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2021年10月08日
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​レーニンの『大論理学』学習への推測​

当方は、ヘーゲルの『大論理学』を、今年の3月9日から学習してきました。
それは、今、最終盤の章「絶対的理念」の所まで来ているんですが。
今回は、その番外編で、なぜレーニンはヘーゲル『論理学』を学習したのか、の問題です。




一、ヘーゲルの『大論理学』は、難解な本として有名なんですが。
私などが、それを読もうとすると、あれこれ自分勝手な解釈論はそれこそ掃いて捨てるほどあるんですが、
難解な著作そのものを真摯に読んで、そのうえでもの申す人というのは、たいへん少ないんです。

そうした中で、それを読み進めるうえで参考になっている一冊が、レーニンの『哲学ノート』なんです。


『レーニン全集』第38巻には、「ヘーゲルの『論理学』の摘要」(1914年9月-12月執筆)がのっています。そこには『大論理学』だけでなく、『小論理学』『歴史哲学』『哲学史』などの読書ノートが紹介されてます。

私などには、それが難解なヘーゲルの著作を読み解いていく上で、参考になったんですが。しかし当然ながら、「いったいなぜ、レーニンは『大論理学』をはじめヘーゲルの著作をよんだのか?」、この疑問が生じてきます。

1914年といえば、その年の7月14日から第一次世界大戦が始まったときじゃないですか。
社会主義の代表的な先輩たちの多くが、世界戦争の勃発により「祖国防衛」の立場、自国の参戦を擁護する立場に変わっていく。そうした中での政治家です。この流れのなかで「帝国主義戦争反対」の主張や社会主義の立場を掲げることが、いかに困難であったか。
それは、戦前の日本史を見れば明らかじゃないでしょうか。反戦平和を明らかにすることは、命がけの主張であり活動だったんですね。
そうした中でレーニンは、ヘーゲルの『大論理学』をはじめとする諸著作を学習していた。それが学習ノートとして残されているんです。それが、100年を時を経ての今日、私などのヘーゲル学習の参考になっているんです。

「なぜレーニンは、そうした複雑で困難な状況下でヘーゲルを学習したのか?」当然の疑問ですよね。

いったいどのような思いで、レーニンは『哲学ノート』にそれが残されているわけですが、ヘーゲルの『論理学』を、本質論を、概念論を、「認識」や「絶対的理念」を読んでいたんでしょうか?

この私などの疑問にたいして、つい数日前のことですが、ひらめきがあったんです。

それは、この10月6日(水)でしたが、ユーチューブで送られてきた共産党志位委員長の総選挙にあたって訴えた報告に関連しているんです。

レーニンの話にもどりますが、私などの推測することなんですが、
おそらくですが、レーニンは戦争からの転換するということは、それを推進する政治勢力から政権を変えるしかないとの基本認識があったんじゃないでしょうか。そのために困難な立場をまもって活動して来ていたわけですから。

現象からしたら、一人の一介の亡命者ですよ。無にも近い存在だったはずです。ところが、戦争路線を転換させるには、今は無であったとしてもこの政治的な立場しかない、そうした確信を持っていたとおもいます。

私などの、まったくの完全な推測ごとなんですが。
今回、『大論理学』と『哲学ノート』を学習していて、そこで問題になっていただろう事柄ですが。
志位委員長の報告を聞いていて、レーニンの立場と動機ですが、もちろん直接的な言葉では書かれてはいませんが、
こんな読み方をしていたんじゃないでしようか。

「本質は現象する。帝国主義戦争は終わらざるをえない、しかしどんな形で終わるのか、それはわからない。たとえ今は戦争が燃え盛る火事のようなものであったとしても、どんなに想定しうることと真逆な仮象をもっていたにせよ。戦争反対勢力は徹底して弾圧されていたんですから。それがこれまで様々な角度から検討してきたように、戦争路線は転換しなければならない。そこには社会的変革をふくむ政権交代の可能性がふくまれている。そうした可能性が潜在的にふくまれている。もしもそうした見通しが客観的な真理であるなら、必ず現象して現実に現れることになる。その際、今は主体的には党の組織状況が、戦争と弾圧により、どんなに心もとない状況であったとしても、事物の客観的行程は必ず展開する。そうだとしたら、その間近に迫りつつある政治路線の変更(戦争政策から、国民の悲惨さを救済する平和政策への転換)のもつ政治闘争、社会的変革の可能性をなるべく全面的に展開をみさだめるようにして、それにたいして政治的に組織的にできうる限りそなえなければにらない」

まさに、ここにヘーゲルの弁証法を学ぶ必要性が、動機が、あったんじゃないでしょうか。

庶民の足元の困難さという目線だけから出発したら、全国的な政治情勢がはらむ中心問題は見えてきません。「そんなの無理だよ、身の回りはそうそう簡単に変わりっこない」との感想をもつことも当たり前かとは思うんですが。それは客観主義的な評論家的態度につうじるわけですが。
しかし考えてもみれば、庶民のだれが12月8日に太平洋戦争が勃発するなんて思ったでしょう。まただれが1945年8月15日に第二次世界戦が終わるなんて思ったでしょう。庶民の下世話な目には分からなかったはずです。しかしそれでも戦争終結へのページはめくられたんですね。ほんの一部の人にしか政治的な動きというのは知ることができなかったんですね。それでも政治は動いたんですね。

