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西條剛央のブログ:構造構成主義

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西條剛央

西條剛央

2006/06/07
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カテゴリ:雑感
最近論文を書いている。

数年前に発案執筆して,訳あって置き去りにされてきた論文たちだ。


書いていて一つ気付いたことがある。

あるときは論文書くの愉しいなと思い,あるときはめんどくさいなと思い,また次の瞬間はやっぱり愉しいなと思っている自分がいることに。


めんどくさいときもある。

もうこの論文から解放されたいと思うこともある。

でも,基本的には論文書くのは好きみたいだ。

知らないことを知るのも好きだ。だから本を読むのも愉しい。

知的にチャレンジングなことをするのも好きだ。

当該領域で専門家がよってたかって取り組み,未だ解決できていない難問を,新たな解き方を発案して論文を書くことはやりがいがある。

少しずつ自分の考えがまとまってくることそれ自体も愉しい。


でもそうじゃないときもある。

とはいえ,他の雑用や事務処理をしているときには「ああ,論文執筆できたらどんなに愉しいだろうか」と思っているから,やっぱり好きなんだと思う。

つまり,割合の問題だってことだね。

考えてみると100%好きかどうかっていう考え方は,ある意味客観主義的なのかもしれない。

人間はそんな風にはできてない。

90%は好きなんだけど,10%は嫌になるときがある。

でも90%好きっていうことは相当好きだということだ。

80%でもそうだろう。


好きな人や好きなことで生活や人生の90%が構成されていたら,それは“幸せ”という他ない。

それ以上の幸せはたぶんない。

10%は塩か胡椒,唐辛子,タバスコみたいなもので,好きなことを引き立たせるスパイスであり薬味みたいなものだからだ


しかし,90%がスパイスと薬味でできている人生はつらいというほかない。



何がいいたいか?



程度の問題。


その程度が大事ってことです。


そう思ったんです。





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Last updated  2006/07/04 05:40:47 PM
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