西條剛央のブログ:構造構成主義

2007/05/29(火)04:13

たばこ論の要点

医療・看護(11)

たばこは体に悪いという報道だけ流れているが、体に良いというエビデンスもある(がそういう報道は流れない)。 体に悪いことはあっても、心によいこともあるだろうし、そもそも心と体が一つならばそれは体に良いということもでもある。個人差も大きい。実際その人の体に悪く、たばこ吸って幾分か早死にしたとしても、それは高齢化社会の問題を減らすことに貢献するだけだ。禁煙推進者も喫煙者が次々と減っていくのだから別に困るようなことでもないだろう(大切な人には死なれたくないと思うのは人情だろうけど)。 しかし、たばこの論点は体に良いか悪いかという話ではない、と考えている。この際、体に良かろうが悪かろうがどうでもよろしい。 第一,親しい人ならいざしらず「あなたのためを思って」という語法は、気持ちが悪い。 僕が喫煙者なら「私のためを思っているなら黙って吸わせてください」と言うだろう(僕は吸わないが)。 問題は吸いたくもない煙を吸わされる人がいる、ということにある。 ビールを飲むのは個人の自由だ。しかし、そのビールをびちゃびちゃとかけられたらたまらない。体に良いかどうかは関係ない。それと同じことだ。 「自分が煙が嫌いだからやめてください」が素直でよいと思う。 ちなみに、僕は友達が吸う場合には、タバコを吸う友達と話したい、という気持ちの方が勝っている限り問題なし。 ただ、タバコを吸う人と積極的に話したい、と思うことはないけども、やはり相手による。 「体に悪いから全面禁煙!」となるのはおかしいと思うが、しかしそうされる理由もあると思う。それは吸いたくもないものを吸わされてきた多くの人のルサンチマン(怨念)がそうさせるのだろう。 今日も混んでいる商店街の中を歩きながら吸っているひとがいた。そういう輩が少数でもいる限り、全面禁煙の流れを止めることはできないだろう。そのうちタバコ全面禁止になるかもしれない。 しかし、それでストレスが増大する人もいるだろうから、QOLの観点から考えると全面禁止もどうかと思う。 たばこ問題の要点は、煙問題なのだ。 シンプルな解決案は「分煙の徹底」だが,これは実際問題なかなか難しいと思う。 僕の所属している某大学では全館禁煙のようで,喫煙場所は外にある。冬などとても寒そうでちょっとかわいそうだ。 もっともそこにいるひとの顔は明るく,同胞意識から自然と仲良くなるみたいだけど。 また大きなお店などでは「分煙の徹底」が可能かもしれないが,小さな店では難しい。ラーメン屋などほぼ無法地帯だ(しかし,ラーメン屋は基本的にそういう場所なのであまり文句を言う人はいないし,僕もそういうものだと思って入る)。 以前,赤ちゃんだった姪を連れて妹とご飯を食べに行ったときには、煙はほんと嫌だなあと思った。自分はいいけども赤ちゃんに吸わせることになるのはあまりに忍びない。 じゃあどうすればいいのか? 結局煙は吹き出したいんだろうから,だったら、顔のところに煙吸引装置でも付けて吸えばいいんじゃないかと思う。 そういう商品ないのかな。

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