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みかんの木を育てる-四季の変化

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本棚で見つけたこの一冊

2021年11月22日
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​『経済学哲学手稿』4 ヘーゲルの弁証法とは​

今回の『経済学・哲学手稿』第4回は、「国民文庫」版のP208からP216までの9ページです。
前回は、序論の性格をなす「青年ヘーゲル学派とフォイエルバッハ」についてでした。

今回のテーマは、
 1、ヘーゲル哲学の概観、
 2、ヘーゲルにおける二重の誤り、

 3、ヘーゲルの終局成果―運動させ産出する原理としての否定性の弁証法が、です。





マルクスが、26歳の時にヘーゲル弁証法をどのようにとらえたか、
マルクスの唯物弁証法の新しい世界観とその方法はどの様に確立したか、この問題です。 

一、はじめに前回のマルクスの「フォイエルバッハ」批評ですが、あらためてこれを整理してみます。

そもそも、エンゲルスの『フォイエルバッハ論』(1886年)は、当時から40年の経過を経ての歴史的な総括です。他方、1844年のマルクス(26歳)「手稿」は、それとは違います。同時代のちかしいグループの中にいるフォイエルバッハであり、先人であり、お互いに影響しあい、変化しつつある中で、そうした人に対する批評です。そこには切磋琢磨する同時代での直観的な批評(同時過程)と、40年の歳月を経ての歴史的に下される評価(結果)との、この同じフォイエルバッハ論ですが、この二つにはそうした違いがあるわけです。

1、マルクスはこの「手稿」で、フォイエルバッハの功績の二番目に「真の唯物論の基礎をおいた」ことをあげていますが。
フォイエルバッハの『哲学改革のための暫定命題』(1842年)を見てみると、フォイエルバッハのヘーゲル哲学に対する批判というのは、「神学の秘密は、人間学である」(P97)、「ヘーゲルの論理学は理性的にされた神学である」(P100)、「フランスの感覚論、唯物論の原理と結合されるとき、そこに生命と真理がある」(P112)等々。
ようするに、フォイエルバッハのヘーゲル哲学批判というのは、主には唯物論という角度からの批判だったんです。たしかにそれはそれまでの哲学に対して、画期的で明確な唯物論の方向での第一歩をひらいたんですね。これは、大きなすばらしい功績だったんですね。

2、同時に注意が必要なのは、ヘーゲル弁証法にたいしての扱い方はどうだったのか、この問題があります。
『暫定命題』もそうですが、フォイエルバッハは『ヘーゲル哲学批判』(1838年)でも、『将来の哲学の根本命題』(1843年)をみても、たしかにそこにはヘーゲル哲学に対して唯物論からの批判はあるんですが、このヘーゲル弁証法に対しては、いろいろな断片的な指摘はあるんですが、確かに問題意識はあるんですが、しかしまとまった形での正面からの批判がないんですね。結局、これではフォイエルバッハのヘーゲル批判というのは、「批判」することができなくて、ヘーゲル哲学を唯物論の面から全否定することで、弁証法の扱いというものは切り捨てちゃっているんですね。

マルクスがここでの課題としているのは、まさにこの問題なんですね。
唯物論の基本的考え方から、ヘーゲルの弁証法をどの様にとらえ、どの様に評価するのか。そもそも唯物論の考え方とは何なのか、マルクスがここで課題としているのはこうした問題なんですね。それは新しい世界観をつくり出そうとする問題でもあります。
マルクスにとって、この直前にはヘーゲル『法の哲学』の批判研究をしています。すでに直観的には『ヘーゲル法哲学批判序論』などで、唯物弁証法・唯物論的歴史観的方向への洞察をしているんです。

「私たちが独断的に世界を先取りしようとするのではなく、かえって古い世界の批判からからこそ新しい世界を見出そうとすることこそが、まさにまたこの新しい動きの長所なのです」(『独仏年誌の手紙』1843年9月)

しかし、洞察することと理論とでは違うじゃないですか。これは洞察したことを、さらに唯物弁証法の考え方としてまとめて、理論に上げていく課題であり、その過程にあったんですね。そのためにはヘーゲル弁証法に対する批判的検討が必要だった、それがここでのマルクスの課題であり努力だったわけです。結論を導き出すための検討過程が、ここでの課題だったんです。

実際の原文は、ほんの数ページの短いものですから、じかにお読みいただくのが一番手っ取り早いんですが。そういっちゃぁ、実も蓋もありませんが。

二、ヘーゲル哲学の概観―「ヘーゲル体系を一べつしておこう」(P211)
私などはこの間にヘーゲルの『大論理学』について、その大筋を学んできました。それがヒントになってきます。


マルクスはここで、ヘーゲルの『精神現象学』について紹介しています。
そのページ項目にしたがって全体像を紹介し、ヘーゲル哲学の体系についてコメントしています。意識(感性はその一部分)、精神、宗教(自然)、絶対知と。たんに感性的確実さだけじゃないんです。

そのエンチクロペディー(全体像)は、論理学から始まり、世界は精神の張り広げられた自己対象であり、その疎外された精神的な中身を、哲学的精神はおのれのものとして把握する、と。まあ、唯心論的な形ですが、とにかく世界そのものを、ステップ・バイ・ステップ(過程として)ですが、理解していくということです。
最後は、体系の最後として絶対的精神と。

マルクスは、このヘーゲルの哲学体系の全体観を見据えて、それをこれから批判していくんですね。

三、まず「ヘーゲルの二重の誤り」(P213)ですが。

ごく簡単に要約すると、いや引用すると、
1、第一の誤りは、ヘーゲルはすべての現実の矛盾をとらえようとしてますが、それは哲学者の頭のなかでの問題としてだけで、精神としてとらえているんです。意識から独立した現実に存在する社会の現実の問題としてではなく、その問題の精神(思想)的世界の事柄としてだけ、「世界は精神の張り広げられた自己対象であ」るとしてとらえています。客観的観念論者の唯心論的性格がしめされているんです。「疎外」ということも精神的な観念が問題なんですね。富や国家権力からの疎外も、そのすべては思考の、精神的な疎外が問題なんだということになっちゃうわけです。これが第一の問題です。


2、第二の誤りですが、ヘーゲルの場合は「人間の本質的諸力が、疎遠な諸対象となったのを、我がものとする獲得は、こうして第一に、ただ意識のなかで、純粋な思考のなかで、抽象のなかでおこなわれる獲得にすぎない」。「(ヘーゲルの)否定的で批判的な外観にもかかわらず、実際にある後の発展を先取りするような批判にもかかわらず、後の諸著作の批判的でない実証主義と、批判的でない観念論とが、ここの哲学的な現存の経験の解消と復旧とが、潜在的に横たわっている。萌芽として、潜勢として、一つの秘密として現存している」と、このようにマルクスはヘーゲルを批判しているんですね。

更に引用すると「それゆえ現象学は、隠れた、おのれ自身にまだ不明瞭な、まどわすような批判である。だが、それが人間の疎外を-たとえその人間とはただ精神のすがたで現れるだけだとはいえ-しっかりとつかんでいるかぎり、現象学のなかには批判のあらゆる要素が隠れて横たわっており、すでにしばしばヘーゲルの見地をはるかに凌駕するほどのしかたで準備され、また仕上げられてふくまれている。「不幸な意識」「正直な意識」「高潔な意識と下劣な意識と」の闘争、等々、これらの個々の節は、宗教、国家、市民生活等の諸領域全体の批判的要素をーしかしまだある疎外された形式において-含んでいる」と指摘しています。

今回は、ここまでです。
「3、ヘーゲルの終局成果―運動させ産出する原理としての否定性の弁証法」については、次回とします。

一つ余談ですが、『マルクスは弁証法について書こうとしたけど残さなかった』なんて言葉を、今でも間に受けて、そう思っている人もいるようですが。書簡のなかにはそんなやりとりがあるんですが。

確かにマルクスの生前に刊行された著作としては、弁証法については、限られた形でしか残さなかったわけですけれど、しかしこうして刊行されずにしまわれていた草稿のなかには、その努力の過程についてのしっかりとした記述があるんです。ですから1932年にモスクワでこの『経済学哲学手稿』が刊行されて以来、それが日本でも1963年に国民文庫として翻訳され刊行されてからは、今回みたように、そうした言葉はもはや完全な死語になっているんですね。
しかし、それなのに今だもって、書簡の言葉をその額面どおりに受け取って、「マルクスは弁証法について、書こうとしたが書き残さなかった」との認識をもつ人がいるというのは、いったいどうしたことかと、私などは思うんです。

それだけの内容と意義を、この『経済学哲学手稿』の「ヘーゲル哲学批判」は持っていると思います。







Last updated  2021年11月22日 19時03分57秒
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2021年11月15日

​マルクス『経済学・哲学手稿』3 フォイエルバッハ論​

今回の第49回総選挙のその後ですが。
私などは、公示日あたり時点での政権交代への期待と、10月31日の選挙結果とでは、大きな認識ギャップがおきてます。さらに選挙後には「野党共闘で、選挙で負けたのは、共産党などと一緒にやったからだ」などの野党共闘の否定論が、選挙の最中もさることながら、さらに選挙が終わってからも、政権与党をはじめ、労働界の一部からも、メディアからも、それこそ大合唱されているわけです。まぁ、それだけ、現実的な脅威となっている、それを恐れていることの証なんでしょうが。
それが目下の現実の綱引きというか、打消しのための泥が投げかけられているわけです。
これが政治ですから、これを傍観しているわけにはいきません。
こうした現状を打開するには、いろいろな課題があるとおもいますが。


