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環境問題について

2016/10/11
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カテゴリ:環境問題について


循環型社会を理解するにあたり、生物が土に返ることのすばらしさや、人類が地球の財産を食いつぶしつつある現状について考えてみた。
そこで、きわめて単純な法則に気づく。
「収入よりも支出が多いと破綻がくる」ということだ。
当たり前過ぎるが、一番大事なことでもある。
今の世の中を動かしているものは「経済の論理」だ。
それはすなわち、
「儲けることはいいことだ」ということである。
より儲けたものは勝者であり、貧困にあえぐものは敗者である。
この原理はすべてのものを貨幣価値に置き換えることで成り立っている。
価値のある人とは、お金を持っている人であって、みんなに愛されている人ではない。
この「経済の論理」は「循環型社会」の原理と一番なじまないものなのである。



循環型社会とは生態系、すなわち大自然の営みを基本とした社会である。
大自然は確かに弱肉強食の世界だ。
それだけ見ると「市場原理」に似ているようにも見える。
が、一番の違いは欲望の方向性である。
生態系の中では必要以上の欲望は発生しない。即ち欲望に限りがある。
自然界の強者であるライオンは、満腹な時にはシマウマを襲わない。
しかし人間は使い切れないほどに金を儲けても満足しない。
腹の太ったライオンに、どうしたらもっと食べさせることが出来るかを考えるのが経済だ。
1着のスーツが欲しい人に3着のスーツを売ることが出来る営業マンが優秀な営業マンなのである。
循環型社会の基本は「足るを知る」ということにある。
経済の基本は「欲望を増幅させること」にある。
洗剤を流せば河川は汚れる。
でも、洗剤が早く減れば洗剤メーカーは儲かる。
極端な話、ワンプッシュで出てくる洗剤の量を5%増やせば売り上げも5%アップする。
でも河川は5%汚染されるわけだが、その汚染を浄化するためにの費用を洗剤メーカーが払うわけではない。
大自然が何億年もかけて蓄えてきた財産の代価は、一体誰が払うべきなのか?

*********************
上の記事は、2005年10月22日の記事の再掲載です。

2020年以降の温暖化対策について、世界196か国が参加して、その取り組みについて決めた「パリ協定」が11月4日発行するらしい。
日本では、国内での批准手続きが遅れており、それに間に合いそうにない、というニュースをやってました。
日本の目標は、二酸化炭素の排出量、2013年比26%減。
これはかなり大変です。
とはいえ、私を含めて、国民にはきっとそういう意識もない、というところに問題がありますね。
日本の場合、個人の努力よりも、「省エネ技術」でもってそれを達成するつもりなのでしょうか?






Last updated  2016/10/11 01:00:49 PM
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2016/10/05
カテゴリ:環境問題について

循環型社会を目指す!というスローガンが掲げられるということは、現実はそうではないということだ。
それでは、「非循環型社会」とはどういうものなのか?
ということを考えてみれば循環型社会を理解しやすいと思われる。
非循環型社会とは、簡単に言えば「使い捨て」社会である。
生産→消費(使用)→廃棄
そこで終わってしまう。
作った分だけ廃棄物が溜まっていくわけである。
産業革命が始まった頃、人間の存在に比べて地球は果てしなく大きな存在であったはす。
ちっぽけな人間が黒い煙を巻き散らかそうが、汚いものを海に流し込もうが、全ては大自然がやさしく包み込んでくれるはずだった。
そう信じた人類は、指差す彼方の栄光に向かって一直線。
何十億年も掛けて生まれてきた石油を掘り返し、燃やし、そのエネルギーでもって人間は地球をどんどん狭くした。
かつては何年もかかった地球の裏側への大航海が、今なら飛行機で1日もかからない。
これはすなわち、短時間に大きなエネルギーを使っているということだ。
そう考えると、人類の進歩とは、どれだけ段時間に、どれだけ大量のエネルギーを使うことができるかという「技術」の進歩なのだということが分かる。
大きかった地球は、人類が使用するエネルギーの膨張(人口X一人の使うエネルギーの増大)によって相対的にどんどん小さくなっていった。
そして、やっと「こりゃまずい」ということに気付いたわけである。
後先考えずに放蕩を繰り替えし、限りなくあるはずだった財産の底が見え始めた金持ちのボンボンと同じである。
「この調子で使っているとなくなってしまう!」
これまで遊び呆けていたボンボンも、使うだけだといつかは無くなってしまうことにやっと気付いたわけだ。
今の人類の状況に似ている。
が、しかし、これまで放蕩癖が身についてしまって、働く気にもならなければ節約することもできない。
これもまた人類と同じだ。
分かっているけどやめられない。
心の底では「なんとかなる」と思ってる。
でもきっと、どうにもならないのだ。
財産を使い尽くした彼は、「ご利用は計画的に!」を書かれたポスターが張ってあるドアを押す。
このドアを押す前に聞きたい言葉だったが・・・・・。
さて、人類はどうしよう?

