ヘーゲル『大論理学』19 第三巻「概念論」の前に
名にしおうヘーゲル『大論理学』ですが、
これから第三巻「主観的論理学または概念論」に入ります。
今回は、第二巻「本質論」の「現実性」に関連して、そこで気がついたことを紹介します。
ヘーゲル(1770-1831)は、コレラの世界的な大流行のなか、1831年11月14日コレラにかかってなくなりました。11月11日までは、健康で教壇に立っていたそうです。62歳、突然の死去だったわけです。
今、私たちが新型コロナのパンデミックを経験してますが、事態が少し分かるような気がします。
さて、誰にとっても難しいとされるヘーゲルの著作ですが、前回の「現実性」のところを読んだことで、少しその印象が変わりました。
難破した船で太平洋を漂流していて、大海の中に確かに小さな島をみつけた、そんな心境ですかね。
「現実性」ということを探っていたら、ヘーゲルの弁証法を、さんざん訳のわからない文章で翻弄されてきたのがウソのように、具体的に「革命」「カエサル」を例にした説明で、ことがらがすっきりと理解できるきっかけになったんですね。
この『大論理学』の難しい難解な文章とは違って、実際の講義では、ヘーゲルはこんな分かりやすいこなしをしていたなんて、じつに驚きでした。
それで、調べてみたんです。
今回の『論理学講義』は、1831年に(最晩年)にベルリン大学で講義した記録です。
これに対して『大論理学』第二巻の「現実性」は、1812年刊行の第一版なんですね。ヘーゲルにとってはギムナジウム(高等学校)の校長をしていたころにまとめた、いわば初期のものだったんです。
さらに『小論理学』の「現実性」は、1830年9月の第三版のもので、これを副読本にしてヘーゲルは1831年の『論理学講義』はおこなわれたようなんです。
つまり、おなじ「現実性」ということを語っていても、1812年の『大論理学』と1831年の『論理学講義』とでは、その解説の仕方に雲泥の差があるということです。私などが、今回、たいへん分かり易くて、まったく初めて聞いたような気がしたのには、そうした事情があったんですね。
よく「ヘーゲル弁証法の逆立ちを正す」ことが指摘されますが、
これはもちろん的を得た指摘ですが、弁証法をとらえた上でその逆立ちを正すということでして、その肝心な努力をおざなりにして、この言葉で理解したような気になっていては内実がとらえられないわけです。
よく、「マルクスは弁証法の解説を書こうとしたけど、果たさずに亡くなった」との話があります。
これは1858年1月16日付のマルクスがエンゲルスにあてた手紙によるものでしょうが、
しかしその後、マルクスは1873年の『資本論』第二版のあとがきで、核心を述べていますし、
エンゲルスも『自然の弁証法』(研究ノート)を踏まえての『反デューリング論』や『フォイエルバッハ論』で、その努力をつくしていますね。
だから弁証法について、ヘーゲル弁証法のつくりかえについて、その論点が何も無いわけじゃないんですね。
それと『反デューリング論』ですが、1885年9月23日付の序文で、エンゲルスは書いています。
「この書物で展開されている考え方は、大部分マルクスによって基礎づけられ発展させられたものであって、私のあずかるところはごくわずかな部分にすぎないのであるから、私が彼に黙ってこういう叙述をしないということは、われわれのあいだでは自明のことであった。私は印刷するまえに原稿を全部彼に読みきかせたし、・・・」(第20巻P9)
ようするに、エンゲルスとマルクスの共同の討議による見解だということです。この点も過度に両者の違いを詮索する風潮もありますから、この点は注意しておく必要があるんじゃないかと思います。
さて、第三巻「概念論」にすすみます。
はたして私などの努力で、この難物にして歯がたつでしょうか。