国民をまったくバカにした政治
本日・8月13日付の新聞紙面を見て、ルソーの言葉がよみがえりました。
「イギリスの人民は自由だと思っているが、それは大まちがいだ。
彼らが自由なのは、議員を選挙する間だけのことで、議員が選ばれるやいなや、イギリス人民はドレイとなり、無に帰してしまう。」(ルソー『社会契約論』岩波文庫P133)
この言葉の意味が、じつにはっきりしてくる7月10日の参議院選挙後の日々です。
こうした政治方向・政策というのは、選挙の時の公約としてはっきり述べられていたでしょうか。
経済産業省の大臣は、岸田首相の原発を最大9基の再稼働をすすめるに対して、「それを上回る再稼働をすすめる」というんです。
統一協会と政界との癒着は、安倍元総理の銃撃によって、選挙後に明らかになったことですが。
統一協会の認証を書簡した文部科学省ですが、その女性新大臣は、
「統一協会の名称変更に、文科省の手続きに問題はなかった」と。
また、新防衛大臣ですが、
「防衛費の抜本的強化に必要となるものの裏付けとなる予算をしっかり確保していきたい」と。
この関係が分かりますか。
ようするに、親分の意向に忠誠を尽くす人しか、大臣になれないということ。
岸田内閣の政策を、忠実に推進する人しか担当大臣になれないとの関係です。
俗にいえば、太鼓持ちしか大臣になれないということです。
親分の顔色を見る人しか、担当大臣になれないということです。
これじゃぁ、福島県民の声が届かないのも、沖縄県民の声が届かないのも、当たり前ですね。
一蓮托生の仲間としてグルとなっている人たち、利権を何としても変えたがらない、わからない名誉心で親分に群がる政治家集団です。口先だけは国民の苦しみが分かったような演技をしますが、その実際の価値基準はまったく違うということです。上の顔色しか見ておらず、国民の願いを如何に知ったかぶり、蹴飛ばすことを常習とする、これが今の政権政治の実際です。
この実際の関係を1億2000万人の国民に、どれだけ明らかにできるか。
その真相を、事実をもってどれだけ具体的に明らかにできるか、それが問われているということです。
ところがインターネットを見ていると、「馬鹿だ、バカだ」と相手に否定的言葉を投げつけるだけで気持ちを癒しているような人たちを多々見かけるんですね。コメンテーターの多くもそうした類ですが。
それではその人個人のストレスを解消しているにしかすぎません。
問題は、近代日本の歴史的課題です。そして戦後日本がもがいている課題ですから、何が問題なのかしっかりと万人が納得する事実に基づいて明らかにすること。それを国民的にあきらかにして共有するようにしてこそ、問題を打開する、国を動かしてゆけるような国民的共同がつくれるんだと思います。
その努力が、薄っぺらだと思うんです。そのためには、何が、どの様に問題かを、しっかりと明らかにしていくことが、それを今の時こそ、求められているんだと思います。
私などが、ヘーゲルやマルクスに、四の五のとこだわっているのは、そうしたためでもあるんですが。