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カテゴリ:本棚で見つけたこの一冊
『経済学哲学手稿』7 ヘーゲル弁証法の批判 いよいよこのマルクスの小論も、そのヘーゲル弁証法の批判の中心部分に入っていきます。 水泳というのは、泳ぐということの理論を知ることもさることながら、実際に泳げるようになることが肝腎です。こんな例えをヘーゲルはどこかで言ってました。 それと同じく、ヘーゲルの弁証法から唯物弁証法への発展ですが、その核心は今を生きる人が唯物弁証法を知ることとともに、なおかつ肝心なことは、それを「道具」として実際に使いこなせるようになること。それが、私自身この学習の目標でもあるんですが。
「こんどはヘーゲルの一面性と限界を、現象学の終章、絶対知について詳しく述べよう」からですが。 ここまでマルクスは、ヘーゲル哲学の全体をみての、総括的にその問題点や成果としての弁証法について述べてきました。ここからはヘーゲルの叙述そのものに即して、具体的に検討・吟味をする、批判作業をする箇所に入ります。
まぁ、それはともかくとして、本題です。 ヘーゲルの『精神現象学』ですが、その最終章「絶対知」について、 と言われても、「何じゃそりゃぁ‥?」となりますから、その問いの位置を確認しておくことが必要です。 1831年にヘーゲルが亡くなってから、その後の哲学者たちは、ヘーゲル哲学を口パクはしているけれど、まともに検討することはなかった。フォイエルバッハだけが唯物論の観点からヘーゲルを批判したが、その弁証法については批判し切れていなかった、とらえそこねていた。 そうした中にマルクスが出てきた。
これは、ヘーゲルが1831年に亡くなって以降に、マルクスが、ここで歴史上初めて事柄に光をあてた問題ですね。人類の認識を一歩前進させる開拓だったわけです。 ですから、その項目の中身について、十分に意を尽くせているかどうかについては、中身に対してそれをどのようにわかりやすく表現しているかについては、割り引いて寛大でなければならないことなんです。 それは「運動させ産出する原理としての否定性の弁証法」であり、その中身は「人間の自己産出を一つの過程としてとらえ」たこと。人間がつくり出したこと、その疎遠な総体としての対象性を、人はとりもどすようにして発展していく過程である、と。その労働が今の人間をつくり出してきたんだ、等々を、ヘーゲル弁証法の成果としてマルクスはとらえたんですね。
「こんどはヘーゲルの一面性と限界を、現象学の終章、絶対知について、詳しく述べよう―この章は、現象学の総括された精神、現象学と思弁的弁証法との関係をふくむとともに、また両者ならびに両者相互の関係についてのヘーゲルの意識をもふくんでいるからである。」(P217) マルクスは、この課題と、そこで解明した事柄を明らかにしようとしているんですが。 以上が、ここまでの全体的な流れです。
これから『精神現象学』の「絶対知」の検討に入るわけですが、そのこまかな各論の検討に入る前のところに、マルクスは「主要な点はこうだ」(P217)として、問題の核心的大要をあらかじめ紹介してくれています。
1、ヘーゲルの場合は、対象性というのは自己意識だということ。そこに唯心論の性格が。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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今回も、前回に引き続き、ながい報告でした。興味深く拝読しました。「モヤモヤした状況」は、当面の問題のみならず、日本の仏教理論史にもあります。所謂「大乗非仏説」論などは、その典型でしょう。
それにしても、先の選挙では、政権与党から、最近では、所謂「野党」や「労働組合」から、昔ながらの反共攻撃が一段と強められている様に思われ、統一の分断攻勢に危惧しています。 (2021年12月20日 16時14分17秒)
渡政(わたまさ)さんへ
昨日(12.27)でみかんの収穫を、終わってはいないにしても、年内の収穫については一区切りしたから、気になっている『経済学哲学手稿』の再開です。 ヘーゲルがとらえた弁証法というのは、ものごと肯定的な理解を全面的にすると、その中から必ず課題が出て来る。ただ結論だけを見るんじゃなくて、その結論的なものというのは一つの過程のなかのもので、変化過程にある。 人がつくり出したものが対象化され、対象として疎遠なものとして人間に逆に迫っている。個人でのことは類として働きかけでもあり、その疎外した物をとりもどすことが個人の課題ともなっている。ヘーゲルは確かに『精神現象学』『論理学』のなかでそんなことを言っている。 しかし、それにもかかわらず、対象というのは自己意識であり、疎外された意識を回復することこそが一番の基本課題だとの認識をもっている。 ヘーゲル弁証法の積極的な成果とともに、問題点がどこにあるのか。いわゆる逆立の問題ですが、おうおうにして今日、それは分かり切ったこととして済まされがちですが。これをはじめて課題としたのが、『経済学哲学手稿』だと思うんですね。その過程を探究するのが宿題です。 (2021年12月28日 11時46分25秒)
この21世紀を理解するために、大変弁証法に興味、関心があります。本ブログを読ませていただくのが楽しみです。
(2022年01月30日 11時27分10秒)
主権者Aさんへ
「大事なこと」と私も思っているからこそなんですが。 日本社会は学術を討論するようには、政治世界ではなっていませんから、不毛な事態が政治を軸にしてくりかえされると感じています。 であれば、インターネットを使って、ひとつ学習会でもやってみようなどと思っている次第です。 従って、ご意見・ご批判なり、感想なりを、何かしら発信していただけると、刺激になりますので、よろしくお願いします。 (2022年01月31日 13時20分11秒) |