私などは、その課題の一つが科学的社会主義の学習と思っています。
なにかそれは突拍子もないように感じられるかもしれませんが、今の現実を前にすすめていくには、哲学的な世界観と方法を学習すること、その習得が大事になっていると思っています。
それは、なにか特定の党派レベルの問題ということではなくて、国民的な民主的な共同をつくっていく上で、全体にとって必要な理論的努力であり、必要な課題になっていると思います。




さてそうしたことで、『経済学・哲学手稿』の「ヘーゲル哲学批判」の学習ですが、
今回は、その初めにあるマルクスのフォイエルバッハ論です。
国民文庫版(藤野渉訳)では、P205-11の7ページ分です。
前回も紹介しましたが、この学習にはエンゲルスの『フォイエルバッハ論』が大事だと思います。

一、今回のフォイエルバッハについての7ページですが、その概観は論点が3つあると思います。
(だいたい、原文の趣旨を紹介すると次の様になります)

1、マルクスは「フォイエルバッハは、ヘーゲルの弁証法にたいして一つの真面目な、批判的な態度をとったところの、そしてこの領域で真実の諸発見をしたただ一人のであり・・・」と総評しています。

ヘーゲルの弁証法に対して、他の青年ヘーゲル派の人たちは問題意識がなかった。これに対して、フォイエルバッハだけが意識的な態度をとった、と。
フォイエルバッハは、『哲学の改革のための暫定的テーゼ』(1842年)のなかで、また詳しくは『将来の哲学の根本命題』(1843年)で、ヘーゲルの弁証法および哲学を萌(きざ)し的に転覆してしまった。
マルクスは、フォイエルバッハがヘーゲル弁証法を転覆した後でも、それでもヘーゲル弁証法にたいする検討が必要なんだと指摘しています。


2、フォイエルバッハがはたした偉大な功績として、マルクスは3点あげてます。

 ア、哲学(ヘーゲル哲学)は、思考の中に持ち込まれた宗教(教条)であり、人間的本質の疎外の一つの現    れだとのことを証明したこと。
 イ、真の唯物論と現実的な科学に基礎をおいたこと、というのは人間の人間に対する社会関係を理論の根本にしている。
 ウ、ヘーゲルが絶対肯定とする否定の否定にたいして、自立的で自分自身にもとづく肯定を対置している。
 ―以上の3点を府フォイエルバッハの業績としてあげています。


3、フォイエルバッハによるヘーゲル弁証法のとらえ方の特徴について指摘しています。
フォイエルバッハは感性的に確実なものからの出発を基礎づけて否定の否定の弁証法を哲学の関係でしかとらえていないが、ヘーゲルはいっさいの存在に関係する問題であり、歴史の運動に対しては抽象的・論理的・思弁的な表現を見出したに過ぎない。

二、マルクスがこの『経済学哲学手稿』を書いたのは1844年で、26歳のときのこと。この前年の10月にはプロイセン(ドイツ)国家が反動化したことから、政治思想の自由を求めてフランスのパリに移って(亡命)していました。
一方、エンゲルスが『フォイエルバッハ論』を書いたのは1886年のこと。1883年にマルクスが死去して、その遺稿集を整理していて、これらの文章を見つけたことによります。これらの新たな世界観を確立していく過程を記録した遺稿は、『経済学・哲学手稿』にしても『ドイツ・イデェオロギー』にしても、その時の事情で出版されずに、人にはまったく知られないままほこりをかぶっていたんですね。
エンゲルスが、この若いころの努力をみつけて、当時の新たな世界観を確立してきた過程について、あらためて紹介しなければと思うのは当然ですね。しかし、当時の文章は、未熟さもあり格闘している最中のものでしたから、抽象的だし長いし、理解しにくいこともあり、そのままではとても出せなかった。それでエンゲルスは、その後の42年間をへて、フォイエルバッハの歴史的な評価もふくめて、その中身を分かりやすく簡潔にまとめたものが、1886年の『フォイエルバッハ論』となったわけです。
だから、この問題を探っていく上で、私たちは大きなプレゼントをもっているわけです。

またここに、この『手稿』の制約があると思うんです。
当時の時代にあっては、マルクスとフォイエルバッハは同じようなグループにあり影響しあっていましたから、変化の過程にありましたから。後年においてその歴史的な明確な評価ができるものとは違って、議論によりいろいろな可能性をもっていたし、可変的な関係をもっていたように思います。そうした中での当時の見解なわけですから、これを完全にすっきりと理解しようとするのは、容易なことではないとも思っているんですが。

三、マルクスのここでの論点の中にある批判ですが、その課題を私なりに上げてみると。

1、ドイツの古典哲学は観念論を歴史的な背景にしていた。ヘーゲルがベルリン大学で大きな影響を影響を与えていたけど、フォイエルバッハ以外にはヘーゲル哲学にまともに向き合おうとしてなかった。ヘーゲルの観念にとらわれたままだった。

2、フォイエルバッハだけが観念論の圧倒的な世界の中から、『キリスト教の本質』(1841年)からでしょうが、唯物論の立場を明確にする。どうしてこの圧倒的な観念論の世界から唯物論への移行がおきたのか。

3、その唯物論という立場ですが、フォイエルバッハの場合は、感覚論にたつ18世紀フランス唯物論の特徴を引き継いでいた。この唯物論の基本的な考え方とはなんなのか、その唯物論にも様々な歴史形態があるということですね。マルクスの場合は、この『経済学哲学手稿』の前後から弁証法的な唯物論をつくりあげることにすすんでいったわけですが。

4、宗教は「人と人との関係」からとらえようとするフォイエルバッハの立場ですが、唯物論ではありますが、方向としては大事な社会観への萌芽をもっていますが、その後その方向は発展できなかった。マルクスたちは、この葛藤の中から、社会観・歴史観として新たな唯物史観を確立していくことになるわけですが。

5、ようするにフォイエルバッハの場合は、ヘーゲル弁証法に対する理解ですが、批判的な意識はもったけれど、結局は弁証法というものをとらえきれなくて、批判することができなかったということです。


こうした問題点が、必ずしもすっきりとしていない論述の中には含まれているとおもいます。

『経済学哲学手稿』については、様々な研究者が解説を書いていますが。
だいたいは「私はこの文章の理解を、私流にはこう考える」といった解釈論が多いとおもいます。客観的に中身のもっていることがらを引き出そうとするのではなくて、その人の自己流の勝手な恣意的な見解を述べていて、あたかも自分こそ理解したかのような態度をとっている。そんな著作を多々みかけるように思います。

まぁ、真理の探究というのは客観的な接近ですから、学術として議論するなかで真相に接近してゆけるとおもうんですが。そうした議論の場がどういう歴史的事態になっているのか、私などにはわかりません。
勝手な意見の貼り付けではなく、そのものの真理を探る努力なら、それなら傾聴に値するんですが。

四、最後にもう一つ、マルクスのメモを紹介しておきます。
「1845年 フォイエルバッハにかんする11のテーゼ」ですが。

これは、唯物弁証法がどのように考察されてつくられたのか、それを示す記録になっていると思います。
唯物弁証法という考え方を、積極的にそのものを語っている貴重なものじゃないでしょうか。
これをエンゲルスは「新しい世界観の天才的の萌芽が記録されている最初の文書として、はかりしれないほど貴重なものである」(『フォイエルバッハ論』のまえがき 1888年2月21日)と評価していますが。

ようするに、科学的社会主義の思想というのは、ドイツ古典哲学の発展の必然性の中からつくられてきたものだということです。何か勝手な恣意的な理屈ではなく、人類の科学の遺産であり、大道の中からつくり出された産物だということです。

ただし科学ですから、真剣に科学として扱って、学び努力して習得してこそ、本来の力を現実的に生かせるということ。ただあんのんとして、ないし奉って待っていたって駄目だということです。

さて、今回はここまでです。
次回は、第二部分の「ヘーゲル哲学の総論について」です。









Last updated  2021年11月15日 15時45分55秒
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2021年11月09日

​マルクス『経済学・哲学手稿』の「ヘーゲル批判」その2​

マルクスの『経済学・哲学手稿』をなぜ学ぶのか。
前回に引き続いて、この問題です。

私なりに思うには、『経済学・哲学手稿』のテーマですが、それは新たな世界観の確立過程の探究だと思います。マルクスが1844年に亡命したパリで探っていたわけですが。

10日前の2021年10月31日に第49回総選挙がありました。今回の総選挙の結果をどのようにとらえるのか、この問題にも関係していると思います。
日本の社会というのは、今どの様な勢力が交差して、どの様な変化の過程にあるのか。今日に生きる私たちは、この社会をよりよく変えていくには、どの様な努力が必要なのか、これは大事な問題ですが。
私などは、そうした諸努力の一つとして、唯物弁証法の世界観をしっかりつかむことも大事なことだと感じている次第です。哲学の学習などというと、抽象的なことのようでもあり、口はばったい感じもなくはないのですが、しかしその必要性を感じています。




一、これから『経済学・哲学手稿』の「ヘーゲル哲学批判」を学んでゆくわけですが、
これを学習していく上では、エンゲルスの『フォイエルバッハ論』が欠かせない著作と思います。


というのは、この『フォイエルバッハ論』は、エンゲルスが晩年近くになって書いたものですが、その際、若い頃に書いていた文章に目を通した上で、その中身の本質を詳しく、簡潔で理解しやすいようにと配慮されたものだからです。

