2024/03/18(月)16:48
マルクスの「ヘーゲル弁証法」批判(その7)、頭を整理します
マルクス「ヘーゲル弁証法」批判(その7)、頭の整理マルクスは、なぜ、どの様にヘーゲル弁証法を批判したのか。
これが、目下のテーマとしているところです。『経済学哲学手稿』、その「ヘーゲル弁証法批判」を対象としているんですが。
今回は、ウロチョロしているこの間の事態ですが、その頭の整理です。というのは、初めこの問題は以前に(2012年に)、8回でまとめたものだから、
10回くらいで、今日的には済むと思っていたんですが。
やってみると、次々に問題が広がっていってしまうので、どうなるか目下思案しているところです。
そもそも、この主題はなんなのか、何が問題なのか。
私などが思うのに、
ヘーゲルですが、かれは、一般的には自然と社会、思考の、ものごとの発展原理としての弁証法を見つけたんです。一般的な法則性を、原理を見つけたんです。
あのゴチャゴチャした-『精神現象学』、『論理学』、『歴史哲学』、『法の哲学』などのの中で。
ところがそれは、人の意識の上にある、意識をつかさどっている概念がもとになっている原理であり、ものごとのすべてはその概念のあらわれであると見たんですね。すべての現実はその現れなんだと。その概念のさまざまな現れにすぎないと。たしかに世界の歴史の発展・関連を洞察しているんですが、それが概念のあらわれであると、独特の考え方での中での認識だったんです。その著作にあたると、難解な表現ですし、何を言ってるのか理解するのにややこしいんですが、しかし、ヘーゲルは世界の発展ということを、たしかに洞察していたんですね。
このややこしい問題ですが、それを解きほごしたのが、マルクスなんですね。私などは、マルクスの『経済学・哲学手稿』が、その最初の表明だと思ってるんです。
それは、1840年代のこと。
24歳の若ものですよ。
彼が格闘し、開拓した成果ですが。
それはその当時、発表することは出葉ませんでした。結局、草稿のままお蔵入りしていました。
その後、1883年に当のマルクスが亡くなって、その遺稿集を調べていたエンゲルズがその草稿を見つけました。
それは、ともにエンゲルス自身も歩んだ、科学的社会主義の唯物弁証法、唯物論的歴史観がどのように確立してのか、その大事な問題です。
しかし、それはそのままでは、大部でややこしいものでしたから、そのままでは出せません。エンゲルスはそれを『フォイエルバッハ論』(1886年)に整理して紹介しました。貴重なものです。
私などは、その内容をなんとか紹介しようとしているんですが、なかなか容易ではありません。
あらためて、『フォイエルバッハ論」を手引きにして、その頃を、1840年代をさぐってみたんですが。
これは、すばらしいですね。「マルクス・エンゲルス全集」の第一巻、冒頭の諸作品ですが、これを読みました。『ライン新聞』に掲載された作品です。
「プロイセンの最新の検閲訓令に対する見解」
「第六回ライン州議会の議事-出版の自由と州議会での討論の議事録」「共産主義とアウグスブルグ「アルゲマイネ・ツァイトリング」
「第六回ライン州議会議事-木材窃盗取締法に関する討論」
「モーゼル通信員の弁護」
問題が問題ですから、理屈っぽくて、なかなか読むのは厄介なものですが。しかし、助太刀がありました。
今進行中の国会での政倫審ですが、その論議をきいていると、似たような論議なんです。抑圧された名もなき貧民の人権です。言論自由、民主主義的な権利を擁護して、我一人たたかう。何にものをも恐れない気骨ある言論です。
今から180年前の議会討論の分析ですが、今に通じるような感じがして、新鮮に読ませてもらいました。
日本の近代史においては、どのような意味をもつのか。
プロイセンと戦前の日本とは似ています。
同じような専制君主制の下で、戦前の治安維持法の弾圧の下で、日本の先人たちは『唯物論研究会』など、世界に誇れる紹介と探究をしてきているんです。
しかし、私などが見るのに、なかなかその成果というのは今に伝えられてません。
時の流れで、当時の大御所たちは、森宏一氏をはじめ、頑張った人たちが、みなあの世に旅立っています。
その成果ですが、はたして今日に継承されているでしょうか。今日に受けとめられてるでしょうか。そんなモヤモヤの中での、一册を紹介します。
『シンポジウム-日本マルクス主義哲学の方法と課題』(新日本出版社 1969年刊行)
これは、戦前の「唯物論研究会」の成果を総括しようとしている試みだと思うんですよ。
私など素人が、学生時代に、たまたま手にした一冊です。
これが、戦前の哲学者たち苦闘の経験を総括しようとする、そうした意義をもつ討議だったと、その後になって私などはわかりました。しかしながら、社会一般を見るのに、そうしたことは、あまり紹介も議論もされることがないんですね。
私など素人の一般市民が、それを四の五の言う筋合いではないんですが、それを言うべき人たちがいるはずなんですが。私などは心配なんですね。
それらが宝の持ち腐れになるんじゃないかと。それじゃぁ、先人たちの努力が、余りにももったいないんじゃないかと。
というのは、たまたまですが、
ごみ屋敷の本棚を整理していたら、こんな本がいろいろ出てきたんです。
その一つは、昨年・2023年の6月に亡くなった人の遺作です。
私などが小田原・早川でみかん作業をしていますが、そのみかん園の園主で、その遺稿の句集です。もう一冊は、古典です。
1901年12月13日に亡くなった中江兆民の『一年有半』(中央公論)です。
人は、死期を覚悟した時に、そのそれまで生きてきた存在意義をかけて、
今を生きている人たちにたいして、
その『遺言』ともとるような、天上の悟りともいえるメッセージを残してくれてるんですね。
その点では、二つは共通です。
中江兆民の一節を紹介します。「考えることのきらいな国民-日本人は利害にはさといが、理義にくらい。流れに従うことを好んで、考えることを好まないのだ。だから、天下のもっとも明白な道理をも放っておいて、怪しんだことがない。なが年封建制度を甘んじて受け、侍たちの跋扈(ばっこ)をみとめ、いわゆる切りすて御免の暴力にあっても、かつてそれと争ったことがない理由は、まさしく考えることがないからである。だから、おおよそそのすることは浅薄で、十二分の地点につきすすむことができない。」(P381)
2024年の今日ですが、
120年前の先人のこの指摘ですが、
その指摘に甘んじないような私たちでありたいものです。