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2022年06月26日
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ヘーゲル『法の哲学』11 マルクスの批判

福田静夫先生のヘーゲル『法の哲学』学習会は、次回を7月10日に、c.立法権の後半を予定しています。
後半というのは、第310節から320節ですが。それは今回の第26回参議院選挙の投票日にあたるんですが、
先生が、どの様な解説をしていただけるか、注目されるところですが。
今回は、その予習です。
私などの淡白なものですが、それは今日的な意義をもっていると思います。




一、前回の講義は、まだその講演の録音が到着してませんから、正確には紹介できないんです。
ただ、福田先生はその講義の冒頭で、カントの『永遠平和のために』(岩波文庫)を紹介されてました。
私などは、本は持っていたんですが、本棚でほこりをかぶっていたんです。
なんでこの本を紹介したのかは、書名のみ記憶に残るだけで、中身は受けとめきれませんでした。


カント著『永遠平和のために』(岩波文庫)を、項目程度ですが、ざっと目を通してみたんですが。
1795年にケーニスベルグで出版されたものだそうですが。

今の、ロシアのウクライナ侵略に対して、また日米安保条約に対して、核心的な批判をしてるんですね。
第一章は、六つの項目からなってますが、
1、将来の戦争の種をひそかに保留する平和条約は、決して平和条約とはみなされない。
2、独立している国家を、他の国が取得するようなことがあってはならない。
3、常備軍は、時とともに全廃されなければ似らない。
4、国家の対外紛争に関しては、いかなる国債も発行されてはならない。
5、いかなる国家も、他国の体制や統治に、暴力をもって干渉してはならない。
6、いかなる国家も、戦争において、将来の平和時に信頼を壊す行為をしてはならない。

さらに第二章として、三つのこと、
1.共和制の必要、2.国際法は自由な国家の連合を基礎に、3.世界市民法は友好をもたらす諸条件に限られなければならない。

カントは晩年にこんな考察、提言を残していたんですね。
短い文章ですから是非読んでみてください、大変今日的なんですよ。
福田先生が、何故あえてこの本の紹介をしたか、だいたいうかがえると思います。

二、私は、以前にマルクスの『ヘーゲル法哲学批判』を読んでいるんですが。
マルクスの『ヘーゲル法哲学批判』は、『法の哲学』のc.立法権の第313節までなんです。

10年前の2011年10月29日ですが、参考までに紹介しておきます。

最終回 第15回マルクスの『ヘーゲル法哲学の批判から』(c立法権 その12) | みかんの木を育てる-四季の変化 - 楽天ブログ (rakuten.co.jp)

これは65歳、職場が継続雇用の時期に入った時に、東日本大震災が発生して、時差通勤することで、早朝に学習時間がとれるようになったんです。

だいたい、マルクスの『ヘーゲル法哲学批判』については、まともに吟味したものなどないでしょう。
だいたい、「マルクスは弁証法について、ヘーゲルについて、まとまったものは残さなかった」なんてことが、まかり通っているでしょう。それはマルクスで書簡述べていることを根拠としたものですが。
しかし、公刊されたものとしては無いかもしけませんが、出版できなかった草稿には、『経済学・哲学手稿』しかりですが、しっかりと残ってるじゃないですか。この『ヘーゲル法哲学批判』にしても、またしかりです。残されてるんです。不勉強な、勝手な御託が、事実を検討することを妨げているんです。

ただし、この検討がおこなわれた1843年といえば、マルクス25歳ですよ。ヘーゲルが『法の哲学』を刊行したのは1821年ですし、1831年にはペストのパンデミックで、61歳で亡くなっているんです。12年前に亡くなった大先輩を、若きマルクスが批判しているんですから、すごい才気を感じますが、同時に冷静で客観的な検討が必要だと思うんです。

エンゲルスがマルクス死後に『フォイエルバッハ論』を書いますが。これは、マルクスの遺稿を調べるなかで、若き頃は刊行できずにしまわれていたもの、そのため社会的には知られることがなかったもの。そのヘーゲル弁証法の批判を、空白になっていた部分を埋めるとともに、そうした難書を探究していくための、手引きを意図して書いたんだと思うんですよ。字面を解釈するんじゃなくて、そうした位置をもつものとして、手引きとして生かす必要があると思うんです。

三、今回、前回のレポートを再び読み直したんですが、第311節についてですが。
それをどう感じたか、ということですが。

一つは努力賞ですね。一介の学徒が、一般にはおざなりにされていた宝に、よくぞ食らいついたな、ということです。しかしやはり、マルクスをとおしてヘーゲルを理解しようとしたわけですが、そこには難解で手探りしている状態が見えると思うんですよ。大体、こんな問題を誰かと討議することなんて、そんな機会はまわりには、そんな条件は、ほとんどなかったわけですから。まぁ今だって、同じですが。