その事情を探ってみると。
マルクス(1818-1883)は1883年3月14日に亡くなりましたが、エンゲルスはマルクスという人の歴史的にはたした業績について、その全体を紹介しようとしています。『マルクス・エンゲルス』全集の第21巻(1883-1889)には34編の論文が集められていますが、そのいずれもが追悼の気持ちをこめて、私たちに残した業績を紹介しようとしたものじゃないでしょうか。
そして、その中の一つに『フォイエルバッハ論』があるわけです。

エンゲルスは、マルクスの死後に家族の依頼により残された遺稿集の整理にあたりました。

その関心の第一は、もちろん『資本論』(1875年第一巻フランス語版)ですが、その続きがどうなっているかを調べています。

そしてこの遺稿集を調べる中から、この1844年の無題の手稿(『経済学・哲学手稿』)や『ドイツ・イデオロギー』(1846-7年)などをみつけたことがうかがえます。

すでに1880年代ともなると、主著の『資本論』をはじめ、1847年の『共産党宣言』以降に刊行された諸著作については、国際的にも社会活動家たちに知られるところにあったと思うんですが。しかし、それらの基本となっている世界観、方法を確立する過程については、すなわち、自分たちが若かったころの、唯物弁証法や唯物史観を確立していった過程については、いろいろな事情で出版されてなくて、その草稿のまま人知れずに書棚に眠ったままになっていた。ほとんど知られていなかったんですね。
エンゲルスは遺稿を整理していて、それを見つけたんですね。
当然それは、マルクスの偉大な業績の一つであり、その世界観と方法の探究の過程と成果ですから、あらためて紹介することの重要性を感じたと思うんです。ところが、なにしろその文章は生けずりな面もあって、わかりにくい表現でもあり、しかも大部の量の草稿でしたから、そのままで刊行することはできなかった。もしそんなことをしたら、新たな混乱を招くことになるだろうと思ったんでしょう。


エンゲルスはこの課題を、その3年後の1886年に『フォイエルバッハ論』として、新たな独立の論文としてまとめて、雑誌に掲載したわけです。
ですから、この著作は、『経済学・哲学手稿』や『ドイツ・イデオロギー』の、1844-47年ころに探究していたこと、新しい唯物弁証法の世界観と歴史観の方法を確立していく過程の問題です。それを晩年の熟達した見識をもって、若い頃のゴチャゴチャしたややこしい論文について、その中身の本質を理解しやすいように簡潔、かつ包括的にまとめのが『フォイエルバッハ論』だったわけです。

くりかえしになりますが、今回の学習ですが、『経済学・哲学手稿』の「ヘーゲル弁証法、哲学批判」ですが、この世界観の本質を、その確立過程を学ぶということです。マルクスはどの様にヘーゲル弁証法の成果と問題点を探究したのか、どの様にヘーゲル弁証法を批判したのかという点です。

この世界観を探るという問題ですが、その際、『フォイエルバッハ論』を念頭に置きつつ、『経済学・哲学手稿』を学習するとの形を取りますが、これも問題に接近していくための一つの道となっていると思うからなんですね。

以上が、私などが、今日に『経済学・哲学手稿』を学ぼうとしている動機なんです。

二、『経済学・哲学手稿』の「ヘーゲル哲学批判」の内容と構成についてですが。
国民文庫の藤野渉訳(1963年)では、全体はP205-241の36ページ分です。

私なりに勝手に分けると、大きくは4つの部分からなっていると思います。
これはあくまで大よその見通しということでして、
これから学習をすすめるなかで、具体的にはっきりしてくることなんですが。

 第一に、フォイエルバッハについての評価です。P205-211の7ページ分です。
 第二は、ヘーゲルの哲学、弁証法についての総評です。P211-217の7ページ分です。
  1、ヘーゲル哲学の全体観を紹介しています。
  2、ヘーゲルの二重の誤りを指摘しています。
  3、ヘーゲル弁証法の成果と、それがもつ一面性と限界についての指摘。
 第三は、それを『精神現象学』の「絶対知」から見る。P217-235の19ページ分です。
  「絶対知」から8点の検討
 第四は、弁証法は『論理学』どの様に展開されているか。P235-241の7ページ分です。

三、前後する主要な著作を紹介しておきます。

ヘーゲル(1770-1831)、フォイエルバッハ(1804-72)、マルクス(1818-83)、エンゲルス(1820₋95)

  1807年 ヘーゲル『精神現象学』

  1812₋16年 同 『大論理学』
  1841年 フォイエルバッハ『キリスト教の本質』
  1842年   同     『哲学改革のための暫定命題』
  1843年   同     『将来の哲学の根本命題』
   同   マルクス『ヘーゲル法哲学の批判』
  1844年   同 『経済学・哲学手稿』
  1845年     同 「フォイエルバッハに関するテーゼ」
  1845-46年 マルクス・エンゲルス『ドイツ・イデオロギー』
  1886年(明治19年) エンゲルス『フォイエルバッハ論』
 
この年表からして、これから学ぶ『1844年の経済学・哲学手稿』はマルクスが26歳の時のものです。
すでにヘーゲルはその13年前の1831年にコレラの世界的な大流行で亡くなっていた。
そして、1840年代のドイツというのは「疾風怒濤」の哲学革命の時期だったんですね。
フォイエルバッハが『キリスト教の本質』で唯物論を書いたのは、ヘーゲルの死後10年を経ていた。
マルクスはその2年後の1843年には『ヘーゲル法哲学の批判』を検討している。
そして、
エンゲルスは、その当時から40年余をへて『フォイエルバッハ論』をまとめているんですね。

さて、こうしたことを念頭にして、
これから唯物弁証法の世界観の探究を、『経済学・哲学手稿』において挑戦していきます。

  









Last updated  2021年11月09日 09時06分37秒
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2021年11月02日

​マルクス『経済学・哲学手稿』

    「ヘーゲル哲学批判」学習 その1​

当方は、ヘーゲル『大論理学』学習を、今年の3月から10月まで、計38回を発信してきました。
もちろん全三巻の大著でして、大筋について学習したくらいなんですが。
その続きなんですが、今回は、マルクス『1844年の経済学・哲学手稿』の「ヘーゲル哲学批判」を学習してみます。
 全集では第40巻(真下信一訳 1975年刊)、国民文庫では藤野渉訳(1963年刊)があります。



一、どうしてマルクスの『経済学・哲学手稿』を学ぶのか。

この間、ヘーゲルの『大論理学』の学習を通じてヘーゲルの弁証法を学んだきました。弁証法とは何か、ヘーゲルは弁証法を発見して、初めて意識的に発表したわけですが。なにしろヘーゲルの著作はいずれも難解な表現をしてますから、そのものにあたってその哲学を、弁証法を検討している人は少ないと思うんです。

そうした中で、マルクスは『ヘーゲル法哲学』批判についで、この『1844年の経済学・哲学手稿』において、ヘーゲルの哲学、弁証法について検討しています。
 この作品は手稿であって、1844年に書かれた時は刊行されなくて、1932年の『ME全集』(モスクワ)で初めて印刷されたものだそうです。だから、レーニンも知らなかったんですね。

よく『マルクスは弁証法について、紹介を書きたかったけど、書けずに亡くなてしまった』と言われますが、確かに刊行された本としては無いかもしれませんが、こうした手記としては弁証法にしいて書き残しているんですね。書き残しているんです。

ところで、1932年といえば、日本では治安維持法のもと、マルクスの著作など持っていたり、読んだりしたことが分かれば、犯罪者として逮捕される状況でした。ですから、この『経済学・哲学手稿』が自由に学習できるようになったのは、第二次世界大戦後の1945年以降のことなんですね。

さらに、戦後ともなると、今度は様々な思想が氾濫した中で、この『経済学・哲学手稿』の検討というのは、「疎外論」などの解釈学はさかんにあったとしても、この「ヘーゲル弁証法」の批判については、よく問題を討議するといったことはなされていないと思うんです。私などが勝手に推測するには、それぞれの主観的な解釈論はさまざまにだされたようですが、それらをよく討議する場もなくて、百家争鳴のままに放置されてきたきらいがあるんじゃないでしょうか、私などはそのように思います。ここには、大きくみれば戦前の民主主義的自由の抑圧体制がもたらした負の遺産が、その後遺症が戦後においてあらわれていて、十分に議論・検討がされないままの形で今日まで残されてきた、私などはそのように思います。

二、一昨日、10月31日(日)は第49回総選挙の投票日でしたが、この日の「しんぶん赤旗」の読書欄に一つの紹介がありました。
「若い頃から、『哲学者たちは、世界をさまざまに解釈しただけである。肝要なのは、世界を変えることである』(マルクス「フォイエルバッハにかんするテーゼ11」)を読み、われわれの世界観の神髄がここにあるとかんげきしていた。」、労働者教育協会会長・現代史家の山田敬男氏による紹介が掲載されました。
丁度、私などがこの『経済学・哲学手稿』に、これから挑戦しようと思っていた時でしたから、感想を送りました。

