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みかんの木を育てる-四季の変化

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2021年03月14日
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​ヘーゲル著『大論理学』学習ノート2 第1版の序文​

ヘーゲル(1770.8.27-1831.11.13)の『大論理学』の学習を始めました。


名にしおうドイツ古典哲学の巨匠・ヘーゲルの著作です。
これまでも何回か、この著作に挑戦してきましたが、いずれもその途中で挫折してきました。
今回、齢70にして、あらためてこの難関に再挑戦してみようということです。




私の哲学学習の発信ですが、この間に、このブログで発信してきたのは、
1.マルクスの『ヘーゲル法哲学の批判によせて』、2.ヘーゲル『歴史哲学講義序論』、3.ヘーゲル『哲学史講義序論』、この3作品を発信してきました。

そして今回は、ヘーゲルの『大論理学』です。
その動機は、弁証法というものを、近代で最初にとらえたとするヘーゲルですが、その中身については、一般には図式的、教科書的な解説でことが済まされているように感じていたので、それでよいのかと感じてもいたので。この近代の原点ともいえる著作において、自分なりに探ってみようということになっているわけです。教科書的なあまたの解説はいくらでもあるんですよ。しかし、そのきまり文句でリアルな中身が具体的に生き生きととらえれているのか疑問です。それならその大本を調べておくことも、大事な基礎作業になっているのでは、ということなんです。
まったく無くはないんですが、この基礎作業をしたあとというのは、なかなか少ないんです。


ヘーゲルの『大論理学』については、岩波書店からヘーゲル全集が刊行されていて、その第6巻に武市健人訳がだされていますが、私などはこれで学習しています。
私が前回に、この著作に挑戦したのは、1973年10月の学生時代でした。それは今から半世紀も前のこととなりますが。そのときは途中でストップしています。
この間の50年ちかくの年月がすぎました。この著作はこれまでは難攻不略の絶壁でしたが、はたして今回はこの峰へ登ぼる力を与えてくれているでしょうか。
とにかく、はじめてみましょう。

一、さて、今回は、最初の1812年(ニュールンベルグ)の第1版の序文です。
文節に番号を付けるようにしていますが、第一版序文は、6ページで9節あります。

ヘーゲルはこの著作全体を書いてから、その後で、最後にこの序文を書いています。
読んで理解していく上でのポイントについて、全部で9節にわたって書いています。

そのポイントの一、二を紹介するとすれば。
第七節 根本は哲学的方法の新しい概念を提起している。
「それは内的直観のような独断的な断言によるのではなく、外的反省によるいろいろな根拠からの屁理屈(推理)をもちいることもできない。学的な認識において推進力となるものは内容の本性のほかにない。この内容自身の反省こそ、はじめて内容の規定を措定し、産出するものとなる。」P4

第八節「精神は単純な存在を否定し、悟性の規定的な区別を措定するが、さらにまたこの区別を解消するもので、弁証法的である。精神はこのような結果として、無の中において肯定的であり、最初の単純な存在を回復する。このような精神の運動、すなわち自分の単純性の中に規定性を生み出す。このような精神の運動こそ、認識の絶対的方法であると同時に、内容そのものの内在的魂である。こういう自分自身を構成する道程においてのみ、哲学が客観的、論証的な学でありうる。
意識とは、具体的な、しかも外面性の中に囚われている知識としての精神である。しかし、この対象の進展運動は、あらゆる自然的な、ならびに精神的生命の展開と同様に、まったく純粋本質性の本性にもとづくものである。この純粋本質性こそ論理学の内容をなすのである。」P5

こんな言い方で、論理学が問題とする純粋本質性というのは、自然的生命の展開の、また精神的生命の展開のもとになっている。その純粋本質性の自己運動こそ、それらの精神的生命であって、それが論理学を構成している、とヘーゲルは言ってます。
これは、論理学-自然-精神の、ヘーゲルの全体的体系の中での位置づけを語っているわけですが。

これに対しては、レーニンは、すかさず、

『ひっくりかえすこと。論理学と認識論は、自然および精神の全生活の発展、から導き出さねばならない』とコメントしています。(『哲学ノート』P62)

二、まだ、最初の序文の、始まりの部分のことですから、不案内なことは多々あると思います。
本論を読んではいないわけですから。
ここでは、ただ、ヘーゲルがこれから本論を読み進めていく上で、注意しておいてほしい、としてこんなことを強調しているくらいにして、過度に細部にこだわらずに、この先を読みすすんでゆくということでよいかと思います。

三、レーニンは『哲学ノート』(全集第38巻)ですが、これはやはり参考になると思います。
この中に『哲学史』や『歴史哲学』とともに、『大論理学』について摘要を残しています。それは、『大論理学』の全体にわたって、150ページくらいもの検討を残しているんです。他の二作に比べて、身の入れ方が違うんです。『大論理学』をたいへん重視していることがうかがえます。

そこでのレーニンの問題意識ですが、ヘーゲルの弁証法をとらえること、それをつくりかえること、この一点に集中しています。

当時、一人の政治家が、ロシアの一つの政党の党首が、第一次世界大戦がはじまっている渦中のさなかに、この大著について、読み込んで批評するなどということは、すごい努力だと思いませんか。緊張した忙しい政治活動をしている最中でのことですから。科学と政治を両立させようと、一生懸命な努力をしているんですね。
しかしこれは、あくまで個人的な学習のノートでして、後々にそれが公に刊行されるなんてことはまったくの想定外だったと思います。だからそこには率直で辛辣な批評や感想もふくまれています。

それは今日の私たちなどからしたら、このレーニンの『大論理学』摘要は貴重だと思います。一つの視点として参考になるし、しかも最後の第三巻・第三章の絶対理念まで、全体がこんせつに逐次検討されています。このヘーゲルの古典的大著については、あれこれの解説というのはいろいろあるんですが、この大著の原典そのものにあたって、これだけ吟味しているものというのは、私などが見るのに他にはなかなかないんです。

この第1版の序文については、レーニンは7つの点をピックアップしています。レーニンの問題意識が弁証法の問題に限定されている点はありますが、それでも全体を学習していく上で、その検討はたいへん刺激にも参考にもになるんですね。

私などは、視点を変えれば、ヘーゲルの叙述には、レーニンの指摘する他にもいろいろ大切な思想を述べていると思うんですが。それは各人が補うようにして、とにかく終わりの部分まで読みすすむうえで、大事な刺激になっています。

次回は、ヘーゲル晩年(1831年11月13日 コレラの大流行により死去)の、1831年11月7日付の第二版の序文です。






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Last updated  2021年03月14日 18時34分26秒
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