おそらくレーニンの心眼には、どんなに足元は困難であっても、戦争反対と国民生活擁護の政治に転換せざるを得ないとの、政治の焦点をとらえていた。いつ、どのように、転換する客観的な出来事が動くかはわからないけれど、それが必ず社会と政治の表に出て来る。
そうした見通しをたてていた。
そこにまさにヘーゲルの『論理学』、弁証法を学びとろうとする、欠かせない必死な努力の原因があったんじゃないでしょうか。

ヘーゲルは第二巻の本質論では、「本質は必ず現象する」、「現実性は、理性の合理的な諸条件が整えは、具体的現実になる」などの客観的な行程をといています。それは勝手な主観的な主張ではないんです。論理学の弁証法、必然的な論理的・自然的な展開というものを、客観的なものとして、それを主観的概念がとらえうるものとして展開してといているんですから。
また、第三巻の概念論では、「絶対的理念」では、諸科学の中に一般的に貫かれている形式(弁証法)を、明らかにしようとしているんですから。アリストテレス曰く「思惟のなかにある思惟」、ヘーゲルは哲学史を古代ギリシァの哲人たちにまでさかのぼって、具体的に探っていたんですからすごいですね。アリストテレスもすごいけれど、さかのぼってそれを見つけ出したヘーゲルもすごい。そうした努力をさぐりつつ、レーニンは今日の具体的な方法として、その可能性を探ったんじゃないでしょうか。
山なす本があったとしても、肝腎なものは限られたものですよ、怠けていちゃダメなんです。

そんな状態だと、それを教科書風の公式論ですますとか、何でも事柄を細断するような型紙のように扱うとか、万能の打ち出の小づちのような知らないことまで知ったかぶりをするようになる、スターリンや毛沢東のような存在も出てくるわけです。


レーニンがイネッサ・アルマンドにあてた手紙にあるように、もあくまで具体的な諸条件の下で、他の諸命題とも関連させて、歴史的に事柄をあつかわねばならない、との結論が出てくるわけです。

もどって、レーニンの『哲学ノート』についてですが、
ヘーゲル『大論理学』の最終章「絶対的理念」からの書き抜き、それへのコメント、自らの意見ですが、そうしたことを学びとろうとしている、そうした躍動が伝わってくるように思います。
ただ、私などが感じてるんですが、あまり一般には、そうした肝腎な側面からの紹介がされてないのが、気になるんですね。じつにもったいないとことだ思うんですが。
研究者は怠けているわけじゃないと思いますが、政治家は忙しいとは思いますが、私などの目にはつかないんですね。その肝心な点をつかまなければ、歴史に対する怠慢のそしりをまぬがれないと思います。

二、レーニンはそうした宝を引き出したんですが、問題は今の私たちとの関係です。
これが、志位報告を聞いての、肝腎なことなんですが。

中央政界が、政治的転換の可能性を、政権交代の可能性をもっている。国民的な政治転換の可能性をもっていて、それが10月31日の総選挙で決めることができる。
国民の意志がどのように表明するかで、政治的基本をさだめることができる。そうした事態に、今という私たちの状況は置かれているということです。これは客観的な事実だと思うんです。

まず、こんな政治的基本の選択が、国民自身の意志に託されるなどということは、日本の憲政史上初めてじゃないですか。つきつめれば戦争か平和かの岐路です。いやもっと命と暮らしの問題です。

問題は、レーニンが『大論理学』を学びつつあったときと似ているとおもうんです。
しかし、自分自身とその周りをみるに『庶民の日常生活からして、いくら理想的なことを言っても、そんなにうまくは変わりっこないよ』との素朴論があるんですね。長年しみついた、それ以外にはなかったような、経験則があるんですね。客観主義があるんです。

だけど、かつて歴史のページが音もなく開いたように、もちろん努力次第ですが、10月31日にはそうした可能性が、今の日本には含まれているというんですね。誰かが私見として言ってるんじゃなくて、社会の客観的な可能性がしめしているということですね。志位さんが提起したのはそうしたことですね。

とはいえ、日常生活の織りなしは、そうした中心点と自分たちの日常がどのようにつながっているのか、よくは見えないんですね。そりゃあそうです。1億2000万人分の一ですし、日々のみかん畑の相手は雑草とイノシシでしかないんですから。
だけど、そうであっても、それらが中央政界につながっていることはまちがいないんですね。
庶民にとっては、ささやかな一歩と思われるかもしれません。だけど、どの様なささやかな一歩であっても、それがつながっているわけです。それが合わされば、政治を変える大きな力になる。自分たちの自然と必然性の流れをつかんで、そこから出てくるところの第一歩をふみだすこと。きっと踏み出さざるを得なくなるということですが。

