2019/02/25

祖母 13回忌の法事に思うこと


祖母の13回忌の法事が、ありました。
家族にとっては大事なことですが、まあ、家族でなければ全く関係のない話です。
本日はそれに絡めてちょっと書いてみます。

今回の法事は、祖母の13回忌。
祖父はもっと早く亡くなっているので、祖父母の代はもういません。
親がいなくなると、兄弟とはいえ、なかなか集まる機会もなくなってきます。
ましてや、いとこ同士となると、親戚の葬式くらいしか会う機会もなくなったりします。
今回、数名のいとこに会いましたが、前回は、5年前の母親の葬式の時だったりしますね。
おそらく、祖母の法事も13回忌で終わりだと思うので、次に会うのは、誰かの葬式・・・・。
なんて、笑えない現実です。

もともと我が家の先祖は、太田川流域の立岩ダムの底に沈んだ地域に住んでいて、戦前に今の場所に引っ越してきたとのこと。
ダムの底に沈んだ家の材料を持ってきて建てたらしいです。

田舎の家にいくと、亡くなった先祖の遺影が長押の上に掛けられていますよね。
「家」とは、祖先から連なる人の歴史でもあります。
「家」の概念が希薄になって、「個」の力が相対的に大きくなるということは、歴史の重みが希薄になることでもあるかもしれません。
この土地を守ってきた先祖への感謝とか、苦労に対する畏敬とか、そういったものがなくなっていくのはちょっとさびしいですね。

うちは、もともと農家で、廿日市市吉和(旧佐伯郡吉和村)に昔の家が残っているので、親戚が集まることもできますが、古い家も、人が住まなくなればほどなく壊れてしまうものですし、ましてや、東京や大阪に行ってしまえば、墓参りさえもおぼつかなくなってきます。

お坊さんに「立派な仏壇で」と言った頂けるのはいいのですが、大きな仏壇では、町の家には置けません。
家が朽ちていくと同時に、仏壇も一緒に朽ちてしまうのか・・・・。
せめて、私が生きている間はなんとか、とは思うものの、我が家も二人の子供たちは東京方面に就職してしまい、今のところ、広島に帰ってくる見込みなし。

これは、別に我が家に限ったことではなくて、日本全国各地で、起こっている問題。
この家の周囲もすでに空き家がいっぱいです。
私は写真を撮るのが趣味だったりするので、棚田などにもよくいきますが、棚田を作るために積んだ石の一つさえ「家の歴史」であり、「先祖の遺産」であったわけですね。

今は、長男である、うちの父親も生きていて、なんとかこの古い家の面倒も見ていますが、父がいなくなってしまうと、どうなるのかな、なんて思ってしまいます。
なにしろ、買い物一つするにも苦労する過疎地。
うちの父親も、普段は便利のいい場所に住んでいて、畑の面倒をみるために、週末訪れる程度。
それでも、3年くらい前に、瓦をぜんぶやり替えました。
父のとっては、自分の育った懐かしい家です。
ただ、不便だし、さらに年を取れば今のように行ったり来たりもできなくなるでしょう。

父がいなくなると、この家も時の流れに押しつぶされるように崩れてしまうのかな、なんてさびしい気持ちになったりします。
おそらく、父も、それが心残りの一つだと思います。
子供のころには、この家に、いとこがいっぱい集まって、わいわいガヤガヤしてました。

せめて、なんとか寝泊りができる状態をキープして、親戚が自由に使えるようにできないものか、なんて思ったりしますが、なかなか難しいでしょうね。
お金もかかります。

親孝行だと思って野良仕事の手伝いには行きますが、おそらく、父親がいなくなれば、この家の周りに野菜を植える人もいなくなって、荒れてしまうのかな・・・。
おそらく父は、そういうことまで心配なんだろうなあ、なんて思います。

どうでもいい話ではありますが、おそらく、そういった漠然とした寂しさを日本人の多くが持ちながら、都会で働いているんだろうなあ、とも思うわけです。

心の中で思えばいい程の戯言、失礼いたしました。





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Last updated  2019/02/25 07:23:58 PM
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