2.26事件に思う「正義」と「進撃の巨人」
「今日は 2.26事件の日です」と、車のナビが教えてくれました。2.26事件というのは、1936年2月26日、陸軍の皇道派若手将校が中心となって、1483名の兵を連れて決起し、総理大臣官邸を襲撃、多くの閣僚などを殺害したクーデター事件。皇道派というのは、陸軍の派閥で、政治の腐敗を糾弾し、天皇の親政を求めるグループ。それが決起して、天皇親政を求めたものの、昭和天皇は激怒して、鎮圧の意思を明確にし、それによって、形勢は大きく鎮圧に傾き、2月29日に討伐命令が発せられ、収束。簡単に言えば、そういう事件ですが、その際、昭和の金融恐慌の際に手腕を発揮して財政を立て直した高橋是清大蔵大臣も殺されています。事件の詳細は、私も詳しくありませんので、このくらいにしますが、私が感じたのは、クーデターを起こした側、そして、それを鎮圧した側、それぞれに「正義」はあったのだろう、ということです。「正義」というと、普遍的な価値のようにも思われますが、「正義」ほど立場によって簡単に変わってしまうものもありません。「勝てば官軍」という言葉もありますが、勝者は自らを正当化し、美化しまし、敗者は全責任を負って「正義に反逆したもの」となります。そう思うと、正義を振りかざすことほど、危なっかしくて愚かなことはないでしょう。突然ですが、昨年末から、今さらながら「進撃の巨人」にはまってます。うちの奥様が先に見て、「絶対面白いから見て!」と強く勧められて、昨年の12月に、アマゾンプライムの「進撃の巨人 シーズン1」からシーズン3まで、全59話を一気に見ました。そして、現在NHKで、日曜深夜に放送中なのが、ファイナルシーズンです。ネタばれになるので、細かくは書けませんが、この漫画の奥深さと計算された展開は、歴史に残る傑作だといってもいいでしょう。「正義」とは何か?を考えさせられる物語です。かつて、「風の谷のナウシカ」に感じた衝撃を感じる作品ですね。私のような活字人間は、えてして小説よりも漫画を格下であるかのようにとらえ勝ちですが、実際には世界に誇れる文化であることは間違いないですね。素直に、日本人の想像力ってすごいな、と思います。人間の歴史というのは、正義のために戦い、正義のために死んで来た歴史とも言えますが、戦った一方が絶対悪で、一方が絶対善ということはないでしょう。それぞれが、自らの信じる正義のために、自らの家族を守るために戦ってきたわけで、結果として勝敗が分かれ、そこに善悪と「不正義」が生まれてしまうというのも悲しいことですね。2.26事件から、そんなことを思いました。