みかんの木を育てる-四季の変化

2022/05/14(土)00:20

一歩、私の認識をひらいてくれた『日本国憲法の精神』(渡辺洋三著)

本棚で見つけたこの一冊(803)

​国連憲章と『日本国憲法の精神』​ウクライナ問題の解決していく方向性として、今「国連憲章」がクローズアップされています。 「国連憲章に基づく平和秩序の回復」との提起されているわけで、 私なども、その通りだと思うんですが。 私は、今回あらためて渡辺洋三著『日本国憲法の精神』(新日本新書 1993年刊行)を読みました。 この本を読んで感じた点ですが。私自身、これまで問題の「国連憲章」とはなにか? との点が疎かったんですね。 言葉としては知っていても、その中身については曖昧なものでした。 渡辺氏がこれを書いたのは1993年ですが、次の様に解説してくれています。「国連憲章は、人類の何千年の歴史と何千万人の血の犠牲の上に、「正義」という目的を掲げれば戦争をしてもよい、という自由来の古い考え方を一掃する新しい平和の考え方を、高らかに宣言したのです。第一に、憲章では、すべての主権国家は平等であり、内政や内戦に他国が介入してはならないという原則を確立しました。第二に、もし国と国との間に争いごと(紛争)が起こっても、武力を行使する戦争という手段でこれを解決してはいけない、平和的手段、つまり非軍事的手段で解決しなければいけないということ、言いかえれば紛争の平和的解決という原則をきめました。第三に、そのためには、国連に加盟している一つ一つの国が、武力行使することを禁じています(憲章第二条第四項)。さらに、武力を実際に使わなくても、強い軍隊を持って、武力を使うぞといっておどかすこと(武力による威嚇)をも禁止することにしたのです(同条)。この、武力による脅かしをやめなさい、ということまで決めたのは、国際法の歴史で最初のことです。これらの原則は、軍隊の力によって平和を守るというこれまでの古い考え方を、世界から一掃して、軍隊に頼らないで話し合いによる紛争の解決をめざすということです。これが、第二次大戦後の憲章の新しい平和原則というものです。」(第三部平和の基礎 P134-5)くりかえしになりますが、渡辺氏がこの解説を書いたのは1993年なんですよ。今回のウクライナ問題が起こるはるか以前に国連憲章の中身について明確に指摘したていたんです。 この指摘を読んで、これが本当かどうか、あらためて国連憲章をひらいてみたんです。 すると、国連憲章というのは、短く簡潔にして、明瞭な文章なんですね。「前文」と、第一章「目的および原則」の第一条、第二条で、このことが書かれているんですね。 A4の1ページくらいです。それを要約すると渡辺氏が解説している三点になるわけです。言葉としての「国連憲章」だけでなく、それだけでは枕詞の様になりますから、一歩踏み込んでこの内容を紹介する必要があるんじゃないかと思います。というのは、私などの様に下世話なものは、日常のこれまで生きてきた中で、この具体的で簡単な中身については、実際のところその言葉以上のことについては疎かったんですね。私だけじゃなくて、まわりを見た限り、世間一般に疎いんですよ。だからこの正しい主張が生きたものとなるためには、力を発揮するためには、この一歩の中身を語っていく必要性があるんじゃないかと、私などは感じた次第です。いくら正しいことでも、それを一般的に言っているだけでは、それでは不十分だともいます。言葉以上の具体的な中身に入らなれければ、理性は発揮されないと思います。 もう一つ、この著作で感じた点ですが。 それは第一部の「民主主義と法」の部分で書かれているんですが。 2015年の「戦争法」の時から問題になっている「立憲主義」の問題、憲法や法は国を縛るものだとの主張がはっきりと書かれています。さらにそのことは、日本に戦後社会において、どうしてその認識が弱いのか、日本の近代史の特徴からその問題を解いています。この点も改めて、渡辺洋三氏は2006年に死去されているとのことですが、社会的に国民意識に、私などの意識に、問題になるはるか以前から、「漫然としているだけではだめだよ」と、渡辺氏は警鐘を鳴らしていてくれていたんですね。今ごろになつて、私などはそれに気が付いている次第です。

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