西條剛央のブログ:構造構成主義

2010/09/03(金)11:47

国のトップは国民の意識の鏡

政治・経済(16)

テレビをつけると次期首相の座を巡る醜い権力闘争が飛び込んでくる。 二人とも人相悪すぎて,映像が汚い。げんなりする。 こういう顔のひとたちが国のトップを争っていることが悲しい。 オバマさんみたいないひと現れないかな。 でも,日本/国民/世論(日本社会)はまだそういう段階なのだろう。 戦争状態の国のトップは軍人的な人がなるだろうし,政治ゲームに溺れている国のトップは日本のようになる。 もし,権力や腕力ではなく,人々が知性と愛を重んじることで運営していけるような世の中であれば,知性と愛を兼ね備えていることは最低限の「条件」となるため,ああいう人がのさばる余地はなくなるはずだ。愛で溢れた国があれば,愛と知性を兼ね備えた人がトップになるだろう。 じゃあどうすればよいのか? 損得や利害関係ではなく,知性と愛といった観点を重視する人が増えればおのずと世論,世間,社会,政治の質も変わっていくだろう。 損得や経済的な利害関係を中心に動いているうちは,そういうパワーをもつ怪物に振り回されることになる。当たり前のことだ。そしてそれが今の日本の現状だ。 「そうはいっても,権力や力がなければ,どうしようもないだろう」という意見もあろう。 その通り。しかし,人を殺さないということが現段階で最低限の条件になっているように,愛と知性を兼ね備えていることが最低限の条件になれば,おのずとそれらを前提に世の中は動くようになる。 だから価値観や考え方を変えること。遠回りのようだけど,おそらくこれが最