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みかんの木を育てる-四季の変化

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2021年11月22日
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​『経済学哲学手稿』4 ヘーゲルの弁証法とは​

今回の『経済学・哲学手稿』第4回は、「国民文庫」版のP208からP216までの9ページです。
前回は、序論の性格をなす「青年ヘーゲル学派とフォイエルバッハ」についてでした。

今回のテーマは、
 1、ヘーゲル哲学の概観、
 2、ヘーゲルにおける二重の誤り、

 3、ヘーゲルの終局成果―運動させ産出する原理としての否定性の弁証法が、です。





マルクスが、26歳の時にヘーゲル弁証法をどのようにとらえたか、
マルクスの唯物弁証法の新しい世界観とその方法はどの様に確立したか、この問題です。 

一、はじめに前回のマルクスの「フォイエルバッハ」批評ですが、あらためてこれを整理してみます。

そもそも、エンゲルスの『フォイエルバッハ論』(1886年)は、当時から40年の経過を経ての歴史的な総括です。他方、1844年のマルクス(26歳)「手稿」は、それとは違います。同時代のちかしいグループの中にいるフォイエルバッハであり、先人であり、お互いに影響しあい、変化しつつある中で、そうした人に対する批評です。そこには切磋琢磨する同時代での直観的な批評(同時過程)と、40年の歳月を経ての歴史的に下される評価(結果)との、この同じフォイエルバッハ論ですが、この二つにはそうした違いがあるわけです。

1、マルクスはこの「手稿」で、フォイエルバッハの功績の二番目に「真の唯物論の基礎をおいた」ことをあげていますが。
フォイエルバッハの『哲学改革のための暫定命題』(1842年)を見てみると、フォイエルバッハのヘーゲル哲学に対する批判というのは、「神学の秘密は、人間学である」(P97)、「ヘーゲルの論理学は理性的にされた神学である」(P100)、「フランスの感覚論、唯物論の原理と結合されるとき、そこに生命と真理がある」(P112)等々。
ようするに、フォイエルバッハのヘーゲル哲学批判というのは、主には唯物論という角度からの批判だったんです。たしかにそれはそれまでの哲学に対して、画期的で明確な唯物論の方向での第一歩をひらいたんですね。これは、大きなすばらしい功績だったんですね。

2、同時に注意が必要なのは、ヘーゲル弁証法にたいしての扱い方はどうだったのか、この問題があります。
『暫定命題』もそうですが、フォイエルバッハは『ヘーゲル哲学批判』(1838年)でも、『将来の哲学の根本命題』(1843年)をみても、たしかにそこにはヘーゲル哲学に対して唯物論からの批判はあるんですが、このヘーゲル弁証法に対しては、いろいろな断片的な指摘はあるんですが、確かに問題意識はあるんですが、しかしまとまった形での正面からの批判がないんですね。結局、これではフォイエルバッハのヘーゲル批判というのは、「批判」することができなくて、ヘーゲル哲学を唯物論の面から全否定することで、弁証法の扱いというものは切り捨てちゃっているんですね。

マルクスがここでの課題としているのは、まさにこの問題なんですね。
唯物論の基本的考え方から、ヘーゲルの弁証法をどの様にとらえ、どの様に評価するのか。そもそも唯物論の考え方とは何なのか、マルクスがここで課題としているのはこうした問題なんですね。それは新しい世界観をつくり出そうとする問題でもあります。
マルクスにとって、この直前にはヘーゲル『法の哲学』の批判研究をしています。すでに直観的には『ヘーゲル法哲学批判序論』などで、唯物弁証法・唯物論的歴史観的方向への洞察をしているんです。

「私たちが独断的に世界を先取りしようとするのではなく、かえって古い世界の批判からからこそ新しい世界を見出そうとすることこそが、まさにまたこの新しい動きの長所なのです」(『独仏年誌の手紙』1843年9月)

しかし、洞察することと理論とでは違うじゃないですか。これは洞察したことを、さらに唯物弁証法の考え方としてまとめて、理論に上げていく課題であり、その過程にあったんですね。そのためにはヘーゲル弁証法に対する批判的検討が必要だった、それがここでのマルクスの課題であり努力だったわけです。結論を導き出すための検討過程が、ここでの課題だったんです。

