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カテゴリ:本棚で見つけたこの一冊
ヘーゲル『法哲学』学習5 b統治権 5月8日(日)、哲学者の福田静夫(日本福祉大学名誉教授 90歳)先生を講師にして、 ヘーゲルの『法の哲学』は、1821年の刊行ですから、200年前のものです。
今回の、福田先生の『法の哲学』を聞くと、先生が長年の探究されてきた事柄ですから、 同じ君主権のもとでの国家官僚論ですが。 ヘーゲルは、啓蒙的な君主制の民主主義的なあるべき姿を論じています。 マルクスが、直面したのは、同じ君主制でも、啓蒙君主制から専制的独裁君主にかわったプロイセン国家ですね。言論や民主主義は弾圧され、マルクスはパリに出国することでしか自由な探究や発言が出来なかったわけです。同じプロイセン国家にたいして、ヘーゲルとは違った厳しいリアルな認識・評価をしています。そしてヘーゲルのすばらしい成果とともに、そこにある問題をさぐっています。 そのことは、戦前の日本の天皇制に対してもそうですし、レーニンが直面したロシア・ツァーリ君主制も、また同じ様なものだったわけです。 私の周りでも、ヘーゲルというと「むずかしい」と腰を引いてしまう人が多いいんですが。 戦前日本の美濃部達吉氏の「天皇機関説」ですが、ヘーゲルが言っている「君主論」に重なっているんですよ。神話や無理難題、非科学的の権威主義の天皇制憲法論ではなく、法人の様に議会で決めたことをルールにのっとって執行するのが天皇機関説だったわけです。 いまの日本の政治ですが、日本科学者会議の6名の選任拒否ということは、そうした戦前の事態と、本質的に重なるものとみれませんか。軍国主義への動きが、重なってみえるんじゃないですか。
いまやロシアや中国にしても他国を軍事侵略する事態が展開しています。帝国主義と同じ行為をしでかしています。なぜこうした事態がおきているのか。世界史の大道を行くはずの社会主義国で、人権や民主主義に関する見解に、その抑圧を合理化する見解が含まれているはずです。ヘーゲル、マルクスそしてレーニンが求めた道、それとは真逆の事態と見解とは180度違った事態があるわけで、それを解かなければならないとおもいます。 これが、私などが福田先生の講義を聞いて感じた点です。
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90歳を迎えても、なお現役の福田静夫先生は、とてつも無く素晴らしい方ですが、ズームを使って、その講義に参加している貴君も、又、素晴らしい躍動の持ち主ではないかと思います。Covid-19禍、リモートでの会議等で人気のズームですが、当方、全く使えません。ツールが理解を超えています。使えないのです。今や、ゆうちょ銀行が先頭を切って、手数料値上げを梃子に、キャッシュレス化を押し進める金融政策の中で、一人これに贖う私は、どんどん、時代から取り残される感、しきりです。
(2022年05月16日 21時21分40秒)
渡政(わたまさ)さんへ
いやいや、状況は同じです。学習会への参加を申し込んだら、開催日の1日前にズームでやるというんです。3月の初回のでしたが。 そんなことやってこともなかったし、とにかくパスワードを入れたところ通じたんですね。前回は、半信半疑で音声で質問したら、これがつうじたんですね。 コロナでテレワークということが大企業で行われているようですが。別世界のことで、まったくの疎遠なことと思ってましたが、案外手やすいことかもしれないと、このズーム学習で感じています。 それと、ヘーゲルの『法の哲学』というのは、当時のプロイセンの君主制を元にした民主主義的なあり方をヘーゲルはさぐってますね。戦前の美濃部達吉氏の天皇機関説のもとになっている憲法論です。マルクスの批判は民主主義を推し進める立場から、君主制から民主共和制への方向へ発展させる角度からの批判です。 今日の日本は形の上では主権在民の民主的制度なんですが、それを担っている人間が亡霊に取りつかれたり、不勉強だったりで、歪んじゃっているんですね。 ようするに、ヘーゲルが考え、マルクスが追及したことと、本質的に重なってるんですね。その意味でも1821年の『法の哲学』は、200年前のものですが、それに対する批判というのは、戦前・戦後の民主主義的変革の課題と重なってるんですね。古くないです、今のことのような響きを持ってます。 (2022年05月16日 22時17分20秒) |