西條剛央のブログ:構造構成主義

2007/05/29(火)05:36

選挙カー撲滅運動

政治・経済(16)

僕は選挙が好きではない。選挙なんかない方が良いといいたいわけではない。そうじゃなくて、正確にいうと「選挙カー」とそれを巡る選挙活動を聞いたり、見たりするのが嫌いなのだ。 まず、聞きたくもない台詞を人の部屋の中に放り込むのは迷惑行為だと僕は思う(マイナス票を入れられるシステムなら僕はうるさいやつにいれたい)。 うるさい、しつこいのもいやなのだが、またその台詞がいやらしい。 「○○○○をよろしくお願いします。精一杯がんばります」 ぐらいならまだいい。 誰も声援してないのに、 「あ、ご声援ありがとうございます!こちらさまも高々とお手を挙げてのご声援まことにありがとうございます!せいっぱいがんばってまります!」 とか、ひとり芝居してやがるのがいかにも醜い。 いや、政治家なんだから嘘も方便、嘘ついたっていいよ。けどね、そんな子どもでもわかるような嘘をついてるようじゃ、政治家にはむかないと僕は思う。 あとね、選挙カー同士がすれ違ったときに、「○○候補のご健闘をお祈りしております」「ありがとうございます。××候補のご健闘もお祈りしております」なんていっちゃっているのをみると、ふーん、と思いつつ、ちょっと茶番をみせられているような気がするのは、僕がひねくれてるからだろうか。 高校野球とかの応援団が試合が終わった後にお互いの健闘を讃えたりするのはすがすがしくていいと思う。一つは試合が終わった後だってことと、それから試合というのは結果も大事だけど、熱戦という言い方があるようにゲームのプロセスも大事だから、お互いが力を出し尽くした試合というのは、それだけで価値があると思うから。 けど、結果を求める選挙で、ライバルの健闘を讃えるってのはどうなんだろう。しかも、お金とか、あらゆる政治的手段を使って結果を出そうとしているかもしれない人達が、そういうことをいっちゃうのをみせられると片腹痛くなる(そばでみていて恥ずかしくなる様子)。 もっとも、黙って通り過ぎて、周囲に妙な緊張感を漂わせたりするのも大人のすることじゃないとは思うけど、お互いにぺこりぐらいでいいんじゃないかと僕なんかは思ってしまう。 僕は自転車に乗って声をからして走っている人の方が好感をもつ。 選挙カーでも本人以外の人がしゃべっていることがあるのだから、もしかしたら好感をもてる美男美女を50人ぐらい集めて自転車に候補者のたすきをかけさせて、自転車で走らせた方が選挙カーより効果があるかもしれない、などと思ったり。 ドイツなどでは選挙カーなんかないらしい。「そんなことやったら落ちるよ」と誰かが言っていた。 そりゃそうだ。自分が投票する側だったとき、どう思っていたか考えてみればいいのに。耳にきーんとくるほど声をはりあげている選挙カーが近くを通ったときに、「ああ、がんばってるから一票入れてあげよう」などと思うだろうかと。 街頭で関心があるひとが聞きに来る場でマイクを使うのはわかるけど、選挙カーは公害だと思う。 おそらく他の候補者がみんなやっているから、ということ以上の理由もなく、ちょっとした想像力もふくらませればやるはずのない選挙カー合戦をやっているのだろう。愚かなことだと、僕は思う。 たぶん、20年ぐらい経った後には、「20年前は、選挙カーに乗ってすごい大きな声で、よろしくお願いします、って声張り上げていたんだぜ」といった笑いぐさになっているに違いない。いや、願わくば10年後にはそのぐらいのレベルになっていて欲しいと思う。

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