(2005年10月19日 掲載分 再掲載)

10年以上前に書いた記事ではありますが、基本的な状況というのはほとんど変わってないようです。
逆に、10年間放置されてきた分だけ深刻になったとも言えますね。








Last updated  2016/10/11 01:01:32 PM
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2016/09/28
カテゴリ:環境問題について

「循環型社会」という言葉を聞いたことがあるだろうか?
環境問題に関心のない人でも、どこかで必ず耳にしたことがあると思う。
そう、環境問題用語である。
「生態系」という言葉は誰もが聞いたことがあると思うが、具体的にその内容を知っている人は意外に少ないのではないだろうか。
なにを隠そう、私自身が良くわかっていなかった。
「いろんな生き物が暮らしている環境」という程度の漠然とした捕らえ方をしているケースが多いと思うが、それはそれで間違いとはいえない。
が、その環境を保たれているのはなぜだろう?
ここがミソなのである。
個々の生き物は生まれ、成長し、死んでいく。
それにもかかわらず環境が保たれるのは、そこにひとつのシステムがあるからである。
そのシステムを生態系(エコシステム)という。
「土に返る」という言葉がある。
生き物が死に、腐り果てて、跡形もなくなることだが、これこそまさしくその一局面である。
もし、人間が死んでも腐らずにそのままの状態で残るとしたら・・・・。
想像するだにおそろしい。
仏壇を開けると、何十世代も前のおじいさんやらおばあさんやら、早死にした子どもやらが並んでいる風景を想像してもらいたい。
下手なホラー映画以上の怖さだ。

でも実際にはそんなことは起こらない。
なぜなら「腐る」からである。
腐るというと悪いことのように考え勝ちだが、腐るからこそ「環境」が保たれている。
そもそも腐るということは、有機物が無機物に分解される過程で起こる現象である。
この現象を起こさせるのは菌類・細菌類である。
ということで、これらを環境学的には「分解者」と呼ぶ。
腐るからこそ、土に返る。
土に返るからこそ新たな命も生まれてくることができるのである。

先日久しぶりに父親の実家のある村に行った。
そこには現在だれも住んでおらず、70歳の両親が時々訪問して野菜などを作っている。
そこに野菜をもらいにいった。
とうもろこしを収穫。その場で皮をビゲのむしりとる。
何十本もあるので、皮とヒゲも山のようになる。
「これ、どうするん?」と私が母に聞くと
「横のほうに投げときんさい(広島弁)」という。
見てみると、畑の隅には枯れた花とか、芋のつるとかがまとめてあった。
私は
「これって、町ではゴミだよな」
と思いつつその上の重ねて置いた。

大自然が生み出したものは大自然にかえっていく。
たったこれだけのことだが、なにやら新鮮な驚きを感じたのである。

それにしても、仏壇が実物大の先祖でいっぱいにならなくてよかった。

***************************************************

上記の記事は、2005年10月15日に投稿したものです。
ネットショップを2000年に初めて、はんとか軌道に乗り始めた頃。
当時、ブログなるものがはやり始めて、ネットショップの店長としてはブログくらい始めなければ、ということで、手探りでぼつぼつ記事を投稿し始めました。
まだ写真を趣味にしていなかったので、自作イラストをつけて記事を書いていたんですが、最近のように写真に逃げることなく、ちゃんと記事を書いていたんですねえ~。
環境問題というには、11年たっても基本は変わらないので、今でも十分読んでもらえる内容だ、と思い、再掲載させてもらいました。