実際の原文は、ほんの数ページの短いものですから、じかにお読みいただくのが一番手っ取り早いんですが。そういっちゃぁ、実も蓋もありませんが。

二、ヘーゲル哲学の概観―「ヘーゲル体系を一べつしておこう」(P211)
私などはこの間にヘーゲルの『大論理学』について、その大筋を学んできました。それがヒントになってきます。


マルクスはここで、ヘーゲルの『精神現象学』について紹介しています。
そのページ項目にしたがって全体像を紹介し、ヘーゲル哲学の体系についてコメントしています。意識(感性はその一部分)、精神、宗教(自然)、絶対知と。たんに感性的確実さだけじゃないんです。

そのエンチクロペディー(全体像)は、論理学から始まり、世界は精神の張り広げられた自己対象であり、その疎外された精神的な中身を、哲学的精神はおのれのものとして把握する、と。まあ、唯心論的な形ですが、とにかく世界そのものを、ステップ・バイ・ステップ(過程として)ですが、理解していくということです。
最後は、体系の最後として絶対的精神と。

マルクスは、このヘーゲルの哲学体系の全体観を見据えて、それをこれから批判していくんですね。

三、まず「ヘーゲルの二重の誤り」(P213)ですが。

ごく簡単に要約すると、いや引用すると、
1、第一の誤りは、ヘーゲルはすべての現実の矛盾をとらえようとしてますが、それは哲学者の頭のなかでの問題としてだけで、精神としてとらえているんです。意識から独立した現実に存在する社会の現実の問題としてではなく、その問題の精神(思想)的世界の事柄としてだけ、「世界は精神の張り広げられた自己対象であ」るとしてとらえています。客観的観念論者の唯心論的性格がしめされているんです。「疎外」ということも精神的な観念が問題なんですね。富や国家権力からの疎外も、そのすべては思考の、精神的な疎外が問題なんだということになっちゃうわけです。これが第一の問題です。


2、第二の誤りですが、ヘーゲルの場合は「人間の本質的諸力が、疎遠な諸対象となったのを、我がものとする獲得は、こうして第一に、ただ意識のなかで、純粋な思考のなかで、抽象のなかでおこなわれる獲得にすぎない」。「(ヘーゲルの)否定的で批判的な外観にもかかわらず、実際にある後の発展を先取りするような批判にもかかわらず、後の諸著作の批判的でない実証主義と、批判的でない観念論とが、ここの哲学的な現存の経験の解消と復旧とが、潜在的に横たわっている。萌芽として、潜勢として、一つの秘密として現存している」と、このようにマルクスはヘーゲルを批判しているんですね。

更に引用すると「それゆえ現象学は、隠れた、おのれ自身にまだ不明瞭な、まどわすような批判である。だが、それが人間の疎外を-たとえその人間とはただ精神のすがたで現れるだけだとはいえ-しっかりとつかんでいるかぎり、現象学のなかには批判のあらゆる要素が隠れて横たわっており、すでにしばしばヘーゲルの見地をはるかに凌駕するほどのしかたで準備され、また仕上げられてふくまれている。「不幸な意識」「正直な意識」「高潔な意識と下劣な意識と」の闘争、等々、これらの個々の節は、宗教、国家、市民生活等の諸領域全体の批判的要素をーしかしまだある疎外された形式において-含んでいる」と指摘しています。

今回は、ここまでです。
「3、ヘーゲルの終局成果―運動させ産出する原理としての否定性の弁証法」については、次回とします。

一つ余談ですが、『マルクスは弁証法について書こうとしたけど残さなかった』なんて言葉を、今でも間に受けて、そう思っている人もいるようですが。書簡のなかにはそんなやりとりがあるんですが。

確かにマルクスの生前に刊行された著作としては、弁証法については、限られた形でしか残さなかったわけですけれど、しかしこうして刊行されずにしまわれていた草稿のなかには、その努力の過程についてのしっかりとした記述があるんです。ですから1932年にモスクワでこの『経済学哲学手稿』が刊行されて以来、それが日本でも1963年に国民文庫として翻訳され刊行されてからは、今回みたように、そうした言葉はもはや完全な死語になっているんですね。
しかし、それなのに今だもって、書簡の言葉をその額面どおりに受け取って、「マルクスは弁証法について、書こうとしたが書き残さなかった」との認識をもつ人がいるというのは、いったいどうしたことかと、私などは思うんです。

それだけの内容と意義を、この『経済学哲学手稿』の「ヘーゲル哲学批判」は持っていると思います。






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Last updated  2021年11月22日 19時03分57秒
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