唯物史観の学習(3) その端的な表現
関東も久しぶりに雨が降って、この間、暑さがずっと続いてきた中ですから、今日は、ひと息ついているところです。
一、唯物史観とはなにか、
それは人間の社会の一般的な発展法則だと思います。
「人間社会にそんな発展法則なんてものがあるのか?」と懐疑的な思潮も当然あります。
今こそが最高であり、社会が他に変わるとか、発展するなんてとんでもない、と認めたがらない人たちもいるわけですから。しかし、そこはなにものにもしばられない学術の問題です。
私などは、「ヘーゲル 歴史のなかの弁証法」冊子をまとめました。
マルクス以前の歴史観ですが、その時に、ヘーゲルの『歴史哲学』「序論」を学びました。ヘーゲルは1831年に亡くなりましたが、生前にくり返し『歴史哲学』を講義しています。そこでは、自由の精神の発展こそが、世界の歴史の歩みなんだと洞察して、その観点から壮大な人間の世界史のあゆみを説いていました。
マルクスの唯物史観ですが、そうしたヘーゲルの成果をも基にして、あらたな唯物論的な歴史観を、すなわち唯物史観を確立したわけです。
こうした学術の流れの中に、今という時があるわけです。
二、唯物史観の内容について、これを端的に表現するとどうなるか
唯物史観については、多くの著作に、様々な形での説明があります。
マルクスがもっともまとまった形で述べたものとしては『経済学批判』の「序言」(1859年)があります。またエンゲルスにおいては、『反デューリング論』、『フォイエルバッハ論』(1886年)があります。
これらが唯物史観について、もっとも意識的にまとまった形で述べたものですが。
しかし、唯物史観の内容を、端的な形にまとめた表現となると、それはどうなのか。

1つ、『共産党宣言』1883年ドイツ語版への序文から
これはME全集第21巻(1883-1889)にあります。マルクスは1883年3月に亡くなりましたが、エンゲルスは追悼の形として、あらためてその業績を評価しようとしているんです。
そして、その最初が唯物史観なんです。
「『宣言』をつらぬく根本思想、すなわち、歴史のどの時代でも経済的生産およびこれから必然的に生ずる社会的編成は、この時代の政治的および精神的な歴史にとって基礎をなすということ。したがって(太古の土地の所有の崩壊以後)全歴史は階級闘争の歴史、すなわち社会発展の種々の段階での搾取される階級と搾取する階級との、支配される階級と支配する階級とのあいだの闘争の歴史であったこと。しかしこの闘争は、いまや、搾取され、かつ抑圧されている階級(プロレタリアート)が、自分を搾取し、かつ抑圧している階級(ブルジョアジー)から自分を解放することは、同時に全社会を永遠に搾取、抑圧、および階級闘争から解放することなしにはもはやあり得ない、という段階に達したということ。
—この根本思想は、ただひとり、そしてもっぱらマルクスだけのものである。」(1883年6月28日)
ここでいう「根本思想」というのは、唯物史観ですね。
唯物史観については様々な形で紹介されていますが、これもエンゲルスがその内容を端的な形で表現して、マルクスの業績にたいする評価として、あえて意識して確認しているものなんですね。
これは1883年というのは、日本では明治16年のことです。自由民権運動から大日本帝国憲法が公布されるにいたるなかでのこと、その頃のヨーロッパでのことです。
ちなみに日本で『共産党宣言』が訳されたのは、1904(明治37)年だそうです。幸徳春水・堺利彦が訳したものだそうで、『平民新聞』で紹介されたとのことです。ついに日本の進歩的知識人が、世界の思想の中から科学的社会主義の理論というものを見つけ出した、ということなんですね。
もう一つ、『共産党宣言』の1872年ドイツ語版への序文を紹介します
これは、マルクスとエンゲルスが、連名で署名しているものです。