Last updated  2016/09/28 07:52:44 AM
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2013/08/23
カテゴリ:環境問題について
asatuyu.jpg


稲の葉についた水滴の中に、稲穂の姿が写っているのですが、分かるでしょうか?
ちょっと写真が小さいですね。

夜になると冷え込んでくる高原や山間部では、日中大気に含まれていた湿気が夜露に変わります。
時々ブログのネタにしている父の実家のある吉和村は標高も600m近く、夏でも夜間は寒いほどに冷え込みます。
日中の気温との寒暖の差があるほど、夜間に水滴になる水分も増えますから、朝になると、一面が水滴に覆われたような状況になります。

雨が降らなくても、こうして毎日夜露が降りてくるということは、植物にとってはありがたいことでしょうね。
高原野菜がおいしい理由というのは、一日の半分は、こうして露に守られてうるおいを保つことができる、ということにもあるのでしょう。

日本の気候を説明するとき「多湿」という表現を使います。
確かに、日本の夏は蒸し暑い。
ただ、この蒸し暑さが夜露を生み、植物の生長を促している、とも言えますね。
日本の豊かな自然環境が、この蒸す暑さのおかげだと思うと、気持ちよく受け入れることもできそうです。

とはいえ、熱中症にはお気を付けください。

asatuyu02.jpg








Last updated  2013/08/23 07:56:18 AM
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2013/06/10
カテゴリ:環境問題について
kinkei02.jpg


この時期、河川敷や、ノリ面などを黄色く染めている花が、大金鶏菊(オオキンケイキク)。
これまで、ブログでも何度か取り上げましたが、特定外来種に指定されて、栽培が禁止されています。
北アメリカ原産のようですが、どんどん繁殖してしまう。

うちの会社のある工業団地のノリ面はこの花でいっぱいですが、飛んだ種子が近所に生えて、団地内、いたるところに生えてます。

ぱっと見、キバナコスモスにも似てますが、近くで見ると、あまりきれいでもかわいらしくもありません。
まさしく、ワイルドな感じ。
それだけに、強いのでしょう。

kinkei01.jpg


持ってかえって家に植えたりしてはいけませんが、ノリ面を黄色く染めて群生している様子は、なかなかきれいです。

でも、最近、少し減ってきたような気もします。






Last updated  2013/06/10 12:49:08 PM
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2011/11/16
カテゴリ:環境問題について
りんご03.jpg


数年前、NHKの「プロフェッショナル」で取り上げられて話題になった「奇跡のりんご」の木村秋則さんについての本を2冊続けて読んでみました。
一冊は、NHKの取材班がテレビ放送後に再取材を行なって発刊した「奇跡のりんご」で、もう一冊は、木村さん自身が書いた「りんごが教えてくれたこと」。
同じエピソードがどちらにも出てきますが、外側と内側の両側から見ているようで興味深いです。

「奇跡のりんご」って何?という方のために、ごく簡単に言えば、10年の歳月をかけて、絶対不可能とされたりんごの無農薬栽培を実現した人の話です。
そのりんごは、小ぶりながらも例えようもないくらいに甘く、おいしいといいます。

1978年からりんご無農薬栽培に挑み、10年間はりんごによる収入はほぼゼロ。木村さんは1949年生まれですから、29歳~40歳までの、一番家族にお金のかかる時期を極貧の中で過ごしてきたわけで、ご家族の苦労がどれほどのものであったかと思うと、ほんとにりんごができてよかったなあ、と思います。
40代でりんごの無農薬栽培のノウハウを確立してからは、りんごに限らず、無農薬農法の普及に力を注いでおられるようです。

さて、木村さんによれば、無農薬無肥料で育てたりんごは腐らないといいます。
1年以上放置しておくと、もちろん形は崩れてくるのですが、腐敗ではなく発酵に近い状態になって、芳香が残っているとか。
ただ、これは、木村さんの作ったものだけでなく、無農薬栽培で作ったもの全体にいえることだといいます。
米や野菜でも同じように「腐り方」が違うと。