「「赤旗」10月31日付に、マルクスの「テーゼ」についての面白い紹介がありました。
とかく合言葉のようにつかわれてますが。エンゲルスが「萌芽」という意味を私などは真剣に解明することが求められていると関゛ているところです。「対象、現実、感性」は、もともとヘーゲルが論理学や精神現象学でつかっている概念で、弁証法にかかわることがらです。それをフォイウルバッハ風に理解しちゃうと、古い唯物論で切り捨てるだけで、それでは大事な弁証法がとらえられずに水に流してしまうことになる。
それをマルクスが『1844年の経済学・哲学手稿』の「ヘーゲル哲学批判」につづいて、この走り書きで、はじめて唯物論的弁証法というものを積極的な形で提起しようとしたものとしてよんでいます。私などは、いま、そうしたところを、そうした中身を調べて、確かめてみたいと思っているところです。
とにかく、刺激的な紹介として読ませていただきました。」

と、以上の感想を送らせていただいたんですが。

三、私にとっては、『経済学・哲学手稿』の学習発信は、今回が二度目なんです。
以前に、2012年2月16日から4月14日にかけて、計8回の学習発信をしています。
丁度、2011年9月11日の東日本大震災が発生した後でした。
職場への通勤ラッシュを緩和させようと、早朝出勤するようになり、始業時の前に時間が出来たんですね。それで挑戦したのが『経済学・哲学手稿』だったんです。ブログの過去を日々をひらくとのっているんですが、今から読み返してみると、4苦8苦していたことが思い返されます。

どうして、『経済学・哲学手稿』の学習かというと、「唯物弁証法」ということが、あまり検討されることもなく、それが正しいものだとして前提的にあつかわれている。あとは素人に分かりやすく解説するだけだと、そんな上っ面の解説書を、多々見かけるからなんですね。本当は真剣に探究すべきところを、安易にも結論的な断言的なことを、それは常識的なこととして、子どもに教えるがごとく解説している。


とくに、社会的な激動期には、忙しい中にも、哲学的な基本の学習が大事じゃないかと、あの震災の中で感じていたんだろうと、ふりかえりますが。
ちょうど今、似たようなことがあるじゃないですか。

10月31日投票の第49回総選挙ですが、
政権交代の期待が大きかっただけに、選挙の結果にがっかりすることも、一面ではあると思うんです。
しかし、その争点や政治転換の必要性は正しいし、ますます切実になっている。それにもかかわらずこの結果です。政治的には議席が後退する中で、社会的責任は大きくなるとの、ギャップ・矛盾がおきています。問題点をしっかりととらえるには、打開していく活動をしっかりさせるためには、たんに主観的な考え方の問題だけでなく、問題の客観的性格の面もよくとらえるようにして。今度こそ、変革の糸をにぎるためには、あれこれの課題があるにしても、その中に哲学的な基礎学習も必要だと思っているんですね。

まぁ、また達磨大師の気持ちを味わうことになると思いますが、それもよし。
マルクスが唯物弁証法をどの様に発見したのか。この基本思想、一般的思想を意識化することは、歴史や経済学など、他の自然と社会の諸科学にとって、どの様な学び方の革新を要請しているのか。合言葉としてとなえることは簡単なんですが、それを問題の検討に貫くことは、どの様な地道な努力が必要なのか。

マルクスなどは、唯物史観や『資本論』において、それを実証したわけですが、『資本論』を持ち上げる人が、都合の良い個所だけ使うだけであって、大事なその方法論や成果について検討するのが弱い、哲学が弱い、などと私などは勝手に思っているんですね。

とにかく、再度、これから『1844年の経済学・哲学手稿』の中の「ヘーゲル弁証法および哲学一般の批判」を読んでみようと思います。







Last updated  2021年11月02日 16時28分50秒
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2021年10月22日

​宇野重規著『民主主義とはなにか』を読んで​

日本学術会議の任命を拒否された6名の名前が判明してから、1年がたとうとしています。
この第49回総選挙でも、引き続き争点の一つとなっています。

野党四党の共通政策では、「学術会議会員を推薦通り任命する」
岸田首相の所信表明では「学術会議会員の任命拒否をけいぞくする」と。

私は、この問題で宇野重規(しげき)氏の名前をはじめて知ったんですが。
何故、六名は会員の推薦から菅政権ははずしたのか。
菅内閣はその拒否の理由を語らないわけですが。
一説には「安保法制に対し、明確に反対しているからだ」とも言われています。

戦前の学問・思想の自由の弾圧、美濃部達吉氏の天皇機関説問題への弾圧を連想させられる問題です。
しかし、戦前は少なくとも理由は、問題はあってもあきらかにしていたと思うんですよ。
今回は、黒塗りの形で、理由不明で、任命拒否の閣議了解がなされているわけです。
それが、今現在も岸田内閣が引き継いでいるわけです。

なんで宇野重規氏は、自民公明の政権によって任命を拒否されたのか。
この宿題があったんで、そのなぞ解きをするために、何か一冊でも読んでみようということで。
 宇野重規著『民主主義とはなにか』(講談社現代新書 2020年10月刊行 940円)
を取り寄せてみたんです。



私などには、この本は、個々には理解しがたいことも多々あるんですが。
しかし、この本は「民主主義とは何か」を考える上で、たいへん刺激的に読ませてもらいました。

私などの「民主主義」の理解は、とおり一片の教科書的なでしたから、古代ギリシャ、イギリス、アメリカ、フランスで、どの様な議論の中で歴史は展開されたのか。独特のリアリティー性をもって紹介してくれています。たとえば、ルソーのひとりをとっても、その思想と人に対する見方が、これまでの自分の理解が氷の上をすべるような認識だったことを悟らされるような、もう一度学びかえすことが求められていると感じさせられる、そんな刺激をもっている著作なんです。

しかも、二つの世界大戦を通じて、どの様な政治学、政治論の体験があったのか。これまで、人や著作の名前は知っていたんですが、どういう点が問題であったか。よくわからなかったんですが、それらの大よその概略を紹介してくれているんです。身近かに引き寄せてくれているんです。

ようするに宇野氏は民主主義を建前論ではなく、諸国の経験から探っているんですね。この民主主義のあり方をなんの権威にもとらわれずに探ろうとする姿勢が素晴らしいんですが。日本の未来のためにもなる貴重な貢献だと思うんですが。

人によっては、それがために煙たがれるようでして、その一つが今回の任命拒否のようです。
個人的にあれこれの意見をもつことは、学術の世界では当り前で、それによって発展の契機にもなるわけですが。
しかし、今回の任命拒否というのは、そうした民主主義自体の破壊です。言論の自由の破壊です。政治的な干渉であり、政治的な思想弾圧です。

この本を読んで、そうした今回問題の異常な関係が、じわ~と浮き出てくるんですね。
宇野氏がぶつかることになった問題は、国民の自由、学問研究の自由に対する否定ですね。
「自由と民主主義の価値観を共有する」なんてのたまわって、その否定・抑圧をしている連中が、個人的なら批判もすればよいわけですが、国家の最高責任者がその理由もあきらかにせず、こんな勝手な措置をしでかすなんて、それが正されずに引き継がれようとしているなんて。

この国の政治家は、民主主義の何たるかを、学びかえす必要がありますね。
いくらいっても、その連中には分からないと思いますから、この総選挙で首を変えるしかありませんね。

宇野氏としては、そんなことは立場上言えないと思いますが、
私などとしては、意見は自由ですから言わしていただきます。
学術上のことに横槍を入れる政治家は、政治家としての資格なし、総選挙で首をすげ替えるべきだ、と。







Last updated  2021年10月22日 22時25分36秒
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2021年10月15日

​ヘーゲル『大論理学』38 最終章「絶対的理念」​

今年の3月9日にはじめたヘーゲルの『大論理学』ですが、
いよいよ第三巻・第三篇「理念」の第三章「絶対的理念」です。
1000ページをこえるヘーゲルの『大論理学』ですが、その最終章です。





一、はじめに、昨日・10月14日に、岸田内閣は衆議院を解散しました。
10月19日公示し、31日投・開票で、二週間余の期間の総選挙が事実上始まりだした。
最初の問題は、総選挙と「絶対的理念」ですが、私などはそこには重なることがらがあると思うんです。
最初に、その問題からです。

臨時国会の最終盤では、自民党と公明党の政権与党は、われわれは勝つんだから、あれこれの議論などせずに、はやく解散・選挙すべし。これまでの政権政治の支持を訴えて総選挙に臨みだしている。
他方の野党の側ですが。四野党の側は共通政策を掲げて、これまでの政治からの転換、政権交代を訴えて総選挙に臨んでいる。
この二つがぶつかり合っているわけです。
国民の1億2000万人が、どの様にそれに対する意志をしめすか、評価をくだすか、この2週間余の総選挙で問われているわけです。
ようするに、二つのグループが、「我こそは国民の声だ、代表なんだ」と、国民がどちらを支持するか、この点をめぐって、あれこれの論戦をたたかわせていくわけです。


そのことは、ヘーゲルは論理学で「絶対的理念は、主観的理念と客観的理念の統一(一致)だ」と言ってますが。それぞれの政治グループは「我こそ国民と一致してるんだ」として総選挙に臨んでいるわけですが、二つの共闘のグループが競うわけですから、その場合、相対的に競い合う二つの勢力の中から、一つの選挙の結果(勝利者)が出てくるわけです。いわばそれが、「絶対的」なものというわけです。

