マルクス『経哲手稿』「ヘーゲル弁証法批判」46まとめ
マルクス『経済学哲学手稿』「ヘーゲル弁証法批判」の学習は、2023年12月17日から始まって25年3月7日の第44回で終わりまで来ました。
いま、そのまとめをしているところですが。

このややこしい学習が、なぜ途中で放棄することもなく終わりまで来れたかという要因ですが、これにはいろいろなかたちでの応援があったからです。
私などは、壁に向かっての達磨大師のような学習だ、とぼやきにぼやいていたんですが。
実はちょっと違うことに気がついたんです。
この学習には、コメント欄に寄せてくれた知人がいます。その会話が貴重でした。ふりかえると、それがその都度、前にすすむステップになったとおもいます。
こんなややこしいテーマに、コメントしてくれるなんて、普通ありえないことです。それが22回の感想ですよ。いわば共同の努力だったんです。ですから本当はそれを紹介したいんですが、しかしそれはバランスがとれなくなることがわかりました。これが第一の続けれた要因でした。
第二は、ヘーゲル学習の仕方を、日本福祉大学の・福田静夫名誉教授の学習会に、2022年度の1年間、ズームでの学習に参加させてもらったことです。ヘーゲルの本は、どれも読むのが容易ではないんですが、『法の哲学』の国家論、『歴史哲学』の「ゲルマン民族」について、どのように学習するかを、教えていただきました。12回の学習をさせてもらいました。
今回の学習でも、二重の接近の仕方ということがありますが、この対象を文節に区切って、先ずはその言っていることそのものによく通じること、その基礎の上に意見をもつこと。これは、マルクスが『資本論』第2版の「あとがき」で、研究と叙述の仕方で言っていることに通じると思いますが。
福田先生は、ヘーゲルのドイツ語版をご自身で訳して、資料として事前に提供してくれ手の学習です。「これぞ学者的良心」といった精神を感じさせてくれました。
わたしなどは、とてもとても、そこまではゆきませんが。しかし、しっかりヘーゲルの言っていること、その精神をつかむようにという点では、その都度学ばせてもらいました。ヘーゲルの理解をしなくては、ここでマルクスの言いたい点は理解できないということです。
第三は、哲学者の岩佐茂先生から、『経済学哲学草稿』の「ヘーゲル弁証法と哲学一般の批判」についてのレジメをいただいたことです。
これは、途中で道に迷わないためには、全体像をつかむようにして学習していく必要があるよということですが。これは、ヘーゲルも『哲学史』序論でアドバイスしてますし、ヘーゲルもマルクスも、序論と本論のかたちですが、実際に学習の仕方でもしめしてくれていることですが。
この見取り図づくりも、終わりまで来れた要因です。
こうした励ましのほかにも、ふりかえると、その都度、様々な形で感想や意見を寄せてくれた方たちがいるた。さらに声はなくても閲覧の数に関心度がでてきます。
こうした応援をしてくれた人たち、などなど。
よく注意して見たら、この学習が「達磨大師」どころじゃなかったんです。
それを感じるようになったので、なんとか終わりまでつづけれたということです。
もちろん、基本的には、マルクスが発見した「唯物弁証法」の内容とその意義の大切さですね。これは人間の生きる基本姿勢に関係してきます。ものごとに接していくときの仕方の問題でもあります。ものごとを探究の方法でもあり、努力の仕方です。そうした中身をつかんで、もっとひろく紹介してやりたいじゃないですか。人類の英知の宝を、持ち腐れにするわけにはいかないじゃないですか。
ということで、みなさんに感謝しつつ、
もっか、そのまとめをしているところです。