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カテゴリ:本棚で見つけたこの一冊
マルクス『経済学・哲学手稿』の「ヘーゲル批判」その2 マルクスの『経済学・哲学手稿』をなぜ学ぶのか。 私なりに思うには、『経済学・哲学手稿』のテーマですが、それは新たな世界観の確立過程の探究だと思います。マルクスが1844年に亡命したパリで探っていたわけですが。 一、これから『経済学・哲学手稿』の「ヘーゲル哲学批判」を学んでゆくわけですが、
エンゲルスは、マルクスの死後に家族の依頼により残された遺稿集の整理にあたりました。 その関心の第一は、もちろん『資本論』(1875年第一巻フランス語版)ですが、その続きがどうなっているかを調べています。 そしてこの遺稿集を調べる中から、この1844年の無題の手稿(『経済学・哲学手稿』)や『ドイツ・イデオロギー』(1846-7年)などをみつけたことがうかがえます。 すでに1880年代ともなると、主著の『資本論』をはじめ、1847年の『共産党宣言』以降に刊行された諸著作については、国際的にも社会活動家たちに知られるところにあったと思うんですが。しかし、それらの基本となっている世界観、方法を確立する過程については、すなわち、自分たちが若かったころの、唯物弁証法や唯物史観を確立していった過程については、いろいろな事情で出版されてなくて、その草稿のまま人知れずに書棚に眠ったままになっていた。ほとんど知られていなかったんですね。
この世界観を探るという問題ですが、その際、『フォイエルバッハ論』を念頭に置きつつ、『経済学・哲学手稿』を学習するとの形を取りますが、これも問題に接近していくための一つの道となっていると思うからなんですね。 以上が、私などが、今日に『経済学・哲学手稿』を学ぼうとしている動機なんです。 第一に、フォイエルバッハについての評価です。P205-211の7ページ分です。 ヘーゲル(1770-1831)、フォイエルバッハ(1804-72)、マルクス(1818-83)、エンゲルス(1820₋95) 1807年 ヘーゲル『精神現象学』 1812₋16年 同 『大論理学』 1841年 フォイエルバッハ『キリスト教の本質』 1842年 同 『哲学改革のための暫定命題』 1843年 同 『将来の哲学の根本命題』 同 マルクス『ヘーゲル法哲学の批判』 1844年 同 『経済学・哲学手稿』 1845年 同 「フォイエルバッハに関するテーゼ」 1845-46年 マルクス・エンゲルス『ドイツ・イデオロギー』 1886年(明治19年) エンゲルス『フォイエルバッハ論』 この年表からして、これから学ぶ『1844年の経済学・哲学手稿』はマルクスが26歳の時のものです。 すでにヘーゲルはその13年前の1831年にコレラの世界的な大流行で亡くなっていた。 そして、1840年代のドイツというのは「疾風怒濤」の哲学革命の時期だったんですね。 フォイエルバッハが『キリスト教の本質』で唯物論を書いたのは、ヘーゲルの死後10年を経ていた。 マルクスはその2年後の1843年には『ヘーゲル法哲学の批判』を検討している。 そして、 エンゲルスは、その当時から40年余をへて『フォイエルバッハ論』をまとめているんですね。 さて、こうしたことを念頭にして、 これから唯物弁証法の世界観の探究を、『経済学・哲学手稿』において挑戦していきます。
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ヘーゲルからマルクス(エンゲルス)にかけての鳥瞰図。ありがとうございます。学研の広さに恐れ入っています。
(2021年11月10日 00時03分57秒)
渡政(わたまさ)さんへ
選挙で議席は減らしたけれど、共闘(統一戦線政策)を誠実に守ったことで、もちろん争点と政策の力と魅力もありますが、それで共産党に対する関心が国民の広い中に起きていると思うんですよ。判官びいきもあるかもしれませんが。 それは結構なことですが、科学的社会主義の魅力と、日本の後進性を変えていく歴史的役割の面も大事じゃないかと思っています。今こそ、もっともっと各方面の人たちからそれが語られて、国民に知られていく、そうした必要性があるし、その点で今がその頑張りどころだと思っています。 当方のブログには1500人くらいの閲覧がありますが、その多くはこうした哲学や科学的社会主義などには縁のなさそうな人たちも多いと思ってますから。哲学者からみれば常識的なことと思われるでしょうが、しかし今こそ、こうした事柄をどんどん発信することが大事だと思っています。亡くなってその人を評価するんじゃなくて、自他ともの周りにある宝を自公政治に対比してもっと発信すべきなんですよね。まったくもって、おとなしすぎるんですよ。そう感じています。 (2021年11月12日 13時56分13秒) |