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西條剛央のブログ:構造構成主義

◆『エマージェンス人間科学』

『エマージェンス人間科学:理論・方法・実践とその間から』
西條剛央・菅村玄二・斎藤清二・京極真・荒川歩・松嶋秀明・黒須正明・無藤隆・荘島宏二郎・山森光陽・鈴木平・岡本拡子・清水武(編著) 北大路書房

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はじめに(一部掲載)

人間科学という総合領域の時代的要請

 「分析」というコトバに端的に表れているように,科学,研究という営みは,細分化していくことを運命付けられている。それゆえ,学問には極めて多岐に渡る領域があり,また数え切れないほどの学会や研究会が存在している。もちろん,そうした専門分化した学会や研究会は必要である。しかしながら,学問が細分化を続けても,「現実」はそれにともない細分化していくわけではないことを忘れてはならないだろう。現実は,学問の多様化,乱立という状況とは関係なく,全体として我々に立ち現れている。

 その現実という全体性に対応していく知を生み出すためには,個々に専門特化していくだけでは,十分ではない。こうした問題意識から,細分化する科学の限界を超えようと,人間科学という新たな総合領域が生まれてきた。人間科学という魅惑的な響きのあるシンボルのもとに,異なる領域の技術や発想を持った研究者が集うことによって,既存の学問にはない新たな知が創出できるのではないかと考えたのである。

 しかしながら,実際には,多様なテーマの専門家が集まったことによって必ずしも建設的なコラボレーションが行われているわけではない。むしろ,基礎と応用(臨床),理論と実践,あるいは量的と質的といった方法論間の対立といったことに代表されるように,異質性をきっかけとした不毛な信念対立に陥っている側面がある。

 この理由はいろいろ考えられるであろうが,特に総合領域特有の困難さを指摘することができる。それぞれの学問はディシプリン(学範)といわれる特有のルールや文化の上に成り立っている。つまり,それぞれの学問が関心や前提から異なっているのである。しかし,それに気づかないために,結果的に自分の依拠する立場を絶対的に正しいものとして,的はずれな批判を行ってしまい,それをきっかけとして議論が紛糾し,物別れに終わってしまうといったことがある。

 これは異文化の人々が集まったときに,お互いが自分の文化が正しいものと考えてしまうことにより議論が紛糾する事態と類似しているといえよう。建前はどうあれ,現実にはこうしたことが日常的に起こっているのである。

 こうしたことからも大学をはじめとして人間科学を標榜する組織はたくさんあるが,その総合性はほとんど活かせていないといっても過言ではないのである。

従来の「人間科学」本

 組織レベルでは人間科学の総合性は活かすことができなかった。それでは著書レベルではどうだろうか? 当然のことながら,本書が公刊される以前にも,従来の「人間科学」を題名に掲げる本は数多く出版されている。そして一見すると多様な専門領域の研究者が集まった編著は多く編まれているため,人間科学の総合性は体現されているように思える。しかしながら,それらのほとんどは,様々な論考を寄せ集めた「束論」の域を出るものではなかったように思われる。
 もちろんそれはそれで意味があるのだが,各執筆者が,それぞれの専門領域の研究を紹介する論考を--それがいかに当該分野で最先端のものであっても--いくら集めて「束」にしてみても,それは総合的な人間科学の実践と呼ぶことはできないであろう。むしろ,個別の研究が最先端なものであればあるほど,具体的,かつ専門テーマに特化した議論に終始することにもなりかねない。

 つまり,具体的であればあるほど,他の領域では使えないといったように,有用性が限定されてしまう面もあるのだ。具体個別の研究を紹介するだけでは,極めて限定された当該領域の研究者にとって意味のあるものであったとしても,異なるテーマを専門とする人々にとっては,有益な知見にはなりにくい。

