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2021年09月11日
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​ヘーゲル『大論理学』30 第三巻・第三篇理念、その2​

ヘーゲルの『大論理学』というと、もうそれだけで、はなから「難しい」とのトラウマをもつ人を見かけます。私などの経験からも、その気持ちは分からないわけじゃないんですが。
しかし、少なくとも科学的社会主義に関心をもっている人にとっては、『空想から科学へ』『フォイエルバッハ論』などを参考にして、先人とヘーゲルとの相互関係に、弁証法を生きた形でつかむために、この課題に一歩でも足を踏み込むことが必要だと思っているんですが。
それが、今のような激動の時には、欠かせない大切なことになっていると思っているんですが。

前回、『大論理学』を理解する方法として、
1、ヘーゲルも同じ中身を『小論理学』でも述べているから、その箇所とを比べてみること。
2、それを言葉として解釈しようとするではなく、自分なりの言葉に「翻訳」(意訳)してみること。
3、そこでは何が問題なのか、先人の努力についても探ってみること。
こんな学習の仕方を紹介しました。
中身については冒頭の一文の紹介だけでしたから、今回はその中身についてみてみます。





一、「理念とはなにか」、この出発点の問題ですが。
ア、理念とは、一般に個々人の主観的な表象(・・だと思う)の意味でも使われるけれど、カントが指摘したけれど「理念」と「表象」とは違うんだ、理念は「概念」なんだと。ヘーゲルはこのカントの指摘を引き継いで「理念とは、即自かつ対自的な(客観的な)真理であり、概念と客観性との統一であること。理念が真理だということは、客観が主観的概念に一致することだ、と。
これはヘーゲルが『大論理学』での論旨を、『小論理学』の冒頭でより端的に述べたものですが。

イ、その先でカントと違ってきます。
カントは経験と理念とは違ったもので、理念は理想の様なもので、それに経験はそれに近づいていくけれど、それをとらえることは出来ない(経験と「物自体」との関係)ものだと。これに対してヘーゲルは、客観性の中に理念はあって、「客観は主観的概念に一致するんだ」、すなわち、近づくだけのものではなくて、とらえれるんだ、と主張しているわけです。

このカントとヘーゲルの理念に対する考え方の違いですが、この点を考慮するところに大事なポイントの一つがあると思います。ここには、物事に対する態度の違いがでてきます。真理に接近していく過程にでの主体的姿勢の違いにも関係してくるわけです。これは、日常的に私たちも体験している事柄で、基本姿勢にもかかわる問題でもあるわけです。

二、レーニンの『哲学ノート』ですが、
ア、以上の「理念」の問題について、レーニンは『大論理学』と『小論理学』との冒頭部分を書き抜いて、同じ趣旨ではあるんですが、それぞれの表現を書き抜いて、内容を検討しています。
全体は長いものですから、じかに確かめていただくしかないんですが、
前回(29)の学習で、その冒頭の部分だけを紹介しておきました。

イ、次いで、レーニンはヘーゲルの文章を、自分の言葉に翻訳(意訳、置き換え)しています。
一か所だけ例をあげれば、

まずヘーゲルを書き抜いてます。「理念は・・認識および意欲として、真なるもの及び善なるものの理念である。・・この有限的認識及び行動の過程が、最初は抽象的であった普遍性を総体性となし、これによって最初の普遍性は完全な客観性となる。」(『小論理学』第243節)

これに対して、これをレーニンは自己の分かりやすい言葉に置き換えます。
「理念は人間の認識と衝動(意欲)である。・・・(一時的な、有限的な、制限された)認識と行動との過程が、抽象的な諸概念を完全な客観性に変える。」
全体のごくごく限られた一部分しか紹介できないんですが、どの様な努力をしているかは分かると思うんです。

どうですか、ヘーゲルの文章というのは、多くの人がつまづいてしまう、そのわけがよく分かるんじゃないですか。難しいとトラウマになるのも分かるんじゃないですか。しかし同時に、よく注意して読むとその中には確かに大事な中身を含んでいる、レーニンはヘーゲル特有のいいまわしを努力して翻訳し解読してるんですね。この仕方というのはマルクスも『ヘーゲル法哲学の批判』でやっていることなんですね。

それは凡人にはそうそう簡単にできることではないんですが、でも先人が努力した記録が・結果が残されているわけですから、それを生かすようにして学ぶことは、凡人の私などですら可能なわけなんです。なのにどうして、専門の研究者がそうした努力をいかさないのかが、不思議なんですが。これは学者・研究者として知的遺産に対する怠慢だと、私などは勝手に思っているんですが。

ウ、この『大論理学』からの、この解読から、レーニンは自らの見解をまとめてメモしています。
といっても、この引用箇所の前にあるもっと長い翻訳(意訳)から引き出してきている見解なんですが。

