くり坊のひとりごと(blog版)

2021/04/06(火)11:23

一服・・・

徒然なるままに(602)

写真は冬の地御前漁港の朝です。 朝日が昇る頃には、養殖牡蠣を水揚げして、すでに一仕事終えての休憩中。 一仕事を終えての一服。 かつて愛煙家であった私には、そのおいしさがよーく分かります。 チェーンスモーカーとなると、これはもう癖みたいなもので、ただただ煙を浪費して、周囲を煙らせ、肺にひたすら悪い空気を送り込むのみという感じもしますが、仕事の合間の一服というのは、煙草の醍醐味があります。 今でこそ自らウッドデッキやフェンスを施工することはなくなりましたが、10年くらい間にはまさしく職人の一人として「施工」をしていました。 見積もりして、自分で図面を書いて、自分で施工して・・・。 まあ、規模が小さければ一番効率的です。 「施工」や工場での仕事というのは、作業中と休憩中のオンとオフがはっきりしていますが、休憩中に一服することで、より「休憩した感」が出るから不思議です。 煙草を吸わなくなると、休憩になってもすることがないというか、どうも手持ち無沙汰で、ついつい仕事をしてしまう・・・・。 新成人の喫煙率は、7%とか・・。 そもそも、未成年は吸ってはいけないのですが、それを考慮しても少ないですね。 おじさんたちが一生懸命禁煙の努力をしていることを考えれば、「賢明な世代」といえるでしょうね。 昔読んた禁煙セラピーという本には、「煙草を吸う人は、一仕事終わったといって煙草を吸い、煙草を吸ったほうが考えがまとまると言い、リラックした言って煙草を吸い、イライラするからと言って煙草を吸い、要は、いろんな理由をつけて、ただ煙草を吸いたいだけである」というようなことを書いてありました。 確かにそのとおりですね。 今の若者にとっては死語となってしまったのかもしれませんが、「一服しよう」は「休憩しよう」と同義語でした。 そのくらい、休憩と煙草を吸うという行為は密接不離だったのでしょう。 逆に、世の中にストレスが満ち溢れ始め、市民が日常的にそのストレスにさいなまれるような社会になってから、煙草を消す前に次の煙草に火をつけるような、チェーンスモーカーが出現し始め、「一服=休憩」ではなくなったあたりから、煙草の衰退が始まったように思えます。 思えば「おーい、一服だ」と誰かが声を掛けて、それを合図に作業をやめて煙草に火をつける、というのは、古きよき時代の象徴なのかもしれません。 私も煙草をやめてから、もう7年~8年くらいになりました。 本日もご訪問ありがとうございます。

続きを読む

このブログでよく読まれている記事

もっと見る

総合記事ランキング

もっと見る