2005/05/06(金)13:09
第一章 「崩壊」-1
朔は瞼をそっと開けた。
見慣れたベージュの天井を見えげ、そっと息を吐く。
『じゃあ、アナタは誰?』
軽やかな声が頭の中で木霊する。
『私は八代朔』
木霊が聞こえるたびにそう繰り返す。
ようやく声が聞こえなくなり、のろのろと身体を起こす。
視線を横に流せば、寝起きでぼさぼさな黒い髪が見えて、やっと安堵の息をつけた。
淡い緑色のシーツを見て、ここが自分の部屋だと確信して肩の力を抜いた。
恐る恐る両手で顔をぺたぺたとくまなく触る。
今は、鏡を見る勇気がないのだ。
「………私の、顔だよね?」
「朔?」
名前を呼ばれ視線を上げると、琥珀色の瞳と視線が合った。
怪訝そうな表情に朔は苦笑するしかなかった。
「なんでもないよ」
信じてくれたかは分からなかったが、優しく頭を撫でられる。
朔はゆっくりと冷えて固まっていた体が解けていくような感覚を覚えた。
「おはよう、兄さん」
「おはようございます」
優しげな風貌と一致するやわらかい声。
あの暗闇で届いた声だった。
「起こしてくれて、ありがとう」
朔は生まれてから、これほど心から夢から呼び起こしてくれたことに感謝するのは初めてな気がした。
「悪夢でも、見ましたか?」
「え?」
「眉間にしわを寄せて寝てましたよ」
柔らかな笑顔をうかべつつ、眉間のあたりをぐりぐりと押された。
妙にそれはくすぐったく、朔は笑いながら軽く払った。
それにしても。
朔は何と答えようか、迷った。
あれは、悪夢なのだろうか?
夢で違う姿になる、というのはよくあることではないか。
それが怪獣や化け物ならいざしらず、美しい姿ならありえない話ではない。
朔は普通すぎる容貌に特にコンプレックスをもった覚えはなかった。
が、どこかであの姿を理想と思っていたのなら。
白い肌、銀の髪、整った顔立ち。
街中を歩くと必ず注目を集める、と断言できるほど綺麗だった。
だが、思い出すだけで背筋に悪寒が走る。
何故、あれほどの恐怖を感じたのか朔自身、分からなかった。
自分はあれを夢と分かっていた筈だ。
分かっていたのに、どうしようもない不安に襲われたのだ。
何故なんだろう。
ぐるぐると思考の渦に飲み込まれかけた朔を引き上げたのは頬の痛みだった。
「さ、く」
にっこりと笑っている兄が、頬をつかみ横に広げていた。
笑顔に威圧感を感じ、朔は黙って兄を見上げた。
「人の話を聞いてますか?」
兄はいつも丁寧な口調を使う。
だが、その口調が、今は怖い。
嘘や誤魔化しは聞かないと判断した朔は、恐る恐る首を横にふる。
ますます笑顔を深めた兄は視線である方向を向くように促した。
朔は素直にそれに従い、固まった。
午前九時三十分。
休日でよかったと、安心などできなかった。
学校に遅刻して、先生に怒られるより怖いモノがまっているのだ。
「今日は、優奈さんと稜さんと約束があると聞きましたが」
言われるまでもない。
朔は慌ててベットから跳ね降りた。
バタバタとクローゼットに駆け寄る。
「朝食はできてますから」
朔に拒否権はなかった。