しかし、選挙の結果というのは、歴史的な時間的過程の中にあるものですから、一定の流れのなかで行われるものですから、「絶対的」というわけではありませんが。
 ちなみに、戦前を引き継いだ戦後第一回目の総選挙(1946.4.10)では、保守グループ336議席(72%)に対して野党グループ102議席(21%)でした。それから20余年後の1969年(第32回)の総選挙では、保守グループが303議席(62%)に対して、当時の野党の社会・公明・民社は183議席で37%でした。その時、共産党は14議席でした。今の小選挙区制と違って中選挙区制度の下でしたが。
ですから「絶対的」というのは、あくまでその時代の流れのなかで、時々においての「絶対的」ということですが。

さて、ヘーゲルがここで探究しようとしている「絶対的理念」ですが、それはどの様なかたちで主観的理念が客観的理念と一致するのか、またどの様にして理論的理念と実践的理念とは一致するのかということですから、それは「思考と存在との一致の問題」です。
私などは、ここには総選挙の問題と重なる面があると思っているんですが。論理学の探究と政治(選挙)的な結果とは、多分に重なる(似ている)面があるんじゃないかと思っています。

まぁ、選挙前に終わらせようと思っていた『大論理学』の学習でしたが。解散・総選挙が、いま現実に重なっちゃったんですね。これから20余日後の10月31日に総選挙の投票・開票がある。そんなドタバタの中での、へーゲル『大論理学』の最終章となる「絶対的理念」章の学習となりました。しかし、そんなタイミングだからこそ、これまで気づかずにいた事柄が見えてくることもあると感じているんですが。

(前回の、「レーニンがなぜ渦中の中で『大論理学』を学習したのか、これもその一つでした)


二、さて本題の「絶対的理念」ですが。
ヘーゲルの『大論理学』の最終章の「絶対的理念」です。
ヘーゲルは「論理学」でこれまで有だ、本質だ、概念だなんどと、グダグダ、グダグダと、微に入り細に入り論理的に展開してしきましたが、いよいよその結論です。
ア、『大論理学』では、P356-385までの30ページ分です。
イ、『小論理学』では、P218-246までの9ページ分、第236節から244節までの9節分。
ウ、『論理学講義』では、P246-251までの6ページ分です。

私などに見るのに、ヘーゲルはこの最終章ですが、それぞれの著作と講義において、同じ中身ですが、それを3つの部分の形で説いています。
それは、
1つ、そもそも「絶対的理念」とはなんなのか?
2つ、「絶対的理念とは、その内容は弁証法であること」。ヘーゲルは、ここで弁証法そのものについて、それを正面から解明しています。
3つ目は、この「絶対的理念」すなわち弁証法の解明が意味していることについてです。

私ごときが、この大問題を解説しようなんてことは、荷が重くて、さらさら考えてはいません。
これを一つの意見として、それぞの人が額に汗するしかないんです。焼き鳥の様に口を開けて待っているようでは、もっともらしい偽物がつかまされるのが関の山です。やはり努力が必要で、その努力に見合った物しか、人は手にすることは出来ないんですね。

三、そうはいっても、私なりの感じていることなんですが。
これは、選挙の期日、日程などの問題とは別にして、「終わりは始めなり」じゃないですが、ヘーゲルの『論理学』は、今に生きている精神をもっと引き出さねばならないと思っているんですが。マルクス・エンゲルス、レーニンを除いて、その後の人たちは、ここに一つの宿題をもっていると思うんです。怠けていては、先人の苦労が報われませんから。

その点では、以下は私などの目下の暫定的な感想的なことがらです。

1、「絶対的理念とは何か」、ここには客観性に対する人間の認識との統一しうること、努力により一致することが確信をもって述べられています。カントやヒュームが、近代の批判的な良識からして首をかしげていたことに対して、その弱さをきっぱりと批判して、それを乗り越えていく思想を、ヘーゲルはここで提起しています。

それは、一で紹介したように、今日の私たちとの関連でも、すぐれて実践的で現実的なもので、科学・人間の英知を学び吸収して、それを生かしていく(実現していく)というということ。

すでに古代ギリシャのアリストテレスが、「思惟の中にある思惟」と述べていたことをヘーゲルは発見して、それは諸科学のなかに共通してある弁証法の絶対的理念なんだということを、意識的に解きほごしたところにあります。古代のアリストテレスもすごいけれど、さらにそれを見つけ出したヘーゲルの努力・学識も尋常なものではありません。

2、「思惟の思惟としての弁証法とはどのようなものか」、弁証法というものを解明したのはヘーゲルが歴史上で最初です。これを主題として正面から論じているのが、この「絶対的理念」の章の第二の部分です。端初(始元)-進展-対立物の統一、その中身が展開されてます。またこれを古代ギリシァの哲学者たちにさかのぼって探っています。
この弁証法は、諸科学の中で様々な形で共通している形式だと指摘しています。
 前回紹介したレーニンの『哲学ノート』ですが、レーニンが弁証法を学ぶ上で、ヘーゲルの『大論理学』のこの箇所を如何に重視していたか、その記録がのこされています。
こうした成果と努力は、現代に生きる人たちに残された宝だし、私たちにとってどんなに苦労したとしても、やはり学びがいのあることですし、今に生かすべきことがらじゃないでしょうか。

3、論理学の最後の所でヘーゲルは、論理学(弁証法)-自然-精神の世界観を提起しています。
「全一的な」世界観を展開しています。 
ヘーゲルは、論理学(概念の弁証法)をとらえ、それが自然に外化し、精神がそれをとらえかえすという関係を、体系ということを提起しています。これは素晴らしい洞察であり、成果だと思うんですよ。
しかし、この体系はヘーゲルにとって、概念の弁証法が主導していて、人間の精神(主観的概念)の域を越えて、もっと大きな神様のような概念の弁証法が人間をも自由にする実体のようにとらえているようなことをもって、それを結論として、これまでの論理学の展開の最後のしめくくりとして、おわっています。

 最期は番外編です。
ですから、そこには自ずからエンゲルスの『フォイエルバッハ論』が提起している宿題があるんですね。
「全一」は全一としても、それはどのような関係にあるのか。
1840年代のマルクスですが、『経済学・哲学手稿』において、このヘーゲルの弁証法の意義を認めつつ、ヘーゲルの概念弁証法の転倒を正して、唯物的な弁証法-この新たな世界観をつくろうとする努力に引き継がれるんですね。ヘーゲルが1831年にコレラで死去してから10年くらい後のことです。
私なども、ヘーゲルの難解な文章には、何度も挫折してきたんですが、マルクスはそこで「ヘーゲル哲学の批判」をしています。そこでマルクスはヘーゲル哲学と格闘しています。この努力があったからこそ、私なども今日に多少となりヘーゲルを、その問題点についても、ひも解けるようになってきたんですが。

ヘーゲルの業績、論理学-自然-精神の全一的なものとして、弁証法をとらえたことですが、それを哲学史、歴史哲学、法の哲学と、多岐な分野を探ったヘーゲルですが。ヘーゲルはベルリン大学の総長をも経験した教授ですから、学園の窓から世界の動きや諸科学の成果を思いめぐらしていたんですね。絶対的理念(弁証法)を見出したヘーゲルですが、これはこれで画期的な業績なんです。マルクスが心理学の様にその内面を読み取っているんですが、そのヘーゲルが、その抽象性には飽き足らなくて、「衝動にはしる」との表現でぼやいているんですね。自然の多様多彩な形への関心、あこがれを表明しているんです。そのボヤキが含まれているんです。当然ですが、あのいかめしいヘーゲルにしてはじつに人間的ですね。

とにかくそれは、その後の人たちに、弁証法の逆立ちを正して、この基本的な方法をもって、それ自身を学び、それを人が直面している諸科学の各分野に、ないし具体的な問題に対して、その方法を生かしてどのように臨んでいくのか。こんなことをヘーゲルは「論理学」等をとおして、私たちに提起しているんですね。マルクスにおいては、唯物弁証法を仕上げ、歴史観としての唯物論的歴史観の発見や、資本主義社会の発展の仕方を探ぐる『資本論』など成果も、そうした宿題に対してのマルクスなりの答えだったわけです。
現代人の一人ひとりに、今日の課題として提起されている事柄なんですね。


以上で、このヘーゲル『大論理学』の学習を、長い旅を、一区切りとします。
途中で、多くのことがらを端折ってはきましたが、
3月9日からはじめたヘーゲル『大論理学』の学習ですが、なんとか、途中で放棄することなく、最終章まで来れたことは、さいわいです。
直接的なコメントを寄せていただいた方に感謝です。ボヤーッとしていたこと、そのやりとりで明確になるんですね。同時に、今時に何故ヘーゲルなのか、この難解なブログ発信でしたから、ダルマのようになるのは当たり前なんですが。それにもかかわらず、その発信の都度に閲覧数が上がったんですね。これは勝手に声なき関心者がいるものと勝手に解釈して、勝手に間接的な激励として受け取らせていただきました。おかげで、とりあえずゴールまで来れました。
こんな厄介なテーマにおつきあいしていただけた方々に感謝です。
ありがとうございました。







Last updated  2021年10月16日 06時35分32秒
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2021年10月10日

​『農業消滅』(鈴木宣弘著)に注目します​

といっても、まだこの本そのものは読めていないんですが。
10月10日付「しんぶん赤旗」の読書欄ですが、
元農林水産大臣の山田正彦氏がこの本を紹介しているのを見ました。



私は神奈川県の真鶴と早川でみかん栽培をしているんですが。
農家の人と話すと、営農の将来の見通しをもててないことを感じさせられてました。

「日本の農業の中心は稲作だし、そこですら本質的に同じく深刻なんだから…」と。
私などの真鶴方面は、箱根山が海に注いだところですから、平地は無く水田などありません。
しかし、農業の本質においては、ともに共通している問題だと感じていたんです。

