叔母の7回忌法要
日々の暮らしはドタバタとして、7年もの年月が過ぎたということ。
本日、4月19日に、小田原の本誓寺にて、叔母の7回忌法要が行われました。
昨日は、繁茂の始まりだした雑草に対して、無除草剤散布をしたんですが。
作業をしている直ぐ近くで、キジが鳴いていました。
これは、畑へ向かう途中での農道です。
キジがゆったりとして逃げない、車の先導をしてくれていたんです。

だいたい、7回忌の法要に参加できるなんてことは、私の経験ではなかったことなんですが。
しかし、今回、お声がかかりました。
叔母は、私の母親の三人姉妹の一人でして、私とは10歳しか違わないんです。
ずーっと箱根で、教員家族用のリゾート宿泊施設で働いてきました。
その叔母ですが、亡くなる頃になって、私などは、大きな問題だと知ったんですが。
三姉妹のなかで、この叔母については、実の姉妹ではなかったんですね。
後から知れば、いろいろと、自らのルーツについて、葛藤があったようです。
しかし、私などには、その葛藤の影をちっとも示さなかったんです。
だからそのことは、私にとっては問題にならなかったし、気がつかなかった。
しかし、自分のルーツの問題です。
子どもたちには、いっさい示さない中で、大葛藤があったようです。
そして、亡くなる前に、すべては収まるところに収まったようです。
「良かった、よかった。感謝、感謝」といって、旅立って行ったんです。
7回忌というのは、不思議ですね
人が死ぬということは、その人による、新たな話題というのは出て来ようがないんですが。
しかし、今を生きているものは、その後に今につづく暮らしの中で、
その故人について、以前は気づかなかった、意識には浮んでこなかったこと、その人の内包性というものがあって、それが出てくるんですね。
新しい出来事ではないんですが、あらためて気がつく発見のようなことが様々な形で出てくるんですね。
今回の場合、その一つは、旅の企画者です。
昨年に三人姉妹の、最後の叔母が天寿まっとうで亡くなったんですが。
その大叔母が、まだ体の移動で出来るころ時点でのことですが、車で、年に一度ドライブをしたんです。
その一生を教員だった旦那ですが、その難病の介護を中心に暮らしてきた大叔母です。
「私は、新幹線にも乗ったことがない」
何のための一生だったのか、ふとつぶやいてたことがあったんです。
それを機会に、今回7回忌の叔母ですが、大叔母を中心にドライブ旅行を企画・実行したんです。
そこには、すぐ記憶に出て来るものでも、
〇富士山がまじかにダイナミックに見上げれる高級リゾート施設がありました。
〇富士五湖をめぐりながら忍野八海を見るとの企画もありました。
〇有名野球選手の常宿としていた伊豆高原の施設もありました。
〇伊豆稲取のキンメを堪能することもありました。
〇生まれ在所の真鶴をドライブして、新鮮な地魚を堪能したこともありました。
〇箱根の、大自然と名所、博物館をまわったこともありました。
さすがに、世界の箱根の宿泊を、そこで支配人を経験した人の企画です。
いずれも、ゆったりとした温泉、これぞ日本の自然、なおかつ豊かな食事の企画です。
私など、日ごろみかん畑の草を相手にしている身としては、
これらはまったく思い着かない、異次元のすばらしい夢のような計画でした。
まぁ、そうした置き土産を、今を生きる人たちに対してのこして、旅立っての7回忌でした。
気配りというか、思いやりというか、そうした宝を遺して、旅立った。
落ち着いてくると、今になって、大きなポリシーが見えてくるんですね。
きっと今頃は、どこかで、三姉妹でペチャクチャと交歓していると思いますよ。