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カテゴリ:徒然なるままに
「蛇口をひねれば水がでる」とは、「当たり前である」ということの例えにも使われるくらいだが、「当たり前であると思っていることが当たり前ではない」という深い意味も感じられる。 ましてや、きれいな水が出るなんて、実は、そうとう有り難いことかもしれません。 冒頭のバケツに水を灌ぐ写真を、もう少し引いてみると、こちら。 林の中から突然水道管が突き出して、その先端に蛇口があって、水がでています。 実は、これ、山の水です。 この斜面の奥の澤の水を水道管でここまで引いてきています。 水源と蛇口の高低差によって、この蛇口からきれいな沢の水がでてくるようになっています。 ここは、墓地。 この村の、集落の墓地で、墓地から見下ろすと早春の田園風景が見渡せます。 お墓の掃除や、花に水をあげるために、この集落の方々が沢から水を引くように作業をしたからこそ、蛇口から水が出るんですね。 蛇口がなければ、バケツを持って、沢まで歩いていって水を汲んでこないといけません。 こうやって、先達の方々が作り上げた仕組みの上で、「当たり前」に水を使うことができるわけです。 そういうことは、社会全般に言えますね。 長い長い歴史の中で、日本の暮らしの地盤が作られて、それが「当たり前」になっています。 私達は、「当たり前」を作り上げてくれたご先祖に感謝して生きなければいけないな、と、そんなことを感じた、お彼岸のお墓詣りでした。 墓所の下には、春を告げるフキノトウ。 ちょっと伸びすぎ・・・。 いわゆる「塔が立った」状態ですね。 廿日市市吉和村は、スキー場のあるくらい、もともと豪雪地帯ですが、今年はほとんど雪も降りませんでした。 それでも、少し前に降った雪が軒先や、道の端に残っていました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2020/03/27 07:59:11 AM
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