本書の山田氏の紹介ですが。
「今秋の米価のJA買取価格の各都道府県概算額がそろった。なんと栃木県では昨年より最大4800円の下げ幅である。私が農水大臣の時に全国の60キロあたりの生産原価を調べたが、全国平均で1万5000円だった。それを割り込めば赤字で、もう数年前から1万3000円ほどに落ち込み、農家は実質赤字経営なのに、このままでは1万円をきりかねない勢いである。
 著者の鈴木氏は、日本の食料を輸入に依存する愚かさを嘆き、アメリカの農業政策を説明している。アメリカでは生産原価をもとに、それより下がった場合にはその差額を補填する支持価格制度を導入して、農家が安心して農業に専念できるような制度を構築している。
さらに今回のコロナ渦の救済のために経済的な安全保障法を成立させて2兆円の予算を組み、その8割を農家への直接支払いの助成金に、3000億円で農家から穀物、酪農製品、野菜などを買い上げて無償で生活困窮者に給付している。・・・」

元農林水産大臣が、自らの経験にてらして昨今の「農政の失敗(無策)がまねく国家存亡の危機」を、鈴木氏の紹介にかさねて、指摘しているわけです。

それにしても、都会にくらす国民・消費者は、こんな事態にあることを知っているんですかね。
私なども、この書評によって認識を新たにしているくらいですから、同じようなものですが。
しかし、これは、みかん農家が感じている問題と、本質的に共通です。みかん農家は、家族経営ですから、もっといえば老夫婦経営ですから、政治のまったくの蚊帳の外なんですね。草刈りなどの日々の作業に追われていれば、こうした情報なども体感的にはまったく知らなくて、もっともそうなごまかしに丸め込まれちゃってるんです。やれ菅系がいいとかやれ河野系がどうだとか、結局自民・公明農政の枠内で、みずからの勘を頼りにして「選択」し、それで結局自分の首をしめている。それにより現状と将来に絶望している事態わけですから。
ようするに選択肢が見えて無いんですね。隠されちゃってるんですね。

だれか、この狭い社会関係の中にいる人たちの中に分け入って、現状問題が今の政治とどうつながっているのか、どこに問題があるのか、わかりやすく語ってくれる人はいないもんですかね。

私などに出来ることというのは、そうしたためにも、今、隠されている問題です。
農家の抱えている問題が、その打開策が、ここで耳新しく紹介されていそうなこの本ですから、
これをブログにて紹介すること。
当然、私なども、早めに取り寄せようと思っているところです。







Last updated  2021年10月10日 08時49分53秒
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2021年10月08日

​レーニンの『大論理学』学習への推測​

当方は、ヘーゲルの『大論理学』を、今年の3月9日から学習してきました。
それは、今、最終盤の章「絶対的理念」の所まで来ているんですが。
今回は、その番外編で、なぜレーニンはヘーゲル『論理学』を学習したのか、の問題です。




一、ヘーゲルの『大論理学』は、難解な本として有名なんですが。
私などが、それを読もうとすると、あれこれ自分勝手な解釈論はそれこそ掃いて捨てるほどあるんですが、
難解な著作そのものを真摯に読んで、そのうえでもの申す人というのは、たいへん少ないんです。

そうした中で、それを読み進めるうえで参考になっている一冊が、レーニンの『哲学ノート』なんです。


『レーニン全集』第38巻には、「ヘーゲルの『論理学』の摘要」(1914年9月-12月執筆)がのっています。そこには『大論理学』だけでなく、『小論理学』『歴史哲学』『哲学史』などの読書ノートが紹介されてます。

私などには、それが難解なヘーゲルの著作を読み解いていく上で、参考になったんですが。しかし当然ながら、「いったいなぜ、レーニンは『大論理学』をはじめヘーゲルの著作をよんだのか?」、この疑問が生じてきます。

1914年といえば、その年の7月14日から第一次世界大戦が始まったときじゃないですか。
社会主義の代表的な先輩たちの多くが、世界戦争の勃発により「祖国防衛」の立場、自国の参戦を擁護する立場に変わっていく。そうした中での政治家です。この流れのなかで「帝国主義戦争反対」の主張や社会主義の立場を掲げることが、いかに困難であったか。
それは、戦前の日本史を見れば明らかじゃないでしょうか。反戦平和を明らかにすることは、命がけの主張であり活動だったんですね。
そうした中でレーニンは、ヘーゲルの『大論理学』をはじめとする諸著作を学習していた。それが学習ノートとして残されているんです。それが、100年を時を経ての今日、私などのヘーゲル学習の参考になっているんです。

「なぜレーニンは、そうした複雑で困難な状況下でヘーゲルを学習したのか?」当然の疑問ですよね。

いったいどのような思いで、レーニンは『哲学ノート』にそれが残されているわけですが、ヘーゲルの『論理学』を、本質論を、概念論を、「認識」や「絶対的理念」を読んでいたんでしょうか?

この私などの疑問にたいして、つい数日前のことですが、ひらめきがあったんです。

それは、この10月6日(水)でしたが、ユーチューブで送られてきた共産党志位委員長の総選挙にあたって訴えた報告に関連しているんです。

レーニンの話にもどりますが、私などの推測することなんですが、
おそらくですが、レーニンは戦争からの転換するということは、それを推進する政治勢力から政権を変えるしかないとの基本認識があったんじゃないでしょうか。そのために困難な立場をまもって活動して来ていたわけですから。

現象からしたら、一人の一介の亡命者ですよ。無にも近い存在だったはずです。ところが、戦争路線を転換させるには、今は無であったとしてもこの政治的な立場しかない、そうした確信を持っていたとおもいます。

私などの、まったくの完全な推測ごとなんですが。
今回、『大論理学』と『哲学ノート』を学習していて、そこで問題になっていただろう事柄ですが。
志位委員長の報告を聞いていて、レーニンの立場と動機ですが、もちろん直接的な言葉では書かれてはいませんが、
こんな読み方をしていたんじゃないでしようか。

「本質は現象する。帝国主義戦争は終わらざるをえない、しかしどんな形で終わるのか、それはわからない。たとえ今は戦争が燃え盛る火事のようなものであったとしても、どんなに想定しうることと真逆な仮象をもっていたにせよ。戦争反対勢力は徹底して弾圧されていたんですから。それがこれまで様々な角度から検討してきたように、戦争路線は転換しなければならない。そこには社会的変革をふくむ政権交代の可能性がふくまれている。そうした可能性が潜在的にふくまれている。もしもそうした見通しが客観的な真理であるなら、必ず現象して現実に現れることになる。その際、今は主体的には党の組織状況が、戦争と弾圧により、どんなに心もとない状況であったとしても、事物の客観的行程は必ず展開する。そうだとしたら、その間近に迫りつつある政治路線の変更(戦争政策から、国民の悲惨さを救済する平和政策への転換)のもつ政治闘争、社会的変革の可能性をなるべく全面的に展開をみさだめるようにして、それにたいして政治的に組織的にできうる限りそなえなければにらない」

まさに、ここにヘーゲルの弁証法を学ぶ必要性が、動機が、あったんじゃないでしょうか。

庶民の足元の困難さという目線だけから出発したら、全国的な政治情勢がはらむ中心問題は見えてきません。「そんなの無理だよ、身の回りはそうそう簡単に変わりっこない」との感想をもつことも当たり前かとは思うんですが。それは客観主義的な評論家的態度につうじるわけですが。
しかし考えてもみれば、庶民のだれが12月8日に太平洋戦争が勃発するなんて思ったでしょう。まただれが1945年8月15日に第二次世界戦が終わるなんて思ったでしょう。庶民の下世話な目には分からなかったはずです。しかしそれでも戦争終結へのページはめくられたんですね。ほんの一部の人にしか政治的な動きというのは知ることができなかったんですね。それでも政治は動いたんですね。

おそらくレーニンの心眼には、どんなに足元は困難であっても、戦争反対と国民生活擁護の政治に転換せざるを得ないとの、政治の焦点をとらえていた。いつ、どのように、転換する客観的な出来事が動くかはわからないけれど、それが必ず社会と政治の表に出て来る。
そうした見通しをたてていた。
そこにまさにヘーゲルの『論理学』、弁証法を学びとろうとする、欠かせない必死な努力の原因があったんじゃないでしょうか。

ヘーゲルは第二巻の本質論では、「本質は必ず現象する」、「現実性は、理性の合理的な諸条件が整えは、具体的現実になる」などの客観的な行程をといています。それは勝手な主観的な主張ではないんです。論理学の弁証法、必然的な論理的・自然的な展開というものを、客観的なものとして、それを主観的概念がとらえうるものとして展開してといているんですから。
また、第三巻の概念論では、「絶対的理念」では、諸科学の中に一般的に貫かれている形式(弁証法)を、明らかにしようとしているんですから。アリストテレス曰く「思惟のなかにある思惟」、ヘーゲルは哲学史を古代ギリシァの哲人たちにまでさかのぼって、具体的に探っていたんですからすごいですね。アリストテレスもすごいけれど、さかのぼってそれを見つけ出したヘーゲルもすごい。そうした努力をさぐりつつ、レーニンは今日の具体的な方法として、その可能性を探ったんじゃないでしょうか。
山なす本があったとしても、肝腎なものは限られたものですよ、怠けていちゃダメなんです。