腐るというのは、有機物が無機物になる最後の過程である「分解」という作用ですが、要は分解のされ方が違う、ということなのでしょう。

江戸というのは、世界規模最高水準の都市機能を備えた町であったといわれていますが、その柱のひとつが汚物を川に流さなかったことがあげられています。
都市部で出てくる排泄物は船で回収されて、上流の農村地帯に運ばれえて「肥料」として使われていたという話です。

究極のリサイクルといえますがが、今こんなことをすると、おそらく悪臭のためそこらじゅうが糞尿の臭いになってしまいそうです。
これは、まったくの思いつきですが、ひょっとすると、昔の人の排泄物というのは今ほど臭くなかったのではないか?
例えば、赤ちゃんのうんちは大人のように臭くはありません。

江戸時代の人が食べていたものは野菜中心の食事ですし、しかも当然無農薬。
化学肥料もありません。
そういう食べ物が体内に入って排泄されてくると、実は今私達が想像するほど臭くはなかったのではないか?

だからこそ、それを回収して、「こえ溜め」で発酵させて、それを肥料とできたのではないか。

そんなことも考えてみました。

当時の臭いを確認することはできませんが、ありえない話ではないと思ったりします。

本日もご訪問ありがとうございます。













Last updated  2011/11/16 12:40:04 PM
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2011/09/07
カテゴリ:環境問題について
KAWASAIKU.jpg


日曜日に、ショップで行なわれていた「革小物キーカバー作り体験」に参加してきました。
その前日には、うちの社長も参加していたので、くわしくは、社長のブログで。

友達と私達夫婦の三人で参加してきましたが、思ったよりも参加者が増えて、道具が足らないくらいに・・・。
それでも、革細工の面白さを体験できて、よかったです。
ちょっと道具を買って、まずはブックカバーあたりから作ってみようかなという創作意欲が湧いてきました。

皮というのは、人類が文明を持ち始めてからの長ーい付き合いであることは間違いないでしょう。
はじめ人間ギャートルズも、原始少年リュウも皮の服を着てました。
「新しい酒は、新しい皮袋に盛れ」という言葉もあります。

人類が生きるために狩猟をすれば、そこには必然的に皮が残ります。
「虎は死して皮を残し、人は死して名を残す」
なんてことわざもありますが、その皮を利用する、ということ自体が文明の始まりだといえるかもしれません。

皮は生きていくための結果として生まれたもの。
だからこそ、人間が「食べる」ための副産物として出てくる範囲で使用することが正しいありかたですし、神に祝福される使い方でしょう。
それが「皮」そのものが目的になった瞬間、野生動物の乱獲が始まってしまいます。
かつて、ビックリマンチョコのシール目的に大量に買い込み、チョコの方はゴミ箱に捨てるという現象が問題になりました。
動物には「生きていくために食べることができる量」という限度があって、それが生態系を守るための大きな基準になっています。
たとえばライオンが、趣味でシマウマを襲い始めたら、弱者であるシマウマはあっという間に絶滅してしまいます。

人間は本来、大自然の生み出す「利子の部分」をいただいて、生きているに過ぎません。
それでこそ、大自然の一員であるわけです。
ただ、残念ながら、産業革命以後の人類は、大自然の一員ではなく、支配者であろうとしました。
地球温暖化や異常気象というのは、それが間違っていたことの証しですね。
原発事故だって、安易に利子だけを得ようとした「高利回り」詐欺に引っかかったようなものだという見方もできます。
「絶対安心、元本保証」だと、誰もが信じていたのですが、この有様。

簡単に言うと、最近のエコ問題というのは、「利子の範囲で生きることができるようにしていきましょう」ということです。
そのためには、利子を生み出す大自然のメカニズムを壊さないことが重要です。
「元も子もない」ということになる前に・・・・。

本日もご訪問ありがとうございました。

※こんな小さな作品でも、個性が出てくるものですね。
手前が奥様の、奥が私の作品です。
次はもっとうまく作りたい!
そういう気持ちが大切です。
もしも、ブックカバーができたら、ご報告いたします。








Last updated  2011/09/07 12:03:49 PM
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2011/06/15
カテゴリ:環境問題について
HIROSIMA.jpg