「(これらが意味している事柄というのは)認識とは、思惟が客観に不断に、無限に接近していくことである。人間の思想における自然の反映は、死んだ、抽象的な、運動を書いた、矛盾のないものとしてりかいしてはならず、運動の不断の過程、矛盾の発生と矛盾の解決との不断の過程のうちにあるものとして理解しなければならない。」(165)

レーニンは、対応する『小論理学』(第213節)の意訳もやってますが、その翻訳は省略させていただいて、引き出した見解を、見解だけですが、紹介します。

「現象、現実性のすべての側面の総和とそれからの(相互)諸関係―これらからこそ真理は構成される。もろもろの概念の諸関係(=諸移行=諸矛盾)=論理学の主要な内容、しかもこれらの概念(およびそれらの関係、移行、矛盾)は、客観的世界の反映としてしめされている。事物の弁証法が理念の弁証法を創造するものであり、その逆ではない。」
さらにこの自己の見解に、補足のコメントをつけています。

「ヘーゲルは事物(現象、世界、自然)の弁証法を、概念の弁証法のなかで、天才的に推知した。」
さらにこれにも続きがあって、レーニンは一度まとめたことに、何度もくり返し考慮していたことがうかが、次のメモからうかがえます。

「この警句は、もっと平易に、弁証法という語をつかわないで言いあらわされるべきであったかもしれない。たとえばこんなふうに―ヘーゲルは、すべての概念の変換、相互依存性のうちに、それらの対立の同一性のうちに、諸概念の不断の変換、不断の運動のうちに、事物、自然のまさにそのような関係を天才的に推知した。」
さらに、

「まさに推知した、それ以上ではない」

さらに、これらの『小論理学』で言えば、第213節、214節、215節の全体を振り返って、
レーニンの問題意識ですが、
「弁証法とはどういう点にあるか?」とといかけ、ここでは6点をあげています。

三、『大論理学』の学習ですが、レーニンはどうしてこの学習をしたのか。
第一次大戦の勃発した最中です。社会主義者の先輩たちが祖国防衛論の戦争を肯定する流れが出て来る。こうした中での政治指導者ですから、緊張した切迫した渦中にあったレーニンですが。
それでも、『大論理学』から生きた弁証法を学びとろうと努力していたんですね。

『どうして、今ヘーゲルの論理学なの?』当然出てくる疑問です。
今の日本社会もある面で、レーニンのそのころと似ている面があるんじゃないですか、また他面では戦前のようなアカ思想だとされて取り締まるような自由の否定はないわけです。先人の苦労の結果による民主主義の社会にいるわけです。
だから、同じような同行者も出て来て当たり前かとは思うんですが。期待もするんですが。
しかし『『大論理学』はむずかしい』なぞと御託を並べる人もいるわけです。反応があるだけまだましで、この人こそと期待しても、箸にも棒にもかからない、黙して手も足も出さずにいる人も多々いるわけですから、自己の世界に埋没してる。これは一種の自由ボケというか、あぐらをかいての宝のもちぐされの状態なんですね。

しかし、もう愚痴ちるのはやめます。そんな他人を愚痴っても時間の無駄ですから。

とにかく他人はともあれ、私は行くということです。
なんとか『大論理学』の終わりまで、どんなにつたなくても、たどりつくということです。

今回は、愚痴っぽくなりましたが、これも現実の一つの側面だということです。







Last updated  2021年09月11日 05時58分55秒
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Re:ヘーゲル『大論理学』30 第三巻・第三篇理念のはじめに、その2(09/11)   渡政(わたまさ) さん
「理解する方法」から『大論理学』の概要、更に、現在の問題意識=「愚痴」と。大変大部なレポートでした。お疲れ様です。御教示の「理念が真理だということは、客観が主観的概念に一致すること」というところは、すこぶるヘーゲル的なところなのかなと驚かされました。
(2021年09月12日 21時46分30秒)

Re[1]:ヘーゲル『大論理学』30 第三巻・第三篇理念のはじめに、その2(09/11)   はなたちばな3385 さん
渡政(わたまさ)さんへ
今、第二章「認識」を読んでるんですが、
主観が客観を探るのが分析で、客観が中心、これが理論的探求で。
逆に、主観の計画・意図に客観を合わせるのが、労働であり実践だと。
マルクスの『経済学批判』序説の、上向法・下降法、帰納と演繹など、この第二章「認識」で、ヘーゲルが考え方の素材を提供していることを知りました。
学生時代に、こうした議論が学習ができていたら、今ごろこんな発見をするなんてことはなかったはずなんですが。まぁ、気づかずに墓場に入るよりかは、良しとしておきます。あと、認識と絶対的理念です。もう一息です。
(2021年09月12日 22時34分07秒)


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