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西條剛央のブログ:構造構成主義

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西條剛央

西條剛央

2006/07/08
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カテゴリ:雑感
兄の結婚式だった。

結婚式の司会を頼まれており,前日打ち合わせのため,お嫁さんと初めてあったのだがよい感じの人でよかった。兄ととても合っているなと感じた。


そんなこんなで結婚式(司会)はなんとか無事終えることができた。

結婚式での兄は今まででもっともかっこ良かった。

タキシードに知的な眼鏡をかけて,若手起業家のようであった。

普段はあまり飾らないタイプであるため,こんなにかっこ良いとは知らなかった。

能ある鷹は爪を隠していたのだろう。


挨拶などのスピーチもかっこよかった。

普段は講義をやったりしているので多くの人の前で話すのは慣れているだろうとは思ってはいたが,想像以上であった。

ときにゆっくりと,気持ちを込めて,伝えていた。

さすが兄だなあと思った。



僕が東京にでてから12年目になるが,その間僕らはお互いの成長を目の当たりにすることなかったため,その姿はまぶしかった。

思えば兄はぼくの幼少期に最も影響を与えた人物の一人であり,また最良の友達でもあった。

兄とぼくは1つしか離れていなかったためいつも一緒に遊んでいた。

ときに,崖の途中にあるほこらを基地として遊び,工事現場の山で遊び,だだっぴろい野原をかけまわってバッタをとりまくった。父に海に連れて行ってもらっては,無人島で泳いだり,釣りをした。山に連れて行ってもらっては,キノコをとったり,山菜をとったりしていた。

おそらく一緒に遊んだ時間が最も長いのは兄だろう。


また良きケンカ相手でもあった。

小学校時代はケンカが絶えることはなく,しょっちゅう取っ組み合いのケンカをしていた。

上級生ともケンカしていた僕と違い,兄は温厚であったが,強かった。

僕はパンチ派だったが,兄はキックが強かった。



プライドとか格闘技が流行りだしてから,それを「マウントポジション」と呼ぶことを知ったが,僕らは日々のケンカを通じて一対一ならば相手に馬乗りになることが最強だってことはすでにその時点で知っていた。

一度相手に馬乗りになったら圧倒的に有利でそう簡単にはこの状況はひっくり返すことができないのだ。

そのためケンカはほぼ互角で勝ったり負けたりしていた(どちらにしてもケンカ両成敗ということで親にゴチンとやられるのだが)。


よく言われるように,兄とのケンカを通して,ケンカの「作法」を知ったように思う。

お互いクリティカルヒットして相手が鼻血を出したりしたら,「あ,やりすぎたな」と思って,それ以上追撃するようなことはなかった。本気でケンカしていても,手加減というか,頃合いというか,そういう微妙な何かを学んでいたから,やりすぎることはなかった。



兄はしっかり者である。

僕はおっちょこちょいで,崖から落ちて気を失ったり,海で溺れかけたりして,怪我が絶えなかったが,兄はめったに怪我をしなかった。

記憶にあるのは二つだけで,一つは手を出したらダメだよと言われていたのに手を出してウサギに激しく噛まれたこと,もう一つは山でスズメバチの巣に遭遇して刺されたことぐらいである。

僕は自分より怪我した人に出会ったことがないというほど怪我の多いひとなので,それと比べるときわめて少ない。ましてや,崖や山など危ないところで遊んでいたことを勘案すると,これだけ怪我が少ないのは奇跡的なことともいえる。

また,僕はどちらかといえば浪費家で,つい最近まで「貯金」という概念を知らなかったほどだが,兄は小学校の頃から無駄遣いはいっさいせず,しっかり貯金をしていくタイプであった。



兄は長男という自覚を強くもっていたように思う。

僕らが小学校に入ってから二人の妹が生まれた。

兄と一番下の妹は10歳離れている。

僕は小学校までは末っ子であり,その後二人の妹の兄になった。

だから僕のメンタリティは,末っ子や次男坊という側面と,兄という側面の両面をもっているように思う。

しかし,兄は生まれてこのかたずっと長男であった。

だから,長兄としてのメンタリティは,同じ兄でも僕とは比較にならない質のものなのだろう。



兄が実家にいる限り,僕は何の心配もする必要がなかった。

だから僕は躊躇もなく東京にでてくることができた。


兄は大学を卒業すると,突然消防士になると言い出した。

僕は「死体を運ぶことになるんだよ」といってみたが,兄の意思は硬かった。

そしてたいした勉強もせず,さらっと受かってしまった。

兄が公務員になったということで,僕は不安定な研究の道を選ぶことに躊躇はなかった。


振り返ってみると,兄は僕に何らかのアドバイスをしたりすることはなかったが,兄はそれ以前に僕という存在の「前提」となっていたことがわかる。

上京することや,大学院への進学といった道を選択する際の「前提」として兄があったのだ。


兄には改めて感謝しなければならない。



兄以上に「幸せな家庭を築く」という点で適正のある人を僕は知らない。


これからも頼れる兄として居続けてくれることだろう。





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Last updated  2006/07/22 09:19:59 PM
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