 それでは専門領域の数を増やせばそれで良いかといえば,そうではないだろう。専門テーマといった「部分」をいくら増やしたとしても,それは無限といって良いほど存在しており,今後も増え続けていくため,いくら各論を増やしても,それを束ねただけであったならば,部分の集合体以上の新たな「知」にはならないからである。

 人間科学は,具体的であるべきだという議論もあり,それも一つの方向性としてありうるだろう。そして,もちろん,何らかの形で「具体性」に立脚せずに議論を進められるものではない。それゆえ本書でも,具体性の次元はそれぞれ異なっているが,具体的な題材を扱いつつ各論考が進められることだろう。具体的であればあるほど,その領域に慣れ親しんでいる人にとってはイメージしやすくなるため理解が容易になり,また問題を共有している人にとっては参考しやすくなるといったメリットがある。したがって,ここでは,あくまで具体性を否定しているではなく,個別の具体的研究を紹介することに終始してしまうことの限界を指摘しているのである。

 それゆえ,具体的な専門領域の具体的な研究に特化した議論を「束」にするといった,従来型の編纂方法を超える,新たな方法を考える必要がある。そしておそらくこうした問題意識からであろう,いくつかの「人間科学本」には,複数の研究者による議論や対談,鼎談といった内容が含まれるものも散見される。こうした工夫をすること自体,とてもすばらしい試みだとは思うのだが,残念ながら,多くの場合,いろいろな意見は提示されていても,その相互作用によって新たな知が生まれることはあまりなかったように思われる。また,各論考にコメントを付けたりといった工夫を行っているものもあるが,主に質問や疑問を提起するタイプのコメントとなっており,論考を踏まえて,新たな考えを生み出すようなものにはなっていない。

 本書において,異なる専門家の相互作用により,新たな知を生み出し,そのダイナミズムを伝えられるような構成にするためには,どうしたらよいか。我々は,編者会議を開き,そこで忌憚なくそれぞれの意見を出し合い,議論を重ねることを通して,次のような構成にすることとした。

本書の構成

 本書では,「理論」「方法」「実践」といった人間科学に通底すると考えられる3つを暫定的な基軸としつつ,またそれらの「間」をそれぞれ3つ設定し,それらの関係(つながり)に焦点化して論じるという構成にした(表紙参照)。これによって,領域やテーマを超えた,人間科学のあり方について論考を重ね,人間科学の目指す「全体性」を実現する筋道を確保することを試みたのである。
 
 また,それぞれの研究者間のコラボレーションにより,新たな知を本書の中で創出するといった「総合性」を体現するために,本書は,各章に関してピアコメントとそれへのリプライを行うこととした。異領域の研究者間のコラボレーションによる新たな知の創発を体現することを目指すため,そのコメントは,各論考の内容を,自分のテーマや関心に引きつけて建設的に何かを生み出すようなものにするとした。そして,それに対してリプライも行うこととした。それは文字とおり「相互コメント」という形にした。それによって公平性を担保すると同時に,より緊張感あるやりとりを実現できようにするためである。またこれまでの経験上,関心や営みが離れ過ぎていると建設的コラボレーションが難しい部分があるように感じていたこともあり,相互コメントの相手は,隣接するセクションの人と組むようにした。

 そして最終章では,それら全体を踏まえた包括的論考を置くことにより,これら6つのセクションの各論考をリソースとしてさらなる創発知が生まれることを企図した。

 これまでも,これらの6つのテーマそれぞれについて書かれた本はたくさんある。しかし本書のように,これら全体を包括的に扱った人間科学の本は,我々の知る限りないように思う。それゆえ,学術的なオリジナリティという観点からも,こうした方針で本書を編纂し,世に問う意義はあると思われた。

 本書は,以上のような独自のモチーフにもとづき,編まれたものである。当然のことながらその成否は読者にゆだねる他ないのだが,テーマを異にする研究者間のコラボレーションによる躍動感や緊張感,新たな知が生まれようとしているワクワク感を伝えることができればとたいへん嬉しい。

著者を代表して 西條剛央



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