二つ、やはり、ヘーゲルはプロイセン国立大学の総長をも経験した人でもあり、大御所です。25歳のマルクスは、その主著の一つを批判の対象にしています。ヘーゲルは啓蒙君主制の民主主義的なあるべき理想を、立憲君主制のありかたを説いてますね。理念が現象になって現れる、現象は理念のあらわれとの見地です。これに対して、マルクスの時代は、1840年代になるとプロイセン君主制は違っていた。フォイエルバッハやマルクスは教師の道を断たれる。ライン新聞は検閲で廃刊させられて、マルクスはフランスに亡命せざるをえなかったわけで、反動的な専制君主にかわったプロイセン国家の反動的な現実とたたかわざるをえなかった。

マルクスは、ヘーゲルが『法の哲学』で提起している問題に対して、大事な成果とともに、その中にある個別のおかしな、誤った見解を検討しています。その問題の原因となっている哲学の根本的見方にたいする批判について探らざるをえなかったことが見えてきます。

何度もマルクスの言葉を紹介しますが、

「ヘーゲルによってもっとも筋道だった、もっとも豊かな、そして究極的な形にまとめられたドイツの国家および法の哲学に対する批判は、一面、現代国家とそれにつながる現実との批判的分析であるとともに、他面また、ドイツの政治的および法的意識の従来のあり方全体の決定的否定でもある」(『ヘーゲル法哲学批判序論』より 国民文庫 P340)

ここに核心があると思います。

三つ、この「他面また、ドイツの政治的および法的意識の従来のあり方全体の決定的否定でもある」との点ですが、

今回のところでは、「代議制度の場合、ある状況において選挙で棄権者が多くなる場合があり、そのことが不義な政権によって利用されている」と、これは事実のするどい追跡だと思うんですよ。今日の日本でも、見られることじゃないですか。
しかし同時に、
マルクスはこのヘーゲルの主張の中にある問題点を書き出しています。

1821年の『法の哲学』第311節の注釈について、その批判ですが。

マルクスは、ヘーゲルが、現状を批判的に見るのではなく、理念が現象としてあらわれとみることで、現状を理性のあらわれとしてとらえることから、現状を合理化し弁護しちゃっていること、この点を批判しています。
ヘーゲルが「見下すような官僚の高慢さ」で、「上から目線」による、「偏狭固陋なお役人気質」の態度で、「選挙なんて意味がない」「官僚こそ最も正しい知識と判断をもっている」などの見解を述べている。このことをマルクスは批判しているんですね。

ようするヘーゲルが理念として考えているように、何か素晴らしい精神が天(どこからか)下ってくるものではなくて、現在の諸々の矛盾に満ちた現象・運動の中から、意識的にとらえたものが精神であり、現実の概念的な把握なんですね。したがって、一見すると真逆な否定的な現象の中に、まだ明らかになっていない大事な事柄が秘められているということです。大事な点は、批判的意識によりそれを探りだすことです。

ヘーゲルには俗人的な面もありますが、大事なのは逆立ちしている考え方の問題です。しかし近代において逆立ちした形であっても弁証法を意識化した大な功績を残した人なんですね。マルクスの努力というのは、弁証法のヘーゲルによる逆立ちを正して、現状の矛盾を分析して、それを総括したものとしての概念ととらえた。このことから、ヘーゲルが検討していることがらから、その本当の帰結を引き出すことが大事になっている。マルクスは言いたかったのはこの点かとおもうし、また課題として提起しているんじゃないかと思います。


前回は、ヘーゲルを読み込むことがお粗末だったんで、問題がよく見えなかったんです。
今回は、福田先生の姿勢にならって読みなおそうとしてるんですが、
そうしてみると、
こんなことが、新たにメリハリをもって見えてくるわけです。


まあ、今回は以上です。
これをもって、7月10日の予習としておきます。






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Last updated  2022年06月28日 09時28分41秒
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Re:ヘーゲル『法の哲学』11 マルクスの批判は吟味に値すると思います(06/26)   渡政(わたまさ) さん
忙しいであろう昨今にも関わらず、順調に学研を進めているようで、恐れ入ります。「予習」のレポートのはずですが、「復習」の総括言って良いのでわないでしょうか! (2022年06月28日 21時04分25秒)

Re[1]:ヘーゲル『法の哲学』11 マルクスの批判は吟味に値すると思います(06/26)   はなたちばな3385 さん
渡政(わたまさ)さんへ
大部の範囲を話されるもので、それをこなすのは大変です。だたいた講義を聞いちゃうと基本線がひかれちゃうじゃないですか。だから、復習も予習も大事になります。この選挙と草刈りの中で。
学生時代にも、こんな復習・予習に取り組んだ記憶がないんですが。それもまたよしです。
(2022年07月01日 17時28分03秒)


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