甘夏をすべて収穫
今回、小田原のみかん園へ出かけたのは、甘夏を完全に採り終えるためでした。
次の写真は、4月26日の、収穫を開始し始めた時の様子です。
この5月いっぱいの作業は、
この木の収穫にくわえて、知人からあずかった甘夏を販売したんですが。
どのくらいの量をあつかったでしょうか。
とにかく、4週間の朝市は、甘夏が中心の販売だったわけです。
今回、6月1日の収穫ですが、高い枝先に残っている甘夏をとるわけですから、
1個1個を採るのが、命がけでして、しかも手間がかかるんですね。
しかし、6月1日午後1時半でしたが、すべての甘夏をとりきることが出来ました。
私もホッとしましたが、
木の方も、重荷をおろしたことで、なんとなくホッとしているような感じがします。
しかし、休む間もなく、ただちに梅の収穫です。
次の写真は、今回のものではないのですが、
写真どころじゃなかったんですが、
まぁだいたいこんなところです。
梅は、今が青梅で梅酒や梅ジュース用ですが、
6月の中旬ころになると、熟した梅干用の収穫をします。
収穫期間が短いんですね。
小田原港の野菜売り場で、大粒の南高梅が1キロ950円で売ってました。
農家の方に聞くと、「当地の梅は、1キロ650円くらいじゃないか」といっていました。
当地の農家は、みな自家需要ように梅を栽培しています。
しかし、今は甘夏の収穫や草刈り作業で忙しくて、なかなか梅の収穫まで手が回りません。
都会人は、『梅があるなら、うちの方に提供してよ』なんて言うんですが。
問題は、誰が梅を採るんだ、ということです。
梅はあっても、商品として出荷をする人は、良い商品に育てて、収穫していますが、
それ以外の一般的な人舘は、みなへとへとになっていて、それどころじゃないんです。
人を雇ったとすれば、仮に日当一万円払うとしたら、
そのためには、どれだけの量を収穫し、販売しなければならないか。
「梅があるんなら、ほしい」などと、簡単なわけにはいかないんですね。
でも、私は、甘夏の収穫を終えてから、45キロの梅を採りました。
そして、その翌日の本日は、25キロの梅を採って、計70キロをとって、多摩に帰ってきました。
6月4日の朝市ですが、今回は、甘夏とともにこの梅を販売します。
ところで、みかんの発送をするために、農協に行ったんですが、
農協の事務所に、次のようなパネルが掲示されてました。
私は、預金するほどお金などないんですが、
だから、あまり以前から掲げてあったこの表に、意識することはなかったんですが。
「日本銀行は子会社のようなもの」なんて本音を言った元総理がいますが。
今の日本はアメリカがしているように、金利政策で経済の調整をするという機能が働いてませんね。
金利のゼロ政策が、政治的に押しつけられているようです。
そのために、日銀総裁の首をすげ替えまでしているようです。
いったいなぜ、こうした事態が続いていねのか。
菅首相になっても、岸田首相になっても、辺野古新基地建設と同様に続けられてますね。
経済学というのは、学術であり科学ですから、この事態というのは、どういうことなんでしょうね。
アメリカの金利のが高いから、日本で余っているお金が、アメリカに流れることて、儲かったり助かっている人たちがいるというんですが。
みかんの農夫は草刈りでヘトヘトになっているんですが。
しかし農夫としても、なぜこうした普通ではない経済政策が続けられているのか。
なんのために、こうした経済政策がとられているのか。
誰がそうした政策を支持しているのか。
誰がそうした事態により得をしているのか。
この設問ですが、たまたま農協事務所で、発送の伝票処理をしてもらう待ち時間に、ふと目についた表なんですが。
調べてみる必要があるとかんじました。