「(『共産党宣言』が刊行されてからの)最近の25年間に事情がいかにはなはだしく変わったとしても、この『宣言』の中で展開された一般的な諸原則は、大体においてこんにちでもなお完全な正しさをたもっている。個々の点では、あちこちで改善されなければなるまい。これらの諸原則の実践的な適用は、『宣言』そのものが明言しているように、いたるところで、かついかなるときにも、歴史的に現存する諸事情に依存するであろうし、・・・・」(1872年6月24日)
これは、日本では明治5年のこと。「散切り頭をたたいてみれば、文明開化の音がする」といったころのこと。日本人のだれもが、社会主義なんて知らなかった時代かと思います。
しかし、大事な点は、「一般的な諸原則は、大体においてなお完全な正しさをもっている」との、この認識と判断です。そして「これらの諸原則の実践的な適用は」どこでも、いつでも現存する歴史条件にかかている、との指摘です。
三、私などは、50年の経験からして思います
この『宣言』の二つの序文ですが、私などは、そこに唯物史観について大事な指摘を読み取れると思います。
「社会発展の法則とは、その法則的な正しさ」とは、どのような点にあるのか。
よくちまたで『マルクスの予見ははずれた』『そんなマルクスを、今さら持ち出すなんて古い』などの言葉を聞くことがあります。
戦後民主主義の産物である平和・民主の「憲法」にたいして、それを建て前では肯定しても、実際にはまったく相反する政治路線がすすめられている状況でして。被爆国の日本の核兵器廃絶の思いを、総論では賛成しているかのように述べてはいても、思想はまったく別でして具体的にはまったく足を踏み出そうとしない政治家もいるわけです。政治とは詭弁なりとのひどい連中です。また歴史認識でも、決別してはずの戦前の体制を復活させていとの歴史を修正しようとする潮流の復活がみてとれます。
これらをみれば、最近の大学からマルクス経済学が消えているだろうことも、予想されるんですが。
しかしですよ。
この『共産党宣言』の「序文」を見ただけでも、マルクスは、なにも自分の言っていることの一字一句が、その教条的な事柄が正しいなんて、そんなことはまったく言ってないんですね。
あくまでも問題となることの、その時点での具体的な諸条件や歴史的な過程を、全体的な関係を調べなければ真理はつかめない。けっして、言葉じりや結論を暗記して、それをオウム返しに繰り返して、それがただしいなんて言っている様では、そんなことでは、社会の歴史や本質、真理はとらえられない、と強調しているわけです。
だいたい戦前・戦後の日本には、マルクス研究についても、多彩で、世界に比較しても先駆的な研究の努力があるわけですから。それらをしっかり評価して、多彩さはお互いを尊重しあって、当然そこには細部の意見の違いはあっても、そのちがいは違いとして保留して、しかし大きくはしっかりと共同すべきだと思うんです。
ましてや、さらにもっと広く、独立・民主主義の日本を願う、広範な学術や文化の歴史的な要求と努力があるわけで。それが近代日本の民主主義の目覚めであり、苦労の歴史の歩みだったわけですから。歴史の遺産をしっかりと評価せよということです。
私などは、この日本が民主主義的な共同の力を、今日において、しっかりつくれるかどうか、問われていると思うし、そこには一人ひとりの自覚と認識努力が問われていると思うんです。
戦前の復活をめざす潮流があります。しかつ、軍国主義やヒットラーの再来をゆるさず、民主主義的社会をつくろうとして、戦前から戦後へと苦闘の努力をしてきたことが、いま、その形をつくりだす時にあるわけです。そこが問われているわけです。
四、本題にもどれば、
マルクス・エンゲルスが、唯物史観を最初に意識的にまとめて、それを発表しようとしたのは『ドイツ・イデォロギー』(1846年)です。それは当時は刊行できずにお蔵入りせざるを得なかった。しかし今はそれはME全集等で刊行されています。そして唯物史観の内容が最初に刊行されたのは、1847年の『哲学の貧困』だったとのこと。
次に、そのへんのところを、これは大きな、今日的なテーマだと思ってますが、探ってみたいと思っています。