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西條剛央のブログ:構造構成主義

◆『科学の剣 哲学の魔法』

『科学の剣 哲学の魔法 ―構造主義科学論から構造構成主義への継承』池田清彦・西條剛央著





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 構造主義生物学から構造主義科学論を体系化した天才理論生物学者,池田清彦。

 構造主義科学論を継承発展させ構造構成主義を体系化した新進気鋭の心理学者,西條剛央。

 二人のメタ理論創造者が織りなす,創造的対話。メタ理論体系化に至る経緯や,理論創りのコツ,本の書き方の隠されたノウハウなどを惜しみなく語るユーモア溢れる対談本。
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はじめに   池田清彦

 二〇〇五年の三月(27日~29日:於神戸国際会議場)に発達心理学会が開催され、西條さん主催のシンポジウムで喋ることになった。学会にはいくつも入っているのだけれども、大会には滅多に行かないし、発表することもないので、こういう形で話をするのは久しぶりである。といっても時々頼まれる講演や大学での講義と話す形式にさして変わりはない。パワーポイントなんていう便利な道具は使う能力がないので、要するにただ喋るだけである。それで、この学会で何を喋ったかは忘れてしまった。

 三日続きの学会の中日が空いていたので、西條さんと対談して本を作ることになった。対談の中身をすっかり忘れた頃、テープを起こした原稿が届いた。読んでみると、その時の雰囲気が割とよく出ていて、我ながらなかなか面白い。与太話の中に原理的な話がはさまっていて、その落差が結構笑える。

 一九八〇年代の半ばから、私は、柴谷篤弘と共に構造主義生物学という、生物学の枠組みを変えようとの運動をはじめた。日本の分子生物学の草分けの柴谷先生はともかくとして、私は当時まだ駆け出しの青二才でエラソウなことを言うものだから、生物学プロパーの連中からは胡散臭い奴だと思われたことは間違いない。私が真面目な学者だったら、学会に出ていって自説を主張し同志を増やそうとしたかもしれないが、あいにく私は不真面目でおまけにものぐさで、さらには傲慢で不遜だったので、アホの相手をしている暇はないとばかりに、学会には全く行かずに、ただひたすら理論書を書いた。それは生物学の固有領域を逸脱し、科学論にまで拡がっていった。

 一九八八年から九二年にかけて『構造主義生物学とは何か』『構造主義と進化論』(共に海鳴社)、『構造主義科学論の冒険』(毎日新聞社)、『分類という思想』(新潮社)の四冊の理論書と、ネオダーウィニズムをボロクソに貶したエッセイ集『昆虫のパンセ』(青土社)を出版し、気分は爽快であった。日本の関係学界の主流は当然、私の理論を無視したが、私は別に気にしなかった。私は学会を牛耳るつもりもなければ、エラくなるつもりもなかった。何よりもステキだったのは私の研究(理論構築)にはお金が全くかからなかったことだ。科研費などビタ一文もらえなくとも全く困らなかった。これを世間では無敵という。

 しかし、無敵であろうとなかろうと、誰も理解してくれなければ、アッチの人と同じだから、何を書いても社会的には無力である。本は全く売れなかったわけではなかったので、もしかしたら理解してくれる人がいるのかもしれない、と思ってはみたものの、西條さんが現われるまで、私の理論をほぼ完全に理解していると思える人は、柴谷先生を除いては私の知る限りいなかった。

 西條さんは私を発見してびっくりしたかもしれないが、だから、私もまた西條さんの存在を知ってびっくりしたのである。著書がベストセラーになるのももちろんうれしいし、賞を頂くのも名誉なことではある(この二つのいずれにも今のところ私は無縁である)。負け惜しみを言っているわけではないが、しかし、理論家として一番うれしいのは自分の理論を継承し発展させてくれる後継者をもつことである。そうでなければ、理論は歴史に残らない。

 そういうわけで、この対談は私にとっても楽しいものであった。中身は読んでいただくしかないが、構造主義科学論や構造構成主義の原理的な話ばかりではなく、理論を作るコツや本の読み方といった、普通は他人には言わないような具体的な話も沢山出てきて、これらか研究者になろうとする若い人の参考に少しはなるかもしれない。もっとも、こんなヘンな対談を読んだばかりに、まともな研究者になり損なう人も出てくるかもしれないが、その場合は、運が悪かったと思ってあきらめてもらう他はない。

  二〇〇六年二月


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