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みかんの木を育てる-四季の変化

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2021年02月21日
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​哲学38 ヘーゲル『哲学史』ノート17​

どうして今ごろに、ヘーゲルの『哲学史』なのか、ハイネなのか?
現在の日本社会の目まぐるしい動きの中で、疑問を感じるのも当然なんですが。

最近の安倍内閣の辞任、森氏の辞任・・・。日本社会では、いったい何が問題で、どこを改めるのかを明らかにせず、ただ辞任することでことをすまそうとするような曖昧な事態があります。

ハイネを読んでいると、当時のプロイセン(ドイツ)国家の後進性とハイネなどがもとめた民主社会との軋轢が分かりますが、そのためにハイネはフランスに亡命せざるをえなかった。そうして、プロイセン国家の反動と対決しているんですね。
時代も条件も違いますが、私などはそこには日本の今の事態と重なるものがあると感じるんです。




そのハイネがとらえたドイツ古典哲学ですが。
「デカンショ節」にもあるように、日本でも大正時代にはカントを哲学の課題としていたようです。
しかしその有名で重要とされる『純粋理性批判』も、実際に当たってみると何を言っているやら、当時も今も、読み通すことだけでもなかなか至難のことじゃないでしょうか。

当時のドイツでもフランスでも同じように理解に苦しむ対象だったとおもいますが。そうした中にあって、ハイネのこの著作『ドイツ古典哲学の本質』でした。ハイネは1824年にヘーゲルの講義をじかに聞いています。そして自らくりかえしこの難題に挑戦したことがうかがわれます。それにより、他国の人たちに対して、一般者の人たち向けに対して、ドイツの哲学史にひそむその社会的意味について、その中身をわかりやすく紹介し理解をうながそうとしたのが、この著作でした。

文学者、詩人が、難攻不落のドイツ哲学の解説を書いたなんて、面白いことですね。
そのおかげで、多少は私などにも問題が、普遍的な意義をもつ問題として、見えてきます。

今回は、ハイネが書いている中身そのものの紹介です。
前回は、踏み込めていませんでしたから。

一、ハイネの『ドイツ古典哲学の本質』、第三巻ですが。
最初に一般論としてですが、二つだけ紹介します。
1つ、ドイツの哲学という思想世界での流れと、フランスの大革命とが、この二つが中身のうえでたいへん似ていると強調しています。これは1833年の著作ですが、こんなことを当時ズバリと指摘しえたというのはすばらしい洞察ですね。もしもフランスに亡命していなかったら、こんなことは絶対に書けなかった事柄じゃないでしょうか。焚書扱いですから、ハイネは当局ににらまれる存在になったんですね。

2つ、思想と現実との関係ですが。ハイネは「われわれが考え出した思想というのは、物質的な現象にしてもらうまでは、われわれにせがんでやめない」「行動する人たちは、知らぬまに思想家の助手になっている。ロベスピエールはルソーの助手にすぎなかった」と言っています。
これは、意識というものの能動的な役割を指摘したものともいえると思います。「合理的なことはやがて必然に現実になる」とのヘーゲルの思想と同じことを別な形で表現したものと思います。

二、そのハイネが『ドイツ古典哲学の本質』で語っていることですが。
中心的とおもわれる点をいくつか抜粋してみます。
今回は、カントについてです。(岩波文庫のページです)

1、P157 1781年にカントの『純粋理性批判』が出た。この本で、ドイツの思想上の革命が始まった。
 P165 ゆうれいはカントの『純粋理性批判』をつきつけられたらどんなにふるえることだろう。この本こそ、ドイツで超越神論の首を切った剣である。

2、P172 『純粋理性批判』はカントの主要な著書である。この主著のうちにひそむ社会的意味をこれから説明しよう。

 ア、P173 カント以前の哲学者は人間の認識の根源についていろいろ考えた。「経験以前にも人間には観念がそなわっている」、「人間の観念は経験によってはじめて得られる」、この二つの道をすすむ。
けれど、人間の認識能力そのもの、人間の認識の範囲、あるいは限界についてはあまり研究しなかった。この認識能力そのものを研究することがカントの仕事となった。

 イ、人間はこれまで知りぬいていると思っていた多くのものをじつは知ることが出来ないことをさとらなければならなかった。カントは証明した。われわれはあるがままの物自体を知ることは出来ない。ただそのものがわれわれの心に映るさまだけを知るのであると。

3、P175  私はカントの仕事を簡単な言葉で示した。
『純粋理性批判』のうちでも、いわゆる「現象」と「本体」とを論じている章がカント哲学の最重要の部分、中心点と見なされるべきである。
カントは物自体と物の現象とをはっきり区別した。人間は物自体のあらわれてくる姿、「現象」は知ることが出来る。けれども「物自体」を知ることは出来ない。物自体はうたがわしいもので、本当に存在するとも、存在しないとも、われわれにはいえない。
それは、存在するか、しないかの問題ではなく、人間の認識の限界をしめす概念である。

4、P176 カントによれば神はひとつの本体である。われわれがこれまで「神」とよんでいた経験を超越したあの概念は、人間の頭脳がこねあげてつくったものだ。確かにカントは示した、われわれ人間は神という本体については何も知ることは出来ないし、これから先も神の存在を証明することは出来ないと。

5、P183 カントの本が1781年にはじめてあらわれたときには、ほとんど評判にならなかった。それから数年ののちにようやく二、三のかしこい哲学者この本の解説を書いた時に、はじめて世間の注目をひくようになった。そして1789年にはドイツではカント哲学ほど問題になったものはなかった。ドイツの哲学書目録のどれひとつをとっても、そのころカントについて書かれた数かぎりない多くの文献の名前を知って、このただひとりのおとこからはじまった思想運動がどんなものであったか十分わかるだろう。

P185 カントはこの大きな思想運動を、その著作の内容よりは、むしろその著作を支配している批判的精神によって引き起こした。この批判的精神は今ではすべての科学にしみこんでいる。すべての科学がこの批判的精神のとりこになった。

ドイツはカントによって哲学革命の道をすすむことになった。哲学はドイツ国民ぜんたいのもんだいとなった。偉大な思想家のりっぱな一群が、魔法でうまれたかのように、むとつぜんドイツの土地からあらわれでた。

以上が、ハイネがカントについて紹介している点です。このほかにも、なぜ難しい文章で書いたのか、とかいろいろと書いていますが、中心的な論点は以上かと思います。

私などは感じるんですが、ヘーゲルは『哲学史』でカント哲学について、この点も含めて分析しています。ハイネにとってその洞察は、ヘーゲルの講演の中身がヒントになっていると思います。だけど、多くの人をなやませたこのごちゃごちゃとした内容について、これだけ簡潔に紹介できているというのは、ハイネの独特の理解力と中心点を分かりやすく明らかにしたセンスのなせるわざだと思います。エンゲルスが『フォイエルバッハ論』でハイネを紹介した意味が納得できます。

今回はこれまで。しかし、まだカントです。
これからフィヒテ、シェリング、ヘーゲルとドイツ古典哲学の巨星たちの流れがつづきます。
そこでとそれぞれにどの様な発展がおこなわれたのか、ハイネはそれをどの様に紹介しているか。
またヘーゲルは『哲学史』でこのあゆみをどの様にとらえたのか。
それらが、これからつづいていきます。






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Last updated  2021年02月21日 10時58分33秒
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