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カテゴリ:海外文学
旧訳の『ライ麦畑でつかまえて』で有名なサリンジャーの代表作。以前野崎孝さんの翻訳を手にしたときは、不良言葉が嫌で、三頁も読めませんでした。村上春樹さんの新訳で、初めて読み通すことができました。
物語は、高校退学→放浪→帰宅→精神病院という一連の流れに沿って進みます。内容と解説については、旧訳者解説を参考にしてください。ただ解説では本書を『ハックルベリー・フィンの冒険』や『坊ちゃん』と比べていますが、不具の感想は違います。ホールデンは彼らのようにタフではありません。不良になりきれない、むしろ神経症的で純な少年です。村上春樹さんの翻訳のせいかもしれませんが、どちらかと言えば『車輪の下』を連想しました。 この小説は今も世界中で読まれているそうです。この齢になって読むと小気味よい諷刺くらいにしか感じませんが、確かに、主人公が大人社会の嘘や俗物性やインチキを糾弾する様は、10代の若者の共感を呼ぶでしょう。 もっとも本書に入れ込みすぎるあまり、人を殺してしまった事件もあるようで、怖い話です。その影響力の大きさからも、日本文学でいえば『坊ちゃん』よりむしろ『人間失格』に近い毒があると言えるのではないでしょうか。 以下覚書。 『アフリカの日々』は『1Q84 BOOK3』にも出てくるが、いまだ読んでいない。村上春樹氏は、本書を念頭に置いてあれを書いたのだろうか。 トマス・ハーディの『帰郷』、ヘミングウェイの『武器よさらば』、フィッツジェラルドの『グレート・ギャッピー』(これも村上氏の新訳がある)、いずれも読んでいない。あるいは最後まで読み通していない。読んでから再読すると主人公の気持ちがよりわかるだろうか。 『ロミオとジュリエット』についての尼さんとの会話は、思わずにやりとしてしまった。 「未成熟なるもののしるしとは、大義のために高貴なる死を求めることだ。その一方で、成熟したもののしるしとは、大義のために卑しく生きることを求めることだ」これを引用したアントリーニ先生は、本当にゲイだったのだろうかね、ホールデン君。百歩譲って先生に男性(少年?)に対する偏愛があったとしても、君だって純な子供(とくに小学生の妹)に対する偏愛的傾向があるじゃないか。だからと言って君は変態ではないだろう、ホールデン君? W・P・キンセラが『シューレス・ジョー』の中でサリンジャーを登場させているのは有名な話だ。一方、本書には『シューレス・ジョー』の主人公、レイ・キンセラの兄弟リチャード・キンセラと同姓同名の少年がホールデンの話の中に登場する。「話のポイントからちょくちょく離れ」る、「ナーバス」な生徒だったそうだ。 最後に、本書で不具がもっとも好きな一節を引用して覚書を終わりにする。 一度チャイルズに質問したことがある。イエスを裏切ったユダのやつは、自殺をしたあと地獄に堕ちたと思うかと。もちろんさ、とチャイルズは言った。それは僕が彼と意見をまったく異にするところだった。千ドル賭けたっていいけど、イエスはユダのやつを地獄には送らなかったはずだ、と僕は言った。今だって、もし手元に千ドル持っていたら、そっちに賭けると思う。十二使徒の連中なら、それが誰であっても、きっとユダを地獄に送っていたことだろう。それも問答無用の超特急で。でも、なにを賭けてもいいけどさ、イエスならそんなことはしなかったはずだ。 【中古(未使用)】キャッチャー・イン・ザ・ライ<未使用本> 【中古】新書 ライ麦畑でつかまえて【画】 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011.07.28 01:45:24
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