「十五夜」の月
9月17日(火)は「十五夜」でした。
小田原から見えた満月の月です。
『源氏物語』にも、月を見ての思いが記録されていたかと思います。
道長の歌にも歌われてます。
この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の
欠けたる ことも なしと思へば
その歌ごころは、私などにはわかりません。
どの様なメッセージをこの歌に込めているんでしょうか。
私などが勝手に思うには、
むかしから、この満月を多くの人が感動して見てきたと思う。
だけど人の人生は短い。
満月をひとの今の人生にたとえれば、満月の時というのはこのほんのひと時なんだよ。
その時を喜ぶとともに、満ち欠けする月と人生にたいして、覚悟して備えよう。
そのように勝手に、私流に解釈しました。
というのは、
私などは、小田原でみかん園を営んでいて、思うんです
自分も齢74になります。
自分の体力も、頑張ってはいるんですが、その峠を越えてるのを感じます。
まわりのみかん園の園主さんたちを見るに、同輩なんですが、
というか、むしろ私などが青年部の部類なんです。
今の農政は、農家に心を寄せていません。
「あんたたちが、自力で活路を開け」といったことで。
1960年代以降、ずっと減反と農産物の自由化をすすめてきたわけです。
外国から安い農産物を輸入して、国内の農家を成り立たせなくしている。
「宅地並み課税で40万円の税金支払いに対して、必死に手入れしてみかんの収入は15万円」
こんなんじゃ、まともな農業はやってけっこないじゃないですか。
大事な子どもたちに、その後を継がせるなんてわけにはいかないじゃないですか。
そのため、70-80代の高齢者が、農作業の担い手です。
あと5年の先は、今の放任策、首絞め策を変えれないとしたら、農家はどうなるのか。
今行われている自民党の総裁選挙で、この現実が少しでも語られてますか。
かつては、国民の食政策を守るために政治家も農学者とともに努力してきていたんです。
しかし、今の現実はどうか。
「新しく、変える」なんて、調子のいい言葉を並べたてていますが、
その態勢は、実体は、今の流れにずっぽりつかって、その促進をそれぞれ競っているわけです。
したがって思うんです。
仮定法で読むと、
「望月の欠けたる ことも なしと思へば」ですが、
逆読みすれば、
「もしも、欠けていく事態が予想されるとすれば」、です。
そうした事態をよくよく検討して、
為政者というものは、それに対して、しっかりと備えなければならない。
戒めの句と読みました。
ひるがえって、今の自民党総裁選挙です。
「政治資金をごまかし」「軍備を大増強し」「原発を再稼働し」「農業を破壊する」
口先だけのせこい誤魔化しで、基本路線はこれまでの継承なんて、
反省なき政治は、現状を厚化粧したごまかしです。
この事態を、本当にどうしたら変えれるのか、
それが私たち国民に問われています。