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つれづれなるままに―日本一学歴の高い掃除夫だった不具のブログ―

地方文学としての『次郎物語』とその時代

近代の日本文学の系譜は、漱石といい、芥川といい、三島といい、どうも「東京」が中心であったような印象がある。たとえ漱石が松山の風景を描いていても、主人公自身が江戸っ子であるので、読んでいてとても「松山の文学」という感じがしない。谷崎は置くとしても、啄木や賢治を除いて自分が「地方文学」のかおりを感じるのは、太宰の『津軽』くらいしか咄嗟には思い浮かばない。

『次郎物語』はどうだろうか。作品ほど有名でない作者の下村湖人は佐賀県の生まれであり、第四部までの舞台は湖人の故郷神埼郡千代田町の地元や小中学校での実体験が元になっている。ことに解説者によると、第一部はほとんど自伝そのままだそうである。

それでいて、『次郎物語』には不思議に地方色があまりない。次郎の家庭で千代田町の郷土食材である菱の実が食卓に供されたり、中学で『葉隠』の四誓訓が出てくるあたりを除けば、大正末期から昭和初期にかけての、どこにでもある日本の風景のようである。

ぼかされているのは地方色ばかりではない。第一部が作者のほぼ忠実なる自伝小説の様相を帯びているところから時代背景を推し量ると、第三部までは大体、日清戦争前後から日露戦争前後までの日本、ということになる。

ところが第四部から時代はいきなり昭和初期に飛び、次郎は五・一五事件や二・二六事件の時代の波ともろに直面せざるを得なくなるのである。

ただしこれらのことは綿密な時代考証によって明らかになるもので、まず普通の読者は、次郎の生年が大正の中頃だと考えて読み進めても、一向に違和感を感じないだろう。自分も実は、解説を読んで驚いたくらいであるから。






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