2007/07/31(火)17:00
前豆腐と精神物理学
スーパーにいったら、いつも買っている3パックセットで120円ぐらいの豆腐、「絹美人」が売り切れていた。 これは安いがけっこううまい、豆腐は全般的にレベルがあがっているのは間違いない。
仕方がないので、「男前豆腐」というヤツを買ってきた。
1個200円近くするので割高だ(といっても外食するよりずっと安いけど)が、これは、美味いという噂を聞いたことがあるから買ってみた。
で、ビールのつまみに食べてみることにした。全部いっぺんに食べると多すぎるかもと思って、二つに切る。
が、切れない。中身は切れるのだが、それを包んでいる部分、まんじゅうでいえば皮の部分がどうにも切れない。男前だから、そういうこともあるかと思うのだが、包丁でぐりぐりやってもまったく切れない。
ぐむむ、男前豆腐って、どんだけ男前なんだよ!
ということで、しょうがないから、そのままテーブルへ持って行くことにした。
で、よくみると、切れなかったのは、豆腐を包んでいる布のようなものだった(念のためにかみついてみたら布の味がした)。
そりゃそうか。包丁でも切れない豆腐などもはや豆腐ではない。とうか、そんなもの噛み切れないだろ。
まこと人間の(というより僕の)思いこみというのは、おそろしいものである。
「豆腐のパックの中には豆腐しか入っていない」という前提があったために、「包丁でも切れない豆腐」という事象が生起してしまったのである。
さて、心理学は、物理学をモデルとして、心を科学するべく誕生した。
その結果、精神物理学なる領域が生まれた。
誰も触ったことのない心を、モノと同じように扱おうとしたわけである。
「おっかしいなあ、この豆腐(心)、包丁でも切れないや(統計で有意差出ないや)」
「それ豆腐(心)じゃないかもよ。」
「あ、ほんとだ」
おわり。