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2022年05月08日
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​ヘーゲル『法哲学』学習5 b統治権 ​

5月8日(日)、哲学者の福田静夫(日本福祉大学名誉教授 90歳)先生を講師にして、
ヘーゲルの『法の哲学』学習会が開催されました。
私などは、3回目ですが、ズームでの学習で、参加させてもらいました。



私などは、この学習会が今の日本の進路を考えるうえで、大事な要素を含んでいると思って、
あちこち紹介しているんですが、「いいね」という反応が良い方でして、
なかなか期待しているような生きた反応が無いのが状況ですが、
まぁ、それも仕方ないかと思うんですが、じつにもったいないことですね。

一、「b統治権」というのは、憲法論であり、国家行政、官僚論なんですね。

ヘーゲルの『法の哲学』は、1821年の刊行ですから、200年前のものです。
福田静夫先生は、事前に該当部分の翻訳を資料提供してくれていて、
その今日的な意味を紹介してくれてるんです。
当方は、2011年にマルクスの『ヘーゲル法哲学批判』を学習しているんですが。

第三回マルクスの『ヘーゲル法哲学の批判から』(b統治権) | みかんの木を育てる-四季の変化 - 楽天ブログ (rakuten.co.jp)


10年前のその時は、一人での手探りによる学習でした。

今回の、福田先生の『法の哲学』を聞くと、先生が長年の探究されてきた事柄ですから、
ヘーゲルが言っているその内容が、その意味が、私などにもよくつかめるんですね。
それによって、マルクスが問題にしている論点も、このなかでわかってくるんです。
ヘーゲルをどの様に理解するか、これは大事な今日において、これは問題です。

二、今回の「統治権」の学習で感じた点ですが。

同じ君主権のもとでの国家官僚論ですが。
ヘーゲルの場合ですが、その「君主権」と「官僚論」ですが、
どの場合もそうでしょうが、その時代・社会を考慮して考えなければならないということです。

ヘーゲルは、啓蒙的な君主制の民主主義的なあるべき姿を論じています。
たとえば、官僚・国家公務員は、君主の走狗ではなく、法(憲法)・人権を客観的な基準にして、諸々の国民の特殊性に具体化していかなければならない、と。ということは、今のロシアや中国、戦前の治安維持法下での日本の官僚の態度とは違うんですね。専制・独裁政治の走狗、絶対服従している官僚とは異なる姿を、官僚の現実的なあるべき姿を説いているんです。

マルクスが、直面したのは、同じ君主制でも、啓蒙君主制から専制的独裁君主にかわったプロイセン国家ですね。言論や民主主義は弾圧され、マルクスはパリに出国することでしか自由な探究や発言が出来なかったわけです。同じプロイセン国家にたいして、ヘーゲルとは違った厳しいリアルな認識・評価をしています。そしてヘーゲルのすばらしい成果とともに、そこにある問題をさぐっています。

そのことは、戦前の日本の天皇制に対してもそうですし、レーニンが直面したロシア・ツァーリ君主制も、また同じ様なものだったわけです。

三、だから、マルクスがヘーゲル『法の哲学』を批判しているのも、ヘーゲルのなかにあった民主主義的な成果をひきつぐための努力だったんじゃないでしょうか。

私の周りでも、ヘーゲルというと「むずかしい」と腰を引いてしまう人が多いいんですが。
この大事な成果を、じつにもったいないですね。なまけものにはなりたくないですね。

戦前日本の美濃部達吉氏の「天皇機関説」ですが、ヘーゲルが言っている「君主論」に重なっているんですよ。神話や無理難題、非科学的の権威主義の天皇制憲法論ではなく、法人の様に議会で決めたことをルールにのっとって執行するのが天皇機関説だったわけです。
大正デモクラシーの時代は、公認の憲法論だったのに、日中戦争などの1930年代になると、それが国賊・非国民扱いされるようになる。美濃部氏は貴族院議会で糾弾され、その著書は発禁されるようになったわけです。

いまの日本の政治ですが、日本科学者会議の6名の選任拒否ということは、そうした戦前の事態と、本質的に重なるものとみれませんか。軍国主義への動きが、重なってみえるんじゃないですか。
もっとも、いまは日本国憲法が基本にあるわけですから、時代錯誤の逆流ははね返しますが。

