くり坊のひとりごと(blog版)

2008/06/15(日)13:20

「ブルジュドバイ」と「バベルの塔」

日本のこと 世界のこと(80)

仕事が忙しくて、なかなかテレビを見ることができないので、パソコンでビデオに録り、土曜日は仕事をしながらそれを見ることが恒例となっています。 そのため、番組の放映時期と私が見た時期に時間差が発生してしまうので、少々間抜けになりますがが、ご容赦ください。 ------------------------------------------------- さて、昨日見たビデオが「沸騰都市 ドバイ」(5月18日放送)。 豪華なリゾートホテルがあったり、サッカーの試合があったり、競馬があったり、人工島があったり、現在建設ラッシュで、私が昔いた会社では、ニュージーランドの松材の足場板が高値で面白いほど売れる、という話を聞いたり、ニュースで見たりして、なんとなくは知っていた。 自分とは縁遠い世界の話だし、なんとなく浮世離れしたところもあるもんだ、く らいの認識。 この国はアラブ首長国連邦の中の小さな国だが、石油はろくに出ない。 本来、砂漠の中の小さなオアシス国家だ。 そこに魅力的な人工的建造物を作ることで人とお金を集めることを思いついたのは、ドバイのムハンマド首長。 それがあたって、オイルマネーを中心とした資金がドバイに流入し、未曾有の建築ラッシュ。 乱立する高層ビル、コバルトブルーの海に浮かぶ美しい人工島。 番組中の表現を借りれば「突如として現れた蜃気楼のような都市」。 中でも圧巻だったのは、ブルジュドバイという、世界で一番高いビルになるという建築中のビルだ。 現在建築中の部分は、放送時で地上800m。 日本一高いビルは、横浜のランドマークタワーで、295.8m。 この3倍近い高さ。 想像するだけで恐ろしい高さだ。 今なお、4日に1階のペースで上に伸びているという。 番組の中で印象に残った言葉。 「一番でなければ意味がない。エベレストに上った人でさえ、二番目や三番目は忘れられる。一番は忘れられない」(だいたいこんな意味だったと思う) これがドバイのムハンマド首長の考え方の基本だ。 一番であれば、人も金も集まる。 建築中の「ブルジュドバイ」の映像を見ながら思い出したのは「バベルの塔」だった。 天に届く塔を建設しようとして神の怒りに触れ、それぞれ言葉が通じないようにした。 結果、人々は世界中に散って、世界中が違う言葉を使うようになった、という旧約聖書の話だ。 神の怒りに触れるかどうかは私の知ったことではないが、「物質文明」の極みがドバイに象徴されているのは間違いない。 そこには歴史もなく、生活感もない。 どこまでの薄っぺらで先鋭的だ。 山の高さは裾野の広さで決まる、という言葉があるが、この町には裾野の広さがまったくない。 ブルジュドバイのように、どこまでも細く先鋭的。 今にも折れてしまいそうな脆さを感じる。 ただ、ある日突然ポキっと折れても、困る人は僅かに違いない。 なぜなら、ここには「暮らし」がないからだ。 困るのは、ここの投資した一部のお金持ちだけだ。 しかも、ドバイで稼いだお金をドバイで無くすだけのことだろう。 1000万円のベンツを買った人は、次には2000万円の車がほしくなる。 「物質」で欲求を満たそうとすれば、ブルジュドバイのように、ただひたすら上に上に伸ばして一番を目指すしかないのだ。 物理的欲望は決して満たされることはない。 大事なのは、「器」の方ではなくて、中身の「暮らし」であるはずだ。

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