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西條剛央のブログ:構造構成主義

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西條剛央

西條剛央

2006/04/22
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カテゴリ:哲学
先日の日記の続きである。

竹田青嗣先生の授業に潜らせていただくことになった。

基礎演習だが満席である。

じゃまにならないように一番後ろの席に着く。

いきなり先週からの課題だったらしいレポート作成課題が出た。

『自分を知るための哲学入門』を読んで,講読範囲の中から任意のテーマを自分で選んで「タイトル」をつけ,自由に論ぜよ(35分)。

読んだことがある本だったこともあったため,自分の考えをまとめるよい機会だと思ったのでその場でパソコンで書いてみた。

読み返してみると終わり方が無難でいかにも「レポートらしい」感じがして笑えた。

それにして,レポートを書くのなんていつぶりだろう。

修士課程の頃以来だから,5,6年ぶりか。

ちょうど昨日「哲学とは何か?」という内容の講義ノートを作っていたところだったこともあり,ちょうどいい機会になった。

関心のあるテーマであれば,レポートを書くこともなかなか楽しい。

その後演習の班ぎめなどをやっていて,竹田先生がみんなの名前や班や性別を間違える者だから,みんな大ウケしていて,やたら盛り上がっていた。

そうこうしているうちに時間は過ぎ,最後の25分ぐらいで今日の講義が行われた。

「哲学の誕生」というテーマ。
以下ノート代わりにとったものを掲載しておきます。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
竹田青嗣講義「哲学の誕生」

 現在は「哲学なんか無駄に難解なだけで役に立たない」という「反哲学」というべき流れの中にある。その一つが近代実証主義のオーギュスト・コントということができる。その後マルクスの「哲学は世界の解釈であり,大事なことは世界を変えることだ」という有名な台詞も反哲学の一つとして挙げることができよう。

 しかし,こうした「反哲学」の考え方は,哲学に対する誤解に基づくものである。また哲学には答えがないという考えるひともいるが,竹田はそうは考えない。つまり哲学には答えがあるのである。

 また哲学は役に立たないように思うかも知れないが,近代社会,市民社会の設計を哲学者がやったということを忘れてはならない。もうひとつ,近代における人間とは何かという人間観も哲学者が打ち立ててきたことも指摘できる。

 哲学的な理路は少しずつ進んできたし,それは一度原理的に進展すればその前のステージには戻ることはない。そして,それぞれみんなは専門とする学問領域が異なっていても,ヨーロッパ近代哲学を学ぶと,流行に惑わされず,深く強く考えることができるようになるということを言っておきたい。
 では哲学の方法とはどういうものか?
 ふつうの人は,山にこもったオタクのようなおじいさんが,悟りに至り,難しい言葉で書くという印象を持っている人もいるかもしれない。竹田がそうだったから。

 しかし,これが誤解である。哲学にはちゃんとした「方法」がある。それを一度理解できれば哲学の基本はよくわかるようになる。哲学のポイントは一度理解できれば使えるようになる。

 では,そのポイントとは何か?

 ふつうは物事を考えるときに,直感したものを補強するように進めていく。しかし哲学とはそのような「信念補強的な考え方」をとらない。哲学とは「信念検証的な考え方」をする。つまり,なぜ自分はこのように考えるのだろう,なぜ相手はそう考えるのだろう,というように反省的に考える。

 ある考えを補強していく「信念補強的な考え方」をとるかぎり,世界に並立する多様な考え方が存在することを普遍的に言い当てる原理をいうことはできない。だからこそ,なぜそのような事態に陥るのかを考える必要があるのである。
 哲学の基本3ルールは次の3つである。
1)物語の禁止と概念の使用
2)原理の提出
3)再始発
 これは単純にみえるが深いのである。このことについて説明する前にまず哲学と宗教について述べる。哲学的問い「なぜ人間は生きて苦しむのだろうか。なぜ人間は死ななければならないのか。なぜ私は私でほかの人ではないのだろうか。なぜ世界は存在していっさいが無ではないのだろうか。世界はどのようにできているのだろうか」ということが挙げられる。

 こうした考えが太古の昔からあったことは,宗教の存在から確認することができる。アダムとイブの話がその代表ということができる。この話の中に上記のような問いの答えが書いてある。そしてだいたいの宗教の物語には,上記のような世界の意味が含まれている。ある意味で答えられていると言える。

 哲学はその後に出てくる。ギリシャ哲学の開祖は万物の原理は水であるといった。その弟子のアナクシマンドロスは「無限なるもの」(その最小単位にいろんなものが入っているため多様な世界を説明できるようになる)であるといった。その弟子のアナクシメネスは空気・気息であるとした。ヘラクレイトスは火である。ピュタゴラスは数だといった。

 (万物の)原理を提出して考えると,宗教などを超えて,考えることができるようになる。
 言語ゲームとしての宗教は賢い人の考えを信じることによって,うまく社会をまわしていく。教祖と信者という確固とした関係がある。そこでの判定者はその宗教の権威である。

 哲学は,概念を提起するため,宗教や文化を超えることができるようになる。哲学は師と弟子の関係にある。そこでは師のいっていることは妥当な者だが,こうした概念,原理を出した方が,いろいろなことを説明するのによりよいのではないかというように,フェアな言語ゲームを行うことになる。その場合判定者は一般の人ということになる。

 最後に世界説明には3つのタイプがあることを指摘しておこう。それは「物語」「解釈」「哲学」の3つである。その中の哲学とは,概念を使用し,原理を提出し,おかしいことができてたら根本からもう一度やりなおす(再出発)というものである。そして,これが科学にもつながってくる。次回は哲学と科学の関係について説明する。

To be continued
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

研究室でレジュメをみておもしろそうだったからお願いして潜らせていただいたのだが,ちょうど僕も来週「哲学とは何か」について講義をしようと思っていたので,とても勉強になった。

こんな中身の濃い授業を受けることができる学生は本当に幸せ者である。きっと哲学の意味やおもしろさがわかるんじゃないかな。

そして,その授業に潜らせてもらえる僕も幸せ者だ。内容は本で一度読んだことがある気もするものではあるが,やはり口頭だとよりわかりやすいし,よい復習にもなり,そして新たな発見もある。

最近は講義をする立場になってきたが,たまには「学生の視点」から「授業」をみてみることで,いろいろ発見もあって,いとおかし。





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Last updated  2006/05/13 12:23:15 AM


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