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『ヘーゲル法哲学』の学習(3)「君主権」 福田静夫講師の第2回『ヘーゲル哲学』学習会が、4月10日に開かれました。
私などは、マルクスの『ヘーゲル法哲学批判』を学習したことがあるんですが。 「ヘーゲルによってもっとも筋道だった、もっとも豊かな、そして究極的な形にまとめられたドイツの国家及び法の哲学に対する批判は、一面、現代国家とそれにつながる現実との批判的分析であるとともに、他面またドイツの政治的および法意識の従来のあり方全体の決定的否定でもある」(全集第1巻) 二、ヘーゲルは「君主論」をどのように規定しているか。 第275節ですが。ここでは君主権は3つの契機があり、その総体をもつと。 ヘーゲルは、みずからを国立大学の総長に指名したような、啓蒙的な君主権をイメージしていると思うんですよ。それは、憲法の普遍性とも合致していて、それをもとにして個々の意見を審議により普遍的なものにする、議会制民主主義のような、さらに君主はそうした中身を決断し・執行するものだ、と。 ここには、イギリスやアメリカ、フランスの近代民主主義の精神を、後進的だったプロイセン国家がどの様にすすんでいくのか。ヘーゲルの法哲学の世界的なスケールの大きさがあると思うんです。 三、ところが1831年にヘーゲルがコレラで突然死して以降のプロイセン国家は、どうなったか。 日本は、天皇機関説を追放して、神がかり的な天皇絶対主義に転換した。それは『満蒙は日本の生命線』、『鬼畜米英』の戦争への道、その結果が、国民の苦難な敗戦だったわけです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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貴君が常々言っている、「原典に学ぶ」からは外れてますが、当面、ヘーゲル本人との対話は、控えさせていただき、アップされるレポートを楽しみに勉強しようと思います。
今回の報告からも、何か、ワクワク感が感じられ、小生も何となく、嬉しくなってきます。新しい本を開いた時のような、期待と緊張感。 (2022年04月12日 22時17分25秒)
渡政(わたまさ)さんへ
今時ヘーゲルを読もうなんて人はなかなかいないし、さらにそれについて何かを語るなんて人は、さらにいないと思うんです。それだけ手間がかかるので。だから福田静夫氏の講座は貴重です。 私などは、前に分からないながらも挑戦していたから、それが役立ってるんですね。やはり弁証法を近代に初めて正面から取り上げたヘーゲルですから、それを検討することは科学的社会主義を学ぼうとする人には欠かせない作業だと思います。それと『法の哲学』は、マルクスの『ヘーゲル法哲学批判』(全集第一巻)で、第三部第三章の「国家論」部分については、26歳のマルクスが検討してますから、それが参考になります。 ここには唯物史観の洞察、発見する過程もふくまれてますから、注目です。 だいたい唯物史観は歴史に対する見方ですから、それ自体いくら一般論を、公式を、詮索してもたいした意味はないわけで、肝腎なのは具体的な歴史をどの様に説明するかで、具体的な歴史の過程をどの様に生きた関連性において説明するかですね。そこで理論の力のほどが、研究者の努力のほど試されるわけで、どれだけ生きた動きを概念がとらえられてるか、問われるわけですが。 『資本論』にしても、うやまい持ち上げる人はそれなりにいるんだけれど、そうした角度から光をあてた解明・解説というのは、あまり(ほとんど)ないようにおもいます。宝の持ち腐れですね。 (2022年04月15日 11時57分14秒) |