そんな状態だと、それを教科書風の公式論ですますとか、何でも事柄を細断するような型紙のように扱うとか、万能の打ち出の小づちのような知らないことまで知ったかぶりをするようになる、スターリンや毛沢東のような存在も出てくるわけです。


レーニンがイネッサ・アルマンドにあてた手紙にあるように、もあくまで具体的な諸条件の下で、他の諸命題とも関連させて、歴史的に事柄をあつかわねばならない、との結論が出てくるわけです。

もどって、レーニンの『哲学ノート』についてですが、
ヘーゲル『大論理学』の最終章「絶対的理念」からの書き抜き、それへのコメント、自らの意見ですが、そうしたことを学びとろうとしている、そうした躍動が伝わってくるように思います。
ただ、私などが感じてるんですが、あまり一般には、そうした肝腎な側面からの紹介がされてないのが、気になるんですね。じつにもったいないとことだ思うんですが。
研究者は怠けているわけじゃないと思いますが、政治家は忙しいとは思いますが、私などの目にはつかないんですね。その肝心な点をつかまなければ、歴史に対する怠慢のそしりをまぬがれないと思います。

二、レーニンはそうした宝を引き出したんですが、問題は今の私たちとの関係です。
これが、志位報告を聞いての、肝腎なことなんですが。

中央政界が、政治的転換の可能性を、政権交代の可能性をもっている。国民的な政治転換の可能性をもっていて、それが10月31日の総選挙で決めることができる。
国民の意志がどのように表明するかで、政治的基本をさだめることができる。そうした事態に、今という私たちの状況は置かれているということです。これは客観的な事実だと思うんです。

まず、こんな政治的基本の選択が、国民自身の意志に託されるなどということは、日本の憲政史上初めてじゃないですか。つきつめれば戦争か平和かの岐路です。いやもっと命と暮らしの問題です。

問題は、レーニンが『大論理学』を学びつつあったときと似ているとおもうんです。
しかし、自分自身とその周りをみるに『庶民の日常生活からして、いくら理想的なことを言っても、そんなにうまくは変わりっこないよ』との素朴論があるんですね。長年しみついた、それ以外にはなかったような、経験則があるんですね。客観主義があるんです。

だけど、かつて歴史のページが音もなく開いたように、もちろん努力次第ですが、10月31日にはそうした可能性が、今の日本には含まれているというんですね。誰かが私見として言ってるんじゃなくて、社会の客観的な可能性がしめしているということですね。志位さんが提起したのはそうしたことですね。

とはいえ、日常生活の織りなしは、そうした中心点と自分たちの日常がどのようにつながっているのか、よくは見えないんですね。そりゃあそうです。1億2000万人分の一ですし、日々のみかん畑の相手は雑草とイノシシでしかないんですから。
だけど、そうであっても、それらが中央政界につながっていることはまちがいないんですね。
庶民にとっては、ささやかな一歩と思われるかもしれません。だけど、どの様なささやかな一歩であっても、それがつながっているわけです。それが合わされば、政治を変える大きな力になる。自分たちの自然と必然性の流れをつかんで、そこから出てくるところの第一歩をふみだすこと。きっと踏み出さざるを得なくなるということですが。

どんなにささやかではあっても、その第一歩の踏み出しが、今や日本の岐路の選択につながっているということですね。「人には人の乳酸菌」じゃないけれど、それぞれの置かれている立場で、どれだけ真摯にこの歴史課題と向き合えれるか、そこに日本の未来がかかっているということですね。

ここのところの理論的・実践的な探究が求められているということです。

これが『大論理学』の終章「絶対的理念」を通読して、
くわえてレーニンの『哲学ノート』での「摘要」を読んでの、私などの感想です。







Last updated  2021年10月09日 06時35分09秒
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2021年10月03日

​ヘーゲル『大論理学』36第三巻三篇・第二章「認識」​

「哲学の目的は、昔から今にいたるまで、理念と思惟によって認識すること以外にはありません」(『小論理学』岩波文庫 第213節補遺 P211 )


いったい認識とはなんなのか? 認識はどのようになされているのか?

ヘーゲルの『論理学』も最終に近づいていますが、第三巻「概念論」・第三篇「理念」、その第二章は「認識」ですが、これがヘーゲルが『論理学』の終わり近くで問い、検討している根本的なテーマです。

チョット聞くと、私などは「そんなことは常識的で、あえて問うこともないんじゃないか」と、通過している問題なんですが。その当たり前そうなことをあえて吟味し、人間社会にたたき台といったものを提供したのが、ヘーゲルの大きな功績なんですね。




一、問題の輪郭を探るために、この第二章「認識」のあたりからですが、「認識とは何か」を探っていく上で、ヘーゲルが留意をうながしている点について、いくつかピックアップしてみました。

1、理念とは、一般に個々人の表象の意味(主観的な意味)でつかわれているけど、カントが指摘したように「理念」と「表象」とは違う。理念とはたんなる主観的なものではなく、概念(客観的な真理)であり、主観的概念と客観性との統一なんだ。(『大論理学』第三篇「理念」 P257、P262)

2、真理というと、人は或るものがどういう風にあるかを知ることだと思っている。しかしそれでは単に意識との関係における真理にすぎず、形式的な真理にすぎない。(たんに認定といった主観的な事柄ではない)。より深い意味での真理は、主観的概念と客観性とが同一なこと(一致すること)なのである。(『小論理学』第213節補遺 岩波文庫下 P210)

3、われわれが概念的な認識をもたず、ただ単純な固定的な表象と名前を知るにとどまかぎり、われわれは何らかのものについても、ましてその概念そのものについて、いかなる概念も持たないということになる。(『大論理学』P290)

4、理念というのは、(結果ではなくて)本質的に過程である。(『小論理学』第215節)

「認識」というと、当たり前のことような感じがしますが、ヘーゲルはくりかえし客観性をもつことと、悟性的観念にはおさまらない弁証法的な過程であることを強調しています。

二、認識という点でのこうした強調点ですが、
これは、『小論理学』「序論」の「客観性に対する思想の三っの態度」の小論がもっている意味が、あらためて明らかになるんじゃないでしょうか。


1、カント以前のヴォルフなどの形而上学。思考により真理を捕えれるとの素朴な態度と形而上学的(悟性的思考)の特徴に対する批判。
2、イギリス経験論と批判哲学の、思考と存在との対立、客観的な真理を認識する思考への懐疑論。
3、ヤコービやシェリングなどの直接知。認識の過程を無視して、結論的な直言的をふりまわす傾向。

『小論理学』の序論も、こうしてみると重要なものです。ヘーゲルはこれらの哲学の歴史的な批判にたって、自らの弁証法的哲学を展開していたんですね。いわば哲学の歴史的な流れにたいする批判です。
別にヘーゲルは『哲学史講義』(河出書房新社)を残していますが、第三部「近代の哲学」で個々の哲学者たちの見解を紹介してくれています。
それだけの研究、背景的な努力があってのこの小論なんですね。

これは、たんに過去の歴史知識を学ぶといったことではないと思うんですよ。
これは現代人にいたるまで、弁証法を真剣に学び理解しするようにしないと、生きた事態に対する対応において、混迷をきたすよというヘーゲルのアドバイスなんですね。
現代でも、これらの問題は、引き続き生きて直面していることがらなんですね。

あの忙しい中で、レーニンがヘーゲルの著作を学習したのは、そうした意味があるんじゃないかと、私などは勝手に推測しています。


三、この学習が必要だとの着想は誰でも浮かぶと思うんですが、それは実際には簡単じゃないですよ。
ヘーゲルの著作というのは、文章というのは、どれも難解ですから、それを理解するのは、まして批判しようとするには、それなりの真剣な努力が必要なんですね。
一般には、教科書的な説明でお茶を濁す人を目にするわけですが、それで納得している人たち人は、それはそれでいいんですが。しかし、それでは本当の批判にならない。それが、1840年代から今日までの歴史的な宿題じゃないですか。マルクスやエンゲルス、レーニンなどは、さらに新たな段階をひらいたわけですが。それを理解する基礎となる学習であり、宿題なんですね。


ましてや、日本の場合は、1945年までは治安維持法という野蛮な思想弾圧のもとに置かれていたでしょう。ヘーゲルやマルクスを自由に研究したり、討議したりすることが取り締まられてたんですから。それが出来るようになったのは戦後のことなんですね。戦前・戦後、はたしてどれだれ前進したか、その概観を知ることすら、私などには手探りの事態です。


といったわけで、今回は、そうした問題があることを確認するくらいで、本当に宿題を果たしていくには私などは力不足なんですが。
しかし、たとえ浅学ではあっても、それでも出来る限りの努力をしようというのが、この学習発信なんですが。

四、この第三巻・第三篇・第二章「認識」ですが。
ヘーゲルは、このあと理論的探求と実践的探求、分析的探求と総合的探求の、この二つの認識態度が提起しています。これはこれで、大テーマです。

さらにそれは、その次の段階として、マルクスの『経済学・哲学手稿』の「ヘーゲル哲学批判」や『経済学批判』の「序説」などにつながっていく問題となるんですが。
しかし、それは課題として今は確認しておくだけにして、後日の宿題としておくこととして。


今は、まず『大論理学』を、とにかく踏破することです。
これまでも、途中を大分端折りに端折ってきましたが、それも仕方ありません。
なんとか、11月の総選挙の前までに、大体でもこのヘーゲルの『論理学』学習をクリアーしようというわけですから。

