くり坊のひとりごと(blog版)

2015/09/30(水)18:22

「今でしょ」の林修先生の講演会に行きました。

徒然なるままに(602)

昨日9月29日の夕方、会社を早退して、「今でしょ」の林先生の講演会を聞きに行ってきました。 県民共済の主催でしたが、5000人の応募に対して、当選者は1500名。 うちの奥様が応募していたものが当たりました。 テーマは「いつやるの?今でしょ。教え「育つ」教育を考える」 ただ、会場に集まった人の平均年齢は私の歳よりかなり上で、おそらく60歳オーバー。 「今更教育でもないだろう」と思える人たちが中心。 結局、本来聞くべき子育て層は忙しくて、講演会など聞きに来てる時間もなく、結局、時間に余裕のある高齢者層が中心、ということになってしまうのでしょう。 流石に博学な上に、空気も読める人だけに、話の面白さというのは別格です。 ヘタな漫才よりも笑えます。 メモを取っていないので、あいまいな部分もありますが、印象に残った話をすこしだけあげておきます。 ●「教育」とは「教え育てる」ものではなく、中にあるものを外に引き出すものである。英語のeducationというのは、本来そういう意味合いのもの。 では、その中にあるものというのは、いつ蓄えられるのかというと、遺伝は35%で、残りはぼぼ6歳くらいまで。 勉強に適した脳というのは、小学校に入るころには出来上がっているので、小学一年生であっても、見れば、頭がいいか悪いか、すぐに分かる。 その時点ですでに勝負はほぼついていると言っても過言ではない。 ●親が子どもに与える「影響力」は、生まれた時がマックスで、幼児期程強く、中学、高校の頃が最低になる。よって、中学、高校になって、「勉強しなさい」と言っても効果はない。 幼児期にちゃんと接することが大事。 ●東大に入るような学生は、授業中に授業は聞いていない。 学校教育は、上下の端を除いた「中間」をターゲットに行うものなので、上下端の学力の学生にはほとんど意味がない。 ⇒学校教師は自分の成功体験を学生に強要し、それに従順な生徒がお気に入りとなる。偶然その方法があった生徒には有効だが、そうでない生徒には暴力に近い。 ●みんなで話し合うことはできても、「みんなで考えよう」というのは、不可能。 「個は孤によって熟す」ということで、一人で考える時間が大切。 小学時代に私が尊敬した人物はスナフキンだ。 ●「成長」はないが、「覚醒」はある。 ⇒中にないのに、それを出すことはできないという意味で成長はないが、中にあるものに気づく、という意味での覚醒はある。 ●家に200冊の本がない家と、201冊以上の本がある家とを比較すると、テストの点数に大きな隔たりがあるというデータがある。子どもの育つ家の環境は大事である。 ●継続的、持続的に努力ができるのは「好きだから」。 好きでないものに「努力」をするのは、時間の無駄だ。 とまあ、いろいろとあるのですが、結局何かといえば、幼少期に、新しいことへの興味を持つ、新しいことを知る楽しさに目覚め、学ぶことが好きになっていれば、あとはどんどん自分で勉強するようになる、ということ。 「本」の楽しさを知れば、強要しなくても本を読むようになるわけ。 それで誰もが東大に行けるとも思えませんが、確かに、物事の「好き嫌い」というのは、幼少期にかなり出来上がっているのでしょうね。 昨日の講演会は高齢者が多かったということもあって、途中から「みなさんの子どもはもう遅いけど、孫ならまだ間に合います」ということで、自分の体験を交えながら、母方の祖父母の役割が重要だという話に。 子どもを安心して任せられるのは、母方の祖母。 一方、父方の祖父母があまり口出しするとうるさがられる上、父親の出来が悪いと、その両親である祖父母は「欠陥品の生産者」ということで、大切な孫を預けてもらえない。 父方の祖父母が孫の教育に関わるには、息子が家庭内の評価を上げるべく頑張ってもらうしかない、という話です。 残念ながら我が家は男の子二人で、まさしく、「父方の祖父母」。 まさしく、あまり口出しするとうるさがられる存在ですね。 こんな講演会を聞いて、「ああしろ、こうしろ」なんて言い始めると、ほんとに嫌われてしまうので、控えめにしておきましょう。 「勉強する能力」というのは、確かに「収入」に直結しやすい。 また、収入の多寡は、暮らしの豊かさに直結し、それが幸福度に比例しやすいのも事実でしょう。 だからこそ、親は子供に「勉強しなさい」と言うのでしょう。 しかし、それは、成績表の出ない6歳くらいまでにほとんど決まっているというのも皮肉なものです。 大切なのは、子どもと向き合って、子どもに語りかけ、読み聞かせ、小さな成長にもしっかりと反応して、一緒に歌って、一緒に遊んで、ということなんでしょうね。 昔の家は兄弟も多くて、下の子どもは上の子のことを見ながら育ちました。 母親は忙しかったかもしれませんが、その分、兄弟が成長を助けるということもあったでしょう。 また、大家族なら、祖父母が面倒を見ることも多かったと思います。 今は核家族化していますし、共働きで、育児休暇が終われば職場復帰。 否応なく託児所や保育所に預けざるを得なくなりますから、一緒にいる時間というのはなおさら大切でしょうね。 そう考えると、旦那が仕事から帰って大きな顔して動かない、なんてのはよくありません。 旦那の世話に貴重な「育児」の時間が削がれては、子どもの将来に関わりますからね。 我が家の子育てはというと、ほんとに妻に任せっぱなしでした。 当時は転勤族でもあったので、妻は専業主婦。 私は、毎日夜の10時過ぎの帰宅で、休みもあまりない。 子育てに関して、ほんとに役立たずな父親でした。 その分、妻が一人で苦労したのだろうと思います。

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