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つれづれなるままに―日本一学歴の高い掃除夫だった不具のブログ―

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2014.04.16
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カテゴリ:現代日本文学
さて、『イエスの生涯』によれば、弟子たちはイエスの死後、「目覚めた」、と言う言葉はつかっていないが、要するにイエスの真意に思いあたった。そして熱心にイエスの教えを広めた…という。

だが、本書を読むと原始キリスト教が一枚岩でなかったことがわかる。おそらくイエス自身は自分がキリスト教を説いている、などという自覚はなかったろう。彼の直弟子たちもまた、イエスの死後彼をますます敬愛し愛の教えを広めたけれども、それはあくまでもユダヤ教の範囲内であった。安息日ひとつとっても、律法を超えた言動がいかに危険であるか、弟子たちはイエスの死に様をみてよく知っていたのだ。そういう意味で、遠藤氏の言葉を借りるなら、ペテロたちはなお「弱虫」であったといえよう。

だがここに激烈なる革命家がいた。「ローマ人への手紙」を書いたポーロである。彼はイエスの教えは異邦人にも当てはまるのだと考えた。割礼を受けたユダヤ人にむけてのみ愛の教えを説いたとて何になろう。ペテロはひそかにポーロに共感した。しかし教団を運営する立場にある彼はどっちつかずの優柔不断な態度をとらざるをえなかった。

ポーロたちの布教により、イエスの教えはユダヤ人以外の民族にも広まっていき、ユダヤ人のためのメシアではなく、諸民族のキリストであるという思想がじょじょに広まっていった。そうした折も折、時の皇帝ネロの弾圧により、ローマの属州であったイスラエルのユダヤ教徒は壊滅状態に陥ってしまう。

しかし「一粒の種もし落ちずば」であった。蒔いた種は実ったのだ。しかも皮肉なことに、ユダヤ人のためのイエスの教えが滅びてしまったがゆえに、逆にそれ以外の地域で残ったイエスの教え、ポーロたちが異邦人に説いた教えが、「キリスト教」として立ち上がったのだ。まさに「キリストの誕生」の瞬間であった。…

という風に一読して理解したけれど、どこまで正確に理解したのか、心もとない。
百聞は一見にしかず。どうぞ現物に当たってください。


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Last updated  2014.05.08 21:39:04
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