さて、次回ですが、いよいよ最終章・第三章「絶対的理念」にすすみます。







Last updated  2021年10月03日 19時50分23秒
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2021年09月26日

​ヘーゲル『大論理学』35 マルクスのアドバイス​

前回、ヘーゲルの『大論理学』を学習していて感じている点を紹介しました。

一つは、日本社会には、現在においても、戦後を75年余過ぎた今でも、戦前の思想を引きずっている部分があるし、他方では思想弾圧による「空白」の期間により、その後遺症がいろいろなところに、このヘーゲルを学習する上でも感じられるということでした。

もう一つは、ヘーゲルの弁証法哲学というものをエンゲルスが『空想から科学へ』第2章で紹介していますが。そこで「形而上学的思考と弁証法的思考のちがい」を明らかにしていますが、そこにはヘーゲルの『小論理学』「序論」の「客観性に対する三つの態度」から、その中の第一のカント以前の哲学(ヴォルフなど)批判の、悟性的思考の特徴の三点が批判されていることを紹介しました。





一、今回も、この『大論理学』を理解する上で、参考になる小論を見つけたので、それを紹介します。

それは、エンゲルスの書評「カール・マルクス『経済学批判』」(1859年 国民文庫)です。


この書評は、二つの評論からなっています。

1つは、1859年8月6日付「ダス・フォルク」です。『経済学批判』の「序言」を紹介する形で、『経済学批判』の基本思想となっている唯物史観を紹介しています。

2つは、1859年8月20日付ですが、これが今回紹介したかったものです。
ヘーゲルの弁証法というものは、ヘーゲルが1831年に死去して以降は、誰もその生きた真価を救い出せなかったんですね。まぁ、諸著作をひらけば、その難解な表現からして分からないわけじゃないですが。そこに、一石を投じているのがこの書評なんです。

(「ダス・フォルク」というのは、1859年5月7日から8月20日まで、ロンドンで発行されていたドイツ語の週刊紙とのことですが)

今回の私などの『大論理学』の学習にとっても、それを読み解くうえで、この書評は大事なアドバイスになると思うんです。

だいたい、この書評は、マルクスの『資本論』を学習する人たちにとっては、そこでつかわれている方法を理解する上で、大事な論文だと思っているんですが。

二、今回、一つの発見がありました。
エンゲルスが表ではこれを書いたことになってるんですが、これはマルクスとの共作なんですよ。いや、実際にはその中心部分はマルクスが書いたものじゃないかとおもっています。

マルクスの『経済学批判』は1859年6月11日にベルリンで刊行されたんですが。

今日にあれば、『資本論』を知る人は大勢いるし、その本をもっている人もかなりいると思います。しかし、苦労して読んでいる人はその内にどれくらいでしょう。やはり一番大事なことは、その中身を理解・広げることが肝心なことですよね。
その点では、斎藤幸平氏の『人新生の「資本論」』(集英社新書)という本が刊行されてますが、発売から1年で30万部を突破したというんです。日本の国民もたいしたものですよね。

しかし、史上はじめて世界に『経済学批判』が登場した時は、まったく事情が違いました。
いまの日本では、戦前戦後の歴史がありますから30万分も販売されるんですが。
1859年のロンドンないし、ベルリンでは、まったく事情が違うわけです。
まったく、その時代に新しく提起された本ですから、
しかも有名な学者でもないマルクスが、商品だ貨幣だなどといっても・・・。
ようするに、せっかくの労作が売れないわけです。

マルクスは、この社会観と経済学の新たな開拓が黙殺されないようにと、
いろいろと、あれこれ努力の手を尽くしたんですね。

『マルクス・エンゲルス全集』の第29巻(書簡集)ですが、そのころのマルクスとエンゲルスとのやりとりが残っていました。

先にも紹介したように、マルクス『経済学批判』は、1859年6月11日には刊行されたんです。

1、1859年7月19日付でマルクスはエンゲルスに、この本の書評を書いてくれるように頼むんですね。
書評することで、本の中身を紹介して、販売しようとしたんです。
マルクスは『方法について、また内容上の新しい点について簡単に』書いてほしいと。
そうしないと、出版した本は世間の目を引かないし、砂漠の水になりかねなかったんですね。

2、7月22日付でマルクスは、重ねて書評を書くことを頼みます。その際には次の2点は必ず入れてほしいとの注文も付けているんです。
「1.プルードン主義が根こそぎ絶滅させられていること。2.もっとも単純な形態、つまり商品という形態から始めて、そこで分析されているのは、ブルジョア的生産の特殊に社会的な、決して絶対的ではない性格なんだ、と」

3、これに対して、7月25日付でエンゲルスが返事してます。
「今週は忙しくてとても書けない。これは大変なしごとだ」、それと労働運動の指導者リープクネヒトですら、この本の中身をちっとも理解していない、「ちょいと厄介な貨幣問題の解決の問題などは、全然問題にもせず、どうでもよいことにされている」と。

こうした経緯で、エンゲルスは第一論文の草稿を書いて、マルクスに送ったようです。

4、8月1日付のマルクスのエンゲルスへの手紙です。
 「君の書いた論説は、今度は僕が自分で校正しておいた」と。
マルクスが手をくわえているんです。

5、8月3日付のエンゲルスですが。第1回目の論評の原稿をマルクスにおくったようです。

「よく目を通して、もし全体として気に入らなければ、破いてしまって、君の意見を僕に教えてくれたまえ。僕が練習不足から、こういうたぐいの書き物をすっかり忘れてしまっているものだから。君の方で何とか手をくわえられるものなら、そうしたまえ。唯物論的見方についての的確な例が、二、三あげられるとよいのだが」と、マルクスに依頼する。


こうして出来たものが1回目の論評(1859年8月6日付)として「ダス・フォルク」に掲載されたわけです。

さらに続きます。

6、8月10日付エンゲルスのマルクスへの手紙です。「第二論説を書こうとしたが、邪魔が入って来週までかけない」。

7、8月13日付マルクスのエンゲルスへの手紙です。「君の論説を水曜日にはこちらに届くように手配してもらえないだろうか」

こうして、1859年8月20日付の第二論説が「ダス・フォルク」に掲載されたわけです。

三、この手紙の交換と、2つの論評自体を読むと、両者の協力関係が分かるかと思います。
いくらエンゲルスが優秀で、事柄を知っているからといっても、いずれの論評もマルクスでなければ書くことができない内容があります。経済学批判の方法についても、唯物史観についても、さらには、いま私たちが問題にしているヘーゲル弁証法の理解とその批判についても。これらはエンゲルスがマルクスに意見を求めているように、その中身は当事者のマルクスでないと書けないような、かなり立ち入った内容になっています。

ようするに、この論評は、公式にはエンゲルス執筆となっていますが、その実はマルクスの主導によるエンゲルスとの共作だったんですね。

四、私などの今回の場合は、問題はヘーゲル弁証法についての見方であり批判なんです。

「ヘーゲルの死以来、ある学問をそれ自身の内的関連において展開しようとする試みは、ほとんどなされていない」、これが第二論文のはじめ、書き出し部分です。
ついで、ヘーゲル弁証法ではどこが問題で、どの様なつくりかえが必要だったかが書かれています。

マルクスのヘーゲル弁証法にたいする批判としては、よく『資本論』の「2版のあとがき」(1873年1月24日付)が紹介されますよね、確かにそれは大事ものだと思うんです。しかし、この「カール・マルクス経済学批判(書評)」(1859年8月20日付)もまた、ヘーゲルの弁証法にどの様に向き合うのか、『経済学批判』の「序言」とともに、かなり詳しくまとめられています。これが最初にまとまつた形でヘーゲルの弁証法を批判したものなんですね。実際の論文で確かめていただきたいんですが。

五、問題は、ヘーゲルが初めて提起した弁証法をどの様に学ぶか、ですが。
この問題は、依然として今日でも大事なテーマだと思うんです。
少なくとも、日本の戦前では、まともに学術論議が弾圧でできなかったんですから。
戦後においてはじめて議論が可能になったとの経緯があります。

こうした事情もあり、もともと難解な表現のヘーゲルの著作ですから、
かつまた、戦後の様々な哲学が飛び交う中でのことですから、どれだけの研究交流がなされたのか。

中には、あれこれの教科書的説明くらいで、済ましている状況も見られるじゃないですか。
また、マルクス・エンゲルスの言葉を繰り返すくらいで済ましていることもなくはないじゃないですか。そんなことで済むなら、べつに苦労は無いんです。
しかし、そんなことでは前進していくことは出来ないわけです。
なまけていては、悟性的認識から抜け出せずに、くり返しか、もしくは後退です。

そうした事情が、私などでも、たとえ素人であっても、
このヘーゲルの『大論理学』の学習の必要性を感じるし、こうして挑戦している次第です。
ヘーゲルの弁証法をつくりかえるとは、具体的にどの様なことか。
その課題を、すすめていくには、このマルクス・エンゲルスの論評が残した批評ですが、
これも学ぶべき貴重な宝になっていると思っているんです。

さいわい、マルクスの時代と違って、インターネットがありますから、
学習した内容は発信することができますから、まったくの孤立状態というわけでもないんです。
ただ、どの様な形で学習するのかとの点では違うにしても、
先人の努力に学び、自らも一歩をくわえるとの点では、いつの時代であっても共通ですね。

さて、ゴールまで、あと少しです。







Last updated  2021年09月27日 01時37分20秒
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