047032 ランダム
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♪monica♪

その2

 中2の頃から、密かに音大へ行きたいと思っていたが、その頃は、音楽をやるのは大学からでいいと思っていた。
とにかく、この合わない中学を辞めることしか考えていなかった。
(今となり、何が嫌だったのかはあまり覚えていない、汗)
でも、中高一貫だったので、他の高校を受験することは非常に難しかった。
偏差値教育を受けたことのなかった自分は、模試で『偏差値』を知り、驚いた。
とても低かったから...。
これではどこにも行けない!荒れている公立には行きたくない!
中3の夏、家族で大変なバトルした。さあはよく覚えていないのだが...。
将来のことを真剣に話し合った。
ただ学校が嫌いだから辞める!それだけではいけないと言うことで。
音楽高校(以下:音高)があることは、学校案内を読んで知っていた。
問題集を見た所、何とかなりそうな気がしていた。(甘過ぎ)
(注:普通、音高に入るためには、少なくとも1年半前から準備するようです)
音高に行く気があったのだが、誰にも言うことはできなかった。
だから、自分1人で音高を見つけて説明会に行き、もうココに行く!と決めてしまっていた。
(自分のことは自分でやるしかない!と、この時から思っていたのだろう)
それを4才から習ってきたS先生に言うのはギリギリになってからだった。
面と向かっては言うことが出来ず、8枚もの手紙を書いた(もう覚えていないが、母が覚えている)
手紙が届いてすぐ、先生から母に電話があった。「音楽をやるには10年遅い!」と。
(先生のお嬢さんはヴァイオリンニストで、5才からT音楽教室に通い、G高に入った方なので、
 10年遅いということになったのです。つまり先生は教育ママだった)
けれど、さあの手紙で先生は心を動かされたようで、
「そこまで言うのなら」と協力して下さった。
そして、「私はあなたに教えられました。考え方を改めさせられました」と。
これが10月の話し。受験まで3ヶ月しかなかった。
この時点から、ピアノが好き!というよりは、音楽が好き!だった。
でも、ピアノしかやってこなかったので、とりあえずピアノで入ることになった。
(つまり最初からピアニストになろうとは思っていなかった。)

 今でも忘れない。受験することが決まった直後の11/10、音高の音楽講習会があった。
この合否の結果が、高校に入れるかどうかの目安になる。
小さいころから、ソルフェージュ(聴音と視唱)はやっていた。
弾いた曲は、ベートーヴェンの「月光」、第3楽章。
結果は合格だったが、条件付きだった...。
「ピアノはちょっとねぇ。。。(沈黙)力不足だけど、聴音は満点だったから合格にしました」と言われた。
 その後S先生に、「私にはもう見られません。受験、そしてこれから先は、新しい先生につきなさい。」と言われ、
とても悲しかったことを覚えている。
「でも、私は先生のもとでやりたい。」と言った。
結局新しい先生を紹介していただき、この時からK先生の所へ通い出した。
それまでの月謝制とは違い、1レッスンいくらになった。
受験までの3ヶ月、学校へも行かず、必死に練習した。
生まれて初めて、必死で練習した。
周りを驚かせる程の進歩だったらしい
中学の人たちに、学校をやめること、音楽の道へ進むことを話すのには
かなりの勇気が必要だった。
自分より断然ピアノの弾ける人の前で、
「自分は音楽をやります」と言うのは苦しかった。
だが、目的を持たず、ただ学校が嫌いだから、合わないからと言ってやめるのは
これまた逃げのような気がしてならなかった。
この時から、さあは何事にも目的を持つようになったと思う。

 何とか無事、音高に合格した!
他の高校の普通科も受けていて、受かっていたけれど、
行く気なんてなかった。音楽をやるためにはココしかないと思って必死だったから。
晴れて合わない一貫教育の学校を脱出し、好きな音楽を学べることになった。



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