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2021年11月09日
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​マルクス『経済学・哲学手稿』の「ヘーゲル批判」その2​

マルクスの『経済学・哲学手稿』をなぜ学ぶのか。
前回に引き続いて、この問題です。

私なりに思うには、『経済学・哲学手稿』のテーマですが、それは新たな世界観の確立過程の探究だと思います。マルクスが1844年に亡命したパリで探っていたわけですが。

10日前の2021年10月31日に第49回総選挙がありました。今回の総選挙の結果をどのようにとらえるのか、この問題にも関係していると思います。
日本の社会というのは、今どの様な勢力が交差して、どの様な変化の過程にあるのか。今日に生きる私たちは、この社会をよりよく変えていくには、どの様な努力が必要なのか、これは大事な問題ですが。
私などは、そうした諸努力の一つとして、唯物弁証法の世界観をしっかりつかむことも大事なことだと感じている次第です。哲学の学習などというと、抽象的なことのようでもあり、口はばったい感じもなくはないのですが、しかしその必要性を感じています。




一、これから『経済学・哲学手稿』の「ヘーゲル哲学批判」を学んでゆくわけですが、
これを学習していく上では、エンゲルスの『フォイエルバッハ論』が欠かせない著作と思います。


というのは、この『フォイエルバッハ論』は、エンゲルスが晩年近くになって書いたものですが、その際、若い頃に書いていた文章に目を通した上で、その中身の本質を詳しく、簡潔で理解しやすいようにと配慮されたものだからです。

その事情を探ってみると。
マルクス(1818-1883)は1883年3月14日に亡くなりましたが、エンゲルスはマルクスという人の歴史的にはたした業績について、その全体を紹介しようとしています。『マルクス・エンゲルス』全集の第21巻(1883-1889)には34編の論文が集められていますが、そのいずれもが追悼の気持ちをこめて、私たちに残した業績を紹介しようとしたものじゃないでしょうか。
そして、その中の一つに『フォイエルバッハ論』があるわけです。

エンゲルスは、マルクスの死後に家族の依頼により残された遺稿集の整理にあたりました。

その関心の第一は、もちろん『資本論』(1875年第一巻フランス語版)ですが、その続きがどうなっているかを調べています。

そしてこの遺稿集を調べる中から、この1844年の無題の手稿(『経済学・哲学手稿』)や『ドイツ・イデオロギー』(1846-7年)などをみつけたことがうかがえます。

すでに1880年代ともなると、主著の『資本論』をはじめ、1847年の『共産党宣言』以降に刊行された諸著作については、国際的にも社会活動家たちに知られるところにあったと思うんですが。しかし、それらの基本となっている世界観、方法を確立する過程については、すなわち、自分たちが若かったころの、唯物弁証法や唯物史観を確立していった過程については、いろいろな事情で出版されてなくて、その草稿のまま人知れずに書棚に眠ったままになっていた。ほとんど知られていなかったんですね。
エンゲルスは遺稿を整理していて、それを見つけたんですね。
当然それは、マルクスの偉大な業績の一つであり、その世界観と方法の探究の過程と成果ですから、あらためて紹介することの重要性を感じたと思うんです。ところが、なにしろその文章は生けずりな面もあって、わかりにくい表現でもあり、しかも大部の量の草稿でしたから、そのままで刊行することはできなかった。もしそんなことをしたら、新たな混乱を招くことになるだろうと思ったんでしょう。


エンゲルスはこの課題を、その3年後の1886年に『フォイエルバッハ論』として、新たな独立の論文としてまとめて、雑誌に掲載したわけです。
ですから、この著作は、『経済学・哲学手稿』や『ドイツ・イデオロギー』の、1844-47年ころに探究していたこと、新しい唯物弁証法の世界観と歴史観の方法を確立していく過程の問題です。それを晩年の熟達した見識をもって、若い頃のゴチャゴチャしたややこしい論文について、その中身の本質を理解しやすいように簡潔、かつ包括的にまとめのが『フォイエルバッハ論』だったわけです。

くりかえしになりますが、今回の学習ですが、『経済学・哲学手稿』の「ヘーゲル弁証法、哲学批判」ですが、この世界観の本質を、その確立過程を学ぶということです。マルクスはどの様にヘーゲル弁証法の成果と問題点を探究したのか、どの様にヘーゲル弁証法を批判したのかという点です。

この世界観を探るという問題ですが、その際、『フォイエルバッハ論』を念頭に置きつつ、『経済学・哲学手稿』を学習するとの形を取りますが、これも問題に接近していくための一つの道となっていると思うからなんですね。

以上が、私などが、今日に『経済学・哲学手稿』を学ぼうとしている動機なんです。

二、『経済学・哲学手稿』の「ヘーゲル哲学批判」の内容と構成についてですが。
国民文庫の藤野渉訳(1963年)では、全体はP205-241の36ページ分です。

私なりに勝手に分けると、大きくは4つの部分からなっていると思います。
これはあくまで大よその見通しということでして、
これから学習をすすめるなかで、具体的にはっきりしてくることなんですが。

 第一に、フォイエルバッハについての評価です。P205-211の7ページ分です。
 第二は、ヘーゲルの哲学、弁証法についての総評です。P211-217の7ページ分です。
  1、ヘーゲル哲学の全体観を紹介しています。
  2、ヘーゲルの二重の誤りを指摘しています。
  3、ヘーゲル弁証法の成果と、それがもつ一面性と限界についての指摘。
 第三は、それを『精神現象学』の「絶対知」から見る。P217-235の19ページ分です。
  「絶対知」から8点の検討
 第四は、弁証法は『論理学』どの様に展開されているか。P235-241の7ページ分です。

三、前後する主要な著作を紹介しておきます。

ヘーゲル(1770-1831)、フォイエルバッハ(1804-72)、マルクス(1818-83)、エンゲルス(1820₋95)

  1807年 ヘーゲル『精神現象学』

  1812₋16年 同 『大論理学』
  1841年 フォイエルバッハ『キリスト教の本質』
  1842年   同     『哲学改革のための暫定命題』
  1843年   同     『将来の哲学の根本命題』
   同   マルクス『ヘーゲル法哲学の批判』
  1844年   同 『経済学・哲学手稿』
  1845年     同 「フォイエルバッハに関するテーゼ」
  1845-46年 マルクス・エンゲルス『ドイツ・イデオロギー』
  1886年(明治19年) エンゲルス『フォイエルバッハ論』
 
この年表からして、これから学ぶ『1844年の経済学・哲学手稿』はマルクスが26歳の時のものです。
すでにヘーゲルはその13年前の1831年にコレラの世界的な大流行で亡くなっていた。
そして、1840年代のドイツというのは「疾風怒濤」の哲学革命の時期だったんですね。
フォイエルバッハが『キリスト教の本質』で唯物論を書いたのは、ヘーゲルの死後10年を経ていた。
マルクスはその2年後の1843年には『ヘーゲル法哲学の批判』を検討している。
そして、
エンゲルスは、その当時から40年余をへて『フォイエルバッハ論』をまとめているんですね。

さて、こうしたことを念頭にして、
これから唯物弁証法の世界観の探究を、『経済学・哲学手稿』において挑戦していきます。

  








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Last updated  2021年11月09日 09時06分37秒
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