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みかんの木を育てる-四季の変化

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2021年11月02日
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​マルクス『経済学・哲学手稿』

    「ヘーゲル哲学批判」学習 その1​

当方は、ヘーゲル『大論理学』学習を、今年の3月から10月まで、計38回を発信してきました。
もちろん全三巻の大著でして、大筋について学習したくらいなんですが。
その続きなんですが、今回は、マルクス『1844年の経済学・哲学手稿』の「ヘーゲル哲学批判」を学習してみます。
 全集では第40巻(真下信一訳 1975年刊)、国民文庫では藤野渉訳(1963年刊)があります。



一、どうしてマルクスの『経済学・哲学手稿』を学ぶのか。

この間、ヘーゲルの『大論理学』の学習を通じてヘーゲルの弁証法を学んだきました。弁証法とは何か、ヘーゲルは弁証法を発見して、初めて意識的に発表したわけですが。なにしろヘーゲルの著作はいずれも難解な表現をしてますから、そのものにあたってその哲学を、弁証法を検討している人は少ないと思うんです。

そうした中で、マルクスは『ヘーゲル法哲学』批判についで、この『1844年の経済学・哲学手稿』において、ヘーゲルの哲学、弁証法について検討しています。
 この作品は手稿であって、1844年に書かれた時は刊行されなくて、1932年の『ME全集』(モスクワ)で初めて印刷されたものだそうです。だから、レーニンも知らなかったんですね。

よく『マルクスは弁証法について、紹介を書きたかったけど、書けずに亡くなてしまった』と言われますが、確かに刊行された本としては無いかもしれませんが、こうした手記としては弁証法にしいて書き残しているんですね。書き残しているんです。

ところで、1932年といえば、日本では治安維持法のもと、マルクスの著作など持っていたり、読んだりしたことが分かれば、犯罪者として逮捕される状況でした。ですから、この『経済学・哲学手稿』が自由に学習できるようになったのは、第二次世界大戦後の1945年以降のことなんですね。

さらに、戦後ともなると、今度は様々な思想が氾濫した中で、この『経済学・哲学手稿』の検討というのは、「疎外論」などの解釈学はさかんにあったとしても、この「ヘーゲル弁証法」の批判については、よく問題を討議するといったことはなされていないと思うんです。私などが勝手に推測するには、それぞれの主観的な解釈論はさまざまにだされたようですが、それらをよく討議する場もなくて、百家争鳴のままに放置されてきたきらいがあるんじゃないでしょうか、私などはそのように思います。ここには、大きくみれば戦前の民主主義的自由の抑圧体制がもたらした負の遺産が、その後遺症が戦後においてあらわれていて、十分に議論・検討がされないままの形で今日まで残されてきた、私などはそのように思います。

二、一昨日、10月31日(日)は第49回総選挙の投票日でしたが、この日の「しんぶん赤旗」の読書欄に一つの紹介がありました。
「若い頃から、『哲学者たちは、世界をさまざまに解釈しただけである。肝要なのは、世界を変えることである』(マルクス「フォイエルバッハにかんするテーゼ11」)を読み、われわれの世界観の神髄がここにあるとかんげきしていた。」、労働者教育協会会長・現代史家の山田敬男氏による紹介が掲載されました。
丁度、私などがこの『経済学・哲学手稿』に、これから挑戦しようと思っていた時でしたから、感想を送りました。

「「赤旗」10月31日付に、マルクスの「テーゼ」についての面白い紹介がありました。
とかく合言葉のようにつかわれてますが。エンゲルスが「萌芽」という意味を私などは真剣に解明することが求められていると関゛ているところです。「対象、現実、感性」は、もともとヘーゲルが論理学や精神現象学でつかっている概念で、弁証法にかかわることがらです。それをフォイウルバッハ風に理解しちゃうと、古い唯物論で切り捨てるだけで、それでは大事な弁証法がとらえられずに水に流してしまうことになる。
それをマルクスが『1844年の経済学・哲学手稿』の「ヘーゲル哲学批判」につづいて、この走り書きで、はじめて唯物論的弁証法というものを積極的な形で提起しようとしたものとしてよんでいます。私などは、いま、そうしたところを、そうした中身を調べて、確かめてみたいと思っているところです。
とにかく、刺激的な紹介として読ませていただきました。」

と、以上の感想を送らせていただいたんですが。

三、私にとっては、『経済学・哲学手稿』の学習発信は、今回が二度目なんです。
以前に、2012年2月16日から4月14日にかけて、計8回の学習発信をしています。
丁度、2011年9月11日の東日本大震災が発生した後でした。
職場への通勤ラッシュを緩和させようと、早朝出勤するようになり、始業時の前に時間が出来たんですね。それで挑戦したのが『経済学・哲学手稿』だったんです。ブログの過去を日々をひらくとのっているんですが、今から読み返してみると、4苦8苦していたことが思い返されます。

どうして、『経済学・哲学手稿』の学習かというと、「唯物弁証法」ということが、あまり検討されることもなく、それが正しいものだとして前提的にあつかわれている。あとは素人に分かりやすく解説するだけだと、そんな上っ面の解説書を、多々見かけるからなんですね。本当は真剣に探究すべきところを、安易にも結論的な断言的なことを、それは常識的なこととして、子どもに教えるがごとく解説している。


とくに、社会的な激動期には、忙しい中にも、哲学的な基本の学習が大事じゃないかと、あの震災の中で感じていたんだろうと、ふりかえりますが。
ちょうど今、似たようなことがあるじゃないですか。

10月31日投票の第49回総選挙ですが、
政権交代の期待が大きかっただけに、選挙の結果にがっかりすることも、一面ではあると思うんです。
しかし、その争点や政治転換の必要性は正しいし、ますます切実になっている。それにもかかわらずこの結果です。政治的には議席が後退する中で、社会的責任は大きくなるとの、ギャップ・矛盾がおきています。問題点をしっかりととらえるには、打開していく活動をしっかりさせるためには、たんに主観的な考え方の問題だけでなく、問題の客観的性格の面もよくとらえるようにして。今度こそ、変革の糸をにぎるためには、あれこれの課題があるにしても、その中に哲学的な基礎学習も必要だと思っているんですね。

まぁ、また達磨大師の気持ちを味わうことになると思いますが、それもよし。
マルクスが唯物弁証法をどの様に発見したのか。この基本思想、一般的思想を意識化することは、歴史や経済学など、他の自然と社会の諸科学にとって、どの様な学び方の革新を要請しているのか。合言葉としてとなえることは簡単なんですが、それを問題の検討に貫くことは、どの様な地道な努力が必要なのか。

マルクスなどは、唯物史観や『資本論』において、それを実証したわけですが、『資本論』を持ち上げる人が、都合の良い個所だけ使うだけであって、大事なその方法論や成果について検討するのが弱い、哲学が弱い、などと私などは勝手に思っているんですね。

とにかく、再度、これから『1844年の経済学・哲学手稿』の中の「ヘーゲル弁証法および哲学一般の批判」を読んでみようと思います。






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Last updated  2021年11月02日 16時28分50秒
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