクス主義の大切な側面として「行動の指針」として扱うことが大切だよと、手紙などで繰り返しアドバイスしています。
私などは、ここにはことがらの主題は違うんですが、中身として、両社の指摘にはつうじている点があると思います。
私などは、場当たり的に、その時々に必要なことを、ただただモグラたたきのようにして渡ってきたような気がするんですが。
やはり全体を見た中で、それとの関連で個々のものの位置・問題というものが、いっそうはっきりととらえることが出来るということなんですね。これは、ものごと一般にとっても、やはり大事な問題だと思います。
朝の瞑想の大切さということも、ここに重なってくるように思います。