福田先生のヘーゲル『法哲学』の探究ですが、
今回も、果敢に説いておられました。ヘーゲルは世界的な人権の流れをつかんで、君主権や統治権を説いていること、ここには今日的に学ぶべきものがあることを明らかにされているんですね。


このことなんですね、マルクスが「ヘーゲルによってもっとも筋道だった、もっとも豊かな、そして究極的な形にまとめられたドイツの国家および法の哲学に対する批判」(「ヘーゲル法哲学批判序論」)といっているのは。

四、このことは、世界的な流れの中でも、確かめなければならないんじゃないですか。
「平和」と「民族自決権」を宣言し、それを実行したレーニンの社会主義国でしたが、戦争反対・平和を看板にした社会主義でしたが、その後の事態はどうなっているのか。

いまやロシアや中国にしても他国を軍事侵略する事態が展開しています。帝国主義と同じ行為をしでかしています。なぜこうした事態がおきているのか。世界史の大道を行くはずの社会主義国で、人権や民主主義に関する見解に、その抑圧を合理化する見解が含まれているはずです。ヘーゲル、マルクスそしてレーニンが求めた道、それとは真逆の事態と見解とは180度違った事態があるわけで、それを解かなければならないとおもいます。

何故、今ヘーゲルを学習するのか、そしてマルクスを、そしてレーニンを学習する必要があるのか。
それは、どこでこの大きな違いをきたしているのか、人権にしても、民主主義にしても、国連憲章にしても、どこで見解の相違をきたしているのか、この点を今明らかにする必要があると思うんですね。
これは、日本の進路をさぐる道でもあるんですね。

まあ、これが今回の福田先生の「ヘーゲルの統治権」の講義を聞いての、私などの感じた点であり、宿題なんです。なにか、これまで当たり前のようにしてきた事柄が、展開する事態によって、じつはそこにはおおきな問題が潜んでいることがしめされました。
今の時代がもつ歪みを正すには、この探究努力が必要だということ。
あれこれ言って逃げまわっていてはだめで、他の権威ある見解におもねるのではなく、それぞれが自分でしっかりと探究・努力せよ。

これが、私などが福田先生の講義を聞いて感じた点です。







Last updated  2022年05月08日 19時43分53秒
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Re:ヘーゲル『法哲学』の学習5、第三部・三章国家論 b統治権について(05/08)   渡政(わたまさ) さん
90歳を迎えても、なお現役の福田静夫先生は、とてつも無く素晴らしい方ですが、ズームを使って、その講義に参加している貴君も、又、素晴らしい躍動の持ち主ではないかと思います。Covid-19禍、リモートでの会議等で人気のズームですが、当方、全く使えません。ツールが理解を超えています。使えないのです。今や、ゆうちょ銀行が先頭を切って、手数料値上げを梃子に、キャッシュレス化を押し進める金融政策の中で、一人これに贖う私は、どんどん、時代から取り残される感、しきりです。 (2022年05月16日 21時21分40秒)

Re[1]:ヘーゲル『法哲学』の学習5、第三部・三章国家論 b統治権について(05/08)   はなたちばな3385 さん
渡政(わたまさ)さんへ
いやいや、状況は同じです。学習会への参加を申し込んだら、開催日の1日前にズームでやるというんです。3月の初回のでしたが。
そんなことやってこともなかったし、とにかくパスワードを入れたところ通じたんですね。前回は、半信半疑で音声で質問したら、これがつうじたんですね。
コロナでテレワークということが大企業で行われているようですが。別世界のことで、まったくの疎遠なことと思ってましたが、案外手やすいことかもしれないと、このズーム学習で感じています。

それと、ヘーゲルの『法の哲学』というのは、当時のプロイセンの君主制を元にした民主主義的なあり方をヘーゲルはさぐってますね。戦前の美濃部達吉氏の天皇機関説のもとになっている憲法論です。マルクスの批判は民主主義を推し進める立場から、君主制から民主共和制への方向へ発展させる角度からの批判です。
今日の日本は形の上では主権在民の民主的制度なんですが、それを担っている人間が亡霊に取りつかれたり、不勉強だったりで、歪んじゃっているんですね。
ようするに、ヘーゲルが考え、マルクスが追及したことと、本質的に重なってるんですね。その意味でも1821年の『法の哲学』は、200年前のものですが、それに対する批判というのは、戦前・戦後の民主主義的変革の課題と重なってるんですね。古くないです、今のことのような響きを持ってます。 (2022年05月16日 22時17分20秒)


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