どんなにささやかではあっても、その第一歩の踏み出しが、今や日本の岐路の選択につながっているということですね。「人には人の乳酸菌」じゃないけれど、それぞれの置かれている立場で、どれだけ真摯にこの歴史課題と向き合えれるか、そこに日本の未来がかかっているということですね。

ここのところの理論的・実践的な探究が求められているということです。

これが『大論理学』の終章「絶対的理念」を通読して、
くわえてレーニンの『哲学ノート』での「摘要」を読んでの、私などの感想です。






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Last updated  2021年10月09日 06時35分09秒
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Re:レーニンは、なぜ『大論理学』を学習したのか-一つの推測です(10/08)   渡政(わたまさ) さん
最終章の獅子吼を拝見する感があります。(獅子吼とは、仏陀の説法を、獅子が吼(ホ)えて百獣を恐れさせる威力に例える言葉で、真理や正道を説いて発揚する意味です。「広辞苑」)
真理は、「合理的な諸条件が整えば」現象化する。真にその通りだと思います。抽象的な論述の学びと具体的な現実との関連を、現下の状況の中に認識する。すこぶる重要です。
「合理的諸条件」は、それが社会・歴史的な課題である場合は、それを構成し担ってい私達の行為=実践ということになるのでしょうか?! (2021年10月09日 21時50分35秒)

Re[1]:レーニンは、なぜ『大論理学』を学習したのか-一つの推測です(10/08)   はなたちばな3385 さん
渡政(わたまさ)さんへ
この学習は、渡政君の反応があったればこそ開拓できたんですよ。砂漠に水を撒いてるだけでは、どこに確かな地盤があるのか、もやもやした疑心暗鬼になるじゃないですか。
MEL以外にヘーゲルにはこうした中身が、問題はあっても宝があるよと提起し、真剣に向き合った人はいないじゃないですか。学者中の学者が、ほとんど書斎と教室の世界だけにいた人が、カントもそうですが、哲学史と自己とに向き合って、こんな宝を見つけ出したなんて。やはりフランス革命とナポレオン、そして遅れていたドイツの中にあって民主主義的な力がこんな書斎の中にも起きていたということですね。
しかし、それが今日に至るも科学的社会主義とする人たちでも、ヘーゲルがおざなりにされたままでいるというのは、なんともったいないことか。まだまだ、日本社会も下からのコミニュケーションが弱い。絶対主義が転じて「自由と民主主義」の看板が掲げられたわけですが、そのなかで特に政治を引き継いでいる人たちの部分にそれが弱いということです。それにくっつく若者を培養してきたんですから。まだ戦前の萎縮の尾を引きづっていて、それを見据えて克服するというのは今日の課題なんですね。「ジェンダー」も、私などは今ごろになって、『なるほど、そういうことか』の認識を新たにしているくらいですから。
さて、最後の絶対的理念です。まだ、『大論理学』自体を読まなければなりませんから、もうひと山あるわけです。 (2021年10月10日 06時57分30秒)

Re[1]:レーニンは、なぜ『大論理学』を学習したのか-一つの推測です(10/08)   はなたちばな3385 さん
渡政(わたまさ)さんへ
それと「ジェンダー」という言葉も、私などはつい最近知った次第で、もはや古い人間になっているわけですが。
「男女差別の解消、平等化」くらいは、理念としては頭の片隅にあったんですが。どこまでが妥当で、どこからは逸脱なのか、探究の課題ですね。無条件で点まで持ち上げる気にはならないんですが。
しかし、日本の近現代に、家父長制の家族制度の習慣がもちこまれ、それによって多くの苦しみがあったし、あるのは、これもまた事実なんで。おそらくその声の9割方は応援しなければならないとは思っているんですが。平等ということへの段階的過程として、今現在の問題をリアルに直視していくことが大切だと思っています。
無条件ですべてを賛成というわけには、私などはいかないと思うんですね。自由とは必然性あってのことですから、無規律とはちがうし、どこで線がひかれるかは、すぐには決められないんですね。今の具体的な問題を具体知己に一つ一つ解決していく中にしか未来は開けない。一歩一歩すすんでいくしかないという、そうした問題意識をもって注目しているんですが。 (2021年10月10日 11時30分45秒)

Re[3]:レーニンは、なぜ『大論理学』を学習したのか-一つの推測です(10/08)   渡政(わたまさ) さん
はなたちばな3385さんへ
いきなり「ジェンダー」ですか!
私もテーマとして調べたことはないので、意見は差し控えるべきですが。どうも、genderとは社会的・文化的性差を意味するらしいこと。又、その不平等の解消を目指す取り組みのことらしい。程度です。とするならば「婦人論」。但し、性差の解消一般として、没歴史的=社会的に論じられ「解決」が図られていく限り、それは資本の下への従属の強化にしか結果しないと考えます。「家事労働からの解放」も「女性の経済的自立」も、家族の中で最も弱い立場の子供達に皺寄せされている今の「家族」の姿を見なければならないと思います。 (2021年10月11日 16時25分22秒)


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