みかんの木を育てる-四季の変化

2024/08/29(木)00:13

「小田原史談会」という歴史の愛好者と、今回出会いました

本棚で見つけたこの一冊(827)

​「小田原史談会」を紹介します​台風10号が、日本列島にそうように近づいています。 みかん園のある小田原ですが、ここでもカンカン照りかと思えば、突如として大雨となります。 今回は、天候の様子をにらみつつ、できることでのみかん畑の手入れでした。しかし、大きな収穫がありました。「小田原史談会」との出会いです。 「小田原史談会」の会報、2023年10月(275号)から2024年7月(278号)をいただきました。私のブログを見ている方はご存じでしょうが。 私などの認識としては、 当地の小田原は、自然としては、みかん、漁業、石の採掘、温泉です。 歴史としては、源頼朝の旗揚げの地、豊臣秀吉の天下統一の一夜城、関東大震災の震源地、 などが定番材料として、 みかん園に来る人たちに、素人の浅知恵をふうちょうしてきていたんです。 今回、この「小田原史談会」の会報を見ると、2023年10月 275号は、関東大震災を今とどめる記録を、埋もれていた拓本からさぐる。 2024年1月 276号は、東海道・箱根の甘酒茶屋の13代目の山本さんの話。 2024年4月 277号は、「関東大震災は繰り返す」-県温泉地学研究所の本多主任研究員の話。 2024年7月 278号は、小田原藩が平民の二宮尊徳をなぜ登用することにしたか。ようするに、レベルが違うんです。 東京・八王子にも「史談会」があって、八王子の歴史の発掘を紹介しているはずですが、 小田原もまた、その歴史を、独特に発掘しているんですね。 これって、すごいことだと思いませんか。 歴史の愛好者は、歴史の真実を探る、それこそ損得が抜きなんです。 そこには、歴史教科書の全国的に一般化した定説、これは歴史として大事なんですが、 もっと、具体的な様子が発掘されていて、たいへんドラマチックなんです。 だいたい、関東大震災の震源地地は小田原方面ににあった、 首都東京はマスメディアも発達してますから、新聞も写真も残る。 私などの小田原・真鶴などは、へき地の寒村でしたから、 その震源地にもかかわらず、一般にはその記録材料がないわけです。 体験者はいなくなる。第二次世界大戦の経験だってそうなように。ところが、石文などさまざまな形で、その体験が風化しないようにと、 先人たちは、その記録を残しているんですね。 しかし、それは注意しないと、人の目にならない、埋もれた記録なんです。 それと、科学です。 小田原は、箱根の温泉がありますから、伊豆や箱根など地震・地質学の銀座です。 現代科学が、それにどの様なアドバイスを提供してくれているか。 こうなると「小田原史談会」の会報は、 たんに歴史といっても、そのスケールは広大ですね。 たとえば、小田原は二宮尊徳が生まれた地ですが、 彼は歴史の都合により「芝刈りなわないわらじをつくり」と天まで祭り上げられた苦労・努力の代名詞のような人ですが。 しかし、それなりに身分制度の厳しかった時代にあって、それなりに評価される根拠があるんです。 江戸時代の小田原藩、さらには徳川幕府というもの、その事情を知るうえで、この人はやはり貴重な存在なんですね。時代の制約をこえるような、そんな人でもあったんです。それを、どの様に「小田原史談会」が紹介しているか。これは、これから読むところで、これからの楽しみですが。 しかし、確かなことは、「小田原史談会」の会報を、まだ1つ2つしか読んではいないんですが、 それは、それなりに史実を大事にしている、歴史の具体的根拠を大切にして紹介していること。 当り前と言えば当たり前ですが、昨今の風潮からしたら、これは一つのポリシーですね。 そんなポリシーが、故郷の小田原で、今に頑張っていることを知って、 どこからともなく、ほほえましく感じます。 会報の最新号は278号だそうですが、 これまで、どのような探究をされてこられたのか。 これは、全国の歴史ファンが、注目してしかるべき努力の積み重ねですね。 さすがは、小田原です。 あらためて、その努力の積み重ねに認識を新たにしました。

続きを読む

このブログでよく読まれている記事

もっと見る

総合記事ランキング

もっと見る