日曜日、ほんとうに久しぶりに広島の平和公園にある「原爆資料館」に行ってきました。

今は大学生になった息子達がまだ小さかった頃、家族で来て以来だと思います。

入館料は大人50円。
こんなに安かったかなあ、と思いましたが、そもそも営利目的の施設でもないので、できるだけ入りやすいほうがいいですね。
中に入ってみると、かなりの人が見学をしていました。
1年間の入館者は100万人以上で、外国人も10万人以上いるようです。

私が多くを語る必要もありませんが、資料や遺品を見ていると、失われた命には、それぞれ人生があって、暮らしがあって、家族があって、夢も希望もあったのだということが伝わってきます。
20万人とか、30万人とかいった犠牲者の数ではなく、そこには一人ひとりの「暮らし」や「思い」があって、その一つ一つが掛け替えのないものであるということも分かります。

今回、資料館の地下で「黒い雨」と題した被爆者の絵画展を行なっていました。
被爆者の方々が書かれた絵画の内、黒い雨関連のものを集めた展示です。
その中に、黒い雨に向かって、大きな口をあけて雨を飲もうとする子どもの姿が描かれているものがありました。

黒い雨とは、原爆の二日後に広島市周辺にだけ降った「原爆の雨」です。
原爆投下後、やけどした被災者が水を求めて川に飛び込んだり、「水をくれ」といううめき声があちこちから聞こえたという話はよく聞きますが、そういう状況下で降り始めた黒い雨を、天に向かって口を開いて飲もうとした人がたくさんいたとのこと。
飲んだ人は、激しい下痢と嘔吐に苦しんだと資料にはありました。

福島の原発事故はいまだ終息の目処も立たず、酪農家が将来を悲観して自殺したというニュースもありました。
1945年の広島・長崎の原子爆弾投下。
1954年の、ビキニ環礁での米国の核実験で死の灰を浴びた第五福竜丸。
そして今回、福島での原発事故です。

「核」というものが諸刃の剣であることがよく分かります。

これまで、私自身も「原発は安全だ」と信じきっていました。
「核の平和利用」という、なんだか耳ざわりのいい言葉に、特に迷いもなく原発を肯定していたのだと思います。
今朝のラジオで「原爆も原発も、入っている器が違うだけで同じものだ」なんていってましたが、確かにそうかも、という気もしました。

今となっては、一刻も早く原発事故が終息に向かうことを祈るばかりです。

ともかく、国民一人ひとりが、もっと政治や行政に関心を持って、しっかりと見極めていくということが必要ですね。
今の政治状況を作ったのも国民ですし、公務員の体質を作らせたのも国民なんですね。
無関心はそれ自体が罪だと思いました。

本日もご訪問、ありがとうございます。

追記。
資料館の地下は無料なのですが、「黒い雨」の絵画展とともに、はだしのゲンの漫画と当時の写真などの資料で分かりやすく説明した企画展も行なっていました。
とても分かりやすい展示です。
広島にお住まいの方も、ぜひどうぞ。

HIROSIMA02.jpg










Last updated  2011/06/15 12:59:30 PM
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2011/06/09
カテゴリ:環境問題について
SENNJYOUSIKI.jpg


原発事故をきっかけとして、電力行政のありかたそのものの問題がどんどんを表面化してきましたね。

地震と津波による未曾有の大災害と、周辺にはしばらく人が住めなくなるかも、というような原発事故。
20世紀の負の遺産やしがらみを取り払うには絶好の機会だろうとも思います。

基本的には、地球のシステムそのものに大きな負担をかけつつ人類が繁栄する、というありかたはもう限界なのだろうと思います。
エコ問題では「継続可能な」という言葉がしばしば使われます。
継続可能な、というのは、大自然の循環の中の流れに添っているということでしょう。

地下資源を掘り出して消費するというのは、当然「継続不可能」です。

右肩上がりの経済発展、というのはどうでしょう?

経済成長=物質的な豊かさ、ということであれば、これもやっぱり本質的に無理があります。

日本はまず、これを機会に、「自然エネルギー」の活用に大きく舵を切るべきだと思うのです。
いつまでも外国の資源に頼らなければ電力も作れないというのも問題でしょう。

20パーセントとか、30パーセントとかいったセコイことを言わずに、この際だから100パーセントを目指すくらいでいいのではないでしょうか?

