沼隈半島 内海大橋
沼隈半島といっても、ご存じでない方が多いかもしれません。この写真は、去年のお盆休みに、孫を含めた4世代の家族で、「みろくの里」に行った際、早朝に撮った写真です。沼隈半島は、広島県東部にある半島なのですが、おそらく、広島県でも西部エリアの人には「聞いたことがあるような気がする」という程度かもしれません。ということで、もう少し分かりやすく説明しますと、「鞆の浦」があるのが沼隈半島です。半島の付け根の東側が福山市、西側が松永になります。といっても、知らない人にはどんどんわからない話になっていくのですが、その沼隈半島に先端にあるのが、内海大橋。沼隈町と内海町をつなぐ2連になった橋で、中ほどにあった岩礁に橋脚を立てて、弓形につなげています。連なった弓形のアーチの橋が、水平方向にも弧を描いてつながっているという、美しい橋ですね。この橋があればこそ、車で簡単に「島」に渡れますが、なければ、流れの急な瀬戸内海の狭隘な海を横断しなければ渡れませんでした。瀬戸内海というのは、とにかく島が多く、島が多ければ、島と島との間は狭くなります。潮の干満のたびに、狭隘な水路を大量の海水が移動するわけで、そのエネルギーというのはものすごく、エンジンを持たない船しかなかった昔は、自然の力と共存していくしかなかったわけです。かつて、物資の大量輸送は船が中心なので、瀬戸内海を多くの船が行き来していました。その船は、潮の流れを見極め、風の向きを見極め航行していましたので、瀬戸内海ののあちこちに、物資の積み下ろしだけでなく、「潮待ち」の港が多くありました。今では人気の観光スポットとなっている、鞆の浦もその一つですし、今では「とびしま海道」として人気の大崎下島の御手洗地区などはその代表格。陸路が中心の時代になってくると、こうした潮待ちの港は、開発から取り残されてしまい、それがかえって、古の風情が残る理由にもなりました。潮待ちの港があり、さらには、「村上海賊」と言われるような、航行の安全を確保する代わりに、その対価を取る勢力も入り乱れていたわけですね。「鞆の浦」のある沼隈半島の中央にあるのが、昔ながらっぽい「みろくの里」という遊園地です。その「みろくの里」を経営しているのが、常石造船という造船会社で、造船業界では大手に属します。鞆の浦に観光に行かれた際には、少し足を延ばして、内海大橋までいかがでしょう?