西條剛央のブログ:構造構成主義

2009/05/31(日)19:04

WBC雑感(3月19日)

スポーツ(44)

WBCたまに観ている。 まず、多くの人が思うであろうけども、韓国と対戦しすぎ。 中国-韓国-韓国-キューバ-韓国-キューバ-韓国。 なんかおかしい、というのは中学生でもわかる。 なんでこの時点で、オリンピック金メダルの韓国と4度、銀メダルキューバと2度対戦しているのか。 システムが間違っているのはあきらかだ。アメリカがこの組にいたらまず勝ち抜けないだろう。 * 先日、日本が韓国に敗退した後、韓国は神聖な?マウンドに自国の旗を立てた。 前回もそれを屈辱と受け取った日本が、それをバネに優勝した、といってもよいと思う。 かくいう僕もそれをみていて、くっそー絶対韓国にだけには負けるな!、リベンジするためにもキューバには勝ってくれ!という気持ちになった。 そんな自分をみて(メタ的にみて)、やっぱり愛国心みたいなものはもっているんだなあと思う。普段は意識することはないけども、こういうことをされるとそれが顕在化するものだ。過剰なナショナリズムはこうして生まれるのだろう。 おもしろいもので、屈辱的に本当に悔しいと思ったとき、人間はリミッターが解除されるように力を発揮する。 孫悟空もクリリンを殺された怒りで、スーパーサイヤ人になったが、人間も悔しさというのは、すごいエネルギーになるのだと思う。だから屈辱的なことをされて、怒ったり、悔しいと思う気持ちは、あながち悪いものとも言い切れない。それはすごいエネルギーになったりもするのだ(毒にもなるので恒常的にそういう状態であるのは良いことはないだろうが)。 そんなことしたらくっそーと思ってさらにがんばるだけで、相手にエネルギーを与えているようなものだ。 僕が監督ならば、相手のリミッターを解除するような言動はしないように選手に言うと思う。そんな相手の潜在能力を引き出すようなことをするのは、勝つという目的と照らして、あまりに妥当な方法ではないからだ(むしろ逆のベクトルだろう)。 もっとも、そういう感情的な対立やライバル関係があると、おもしろくなるのも事実だから、野球という営みをメタレベルからみれば、妥当な方法なのかもね(それを意識的にやっているのがアメリカのプロレス(名前忘れた)だろう)。 * 前回のWBCの決勝は、池田先生、京極君、上田さんとの4人で『構造構成主義の展開 21世紀の思想のあり方(現代のエスプリ)』の鼎談をするために、学会の中日に九州の温泉旅館にきていたときにあった。 みんなでみて勝利を喜んだのを覚えている。 とはいえゲームはゲームだ。 それを忘れて韓国非難するような日本人は、韓国に生まれていたらゲームであることを忘れて日本を非難する韓国人になっているに違いない(逆もまた真なり) 。 先日、イラクのサッカー選手がシュートを打とうとして、銃で撃たれたというニュースがやっていたけども、これは「サッカーはゲームである」という認識が無くなってしまった結果だろう。 そんなバカなことは自分はしない、と思ってしまいがちだが、そうだろうか。 この業界でも、持論に反する主張をいうひとを政治的に潰したり、発言させないようにしたりするひとは、珍しい話ではない。 そういう人は、研究もある種のルールに基づくゲームだということを知らないか、あるいは熱中しているうちにゲームだということを忘れてしまっているのだろう。こういう人は、選手(研究者)を撃ち殺す人と同じことをやっているのだと思う。 ゲームは、サポーターや対戦相手、ライバルなど全部揃って盛り上がるのだ。 対戦相手がいなくなったらゲームは成立しない。ライバルがいなければ盛り上がらない。 研究も同じだろう。 また「この領域の研究はできる限り自分で終わらせてしまいたい」と思う人もいるだろうが、それは言語ゲームを成立させなくする条件を整えることに他ならない。 継承に値するものがあり、誤解を与える余地があり、反論する余地があり、多くの人が参加する余地がある方が、ゲームは盛り上がる。 しかし、そのことは、熱心に研究をしていると忘れがちだ(僕もそうだ)。 だからそういう感度をどこかでもちながら、一生懸命がんばるのがよいだろう。 ともあれ、明日の韓国戦。ぜひとも勝って欲しい。でも9時ぐらいにはじまるらしいから、起きれるかな(その程度の愛国心なのだが案外これぐらいがちょうどよいのかもしれない)。

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