太陽光発電はもちろんのこと、風力発電とか、小規模水力発電とか、ありとあらゆる自然エネルギーを使って、国内で消費するすべての電力を賄う、という目標が設定されれば、日本人は一気にその方向に知恵を出して、化石燃料や、原子力よりも効率のいい発電方法を生み出すに違いありません。
その技術が確立されば、その技術を持って海外に輸出して、世界中を自然エネルギーを活用した発電を広げればいいと思うのです。

短期的には、自然エネルギーはコストが高いかもしれませんが、長い目で見ると、きっと日本を救ってくれるような気がします。

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写真は、山口県長門市の「千畳敷」という場所です。
日本海を見下ろす330Mの高さにあります。
風力発電のプロペラがいくつも並んでいます。(写真では一基だけですが)

そして、吹きさらしの頂上には駐車場と、「カントリーキッチン」というお店が一軒。

SENNJYOUSIKI02.jpg


吹きさらしの場所ですが、流石に眺めがいいです。
そして、棚の上にサインのある「860円のビール」の「ビンだけ」をを売って欲しいと頼んだら、同じ系列の雑貨屋さんで売っている、ということで、そこまで買いにいきました。

SENNJYOUSIKI03.jpg


なかなか雰囲気のある雑貨屋さんでした。
ちなみに、ビールのビンは100円。
現在、我が家の窓際に飾られています。
SENNJYOUSIKI04.jpg


かれこれ、2年前に2009年7月のことでした。

そのときの記事がこちらです。
角島
東後畑の棚田
萩市立明倫小学校

ご訪問、ありがとうございました。






Last updated  2011/06/09 08:42:50 PM
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2011/06/05
カテゴリ:環境問題について
KUMO.jpg


日曜日は私の住む廿日市市の町内一斉清掃でした。
毎年この季節にあり、公園や緑地帯、排水溝などの町内の共有施設などを掃除します。
私は排水溝の担当で、ご近所さんと排水のマスに溜まった泥をすくい、土嚢に入れて、所定の場所に運びます。

それはさておき、町内清掃が終わると、みなさん自宅に帰るのですが、そのまま引き続き、家の周りの掃除を始める人が多いですね。
「そうじのついで」ということなのでしょう。
例にもれず、我が家でも草抜きなどを行い、庭に咲く花の写真なをを撮っていると、花の上を動き回る赤い物体を発見。
大きさは1ミリほどで、ゴマ粒の半分ほどの大きさで「点」にしか見えませんでした。

写真を撮ってみると、どうも、足があり、クモのような形をしています。
さっそくネットで「赤い 小さい クモ」と検索してみると、どうやらクモではなくて「タカラダニ」というダニのようです。

外来種のようですが、特に人間を噛んだりするわけでもなく、しばらくしたらいなくなるので、気にならなければそのまま放っておいても問題はないとのこと。

大きな大自然の循環の中で、こういった小さな生き物も、なにかしら役割を担っているのかなあ、なんて思いますね。

害虫を駆除したら、生態系のバランスが崩れて、もっと別の問題が発生したりしますよね。
ダニというのは、生態系の中では「分解者」という部類に属するらしく、動物の死骸や枯れた植物を分解して「無機物」に戻すために一役買っているようです。
分解者というのは、自然界のゴミ清掃業者ですね。
生物の死骸を土に戻すという働きをしています。
そうでないと、この地上には、どんどんと死骸が積み重なって、人間も死骸の上で暮さねばならなくなります。
そうならなくても済んでいるのは、「分解者」といわれる、ダニとか、ミミズ、バクテリアなどの細菌類、などなど。
それぞれ得意分野があるらしく、植物性のものが好きだったり、動物性のものが好きだったり、ダニやミミズの糞が好きだったりということで、力をあわせて分解し、土に戻しているんですね。

発電にしても、ごみ処理にしても、もっともっと自然の力をうまく利用して、逆らわない方法にシフトしていくべきなんだと思います。
21世紀というのは、これからの長い長い人類と地球との関わりを考える上でも大切な世紀になりそうですね。
子どもたちに対して、胸を張れる時代にしたいと思うのですが・・・。

本日も、ご訪問、ありがとうございます。






Last updated  2011/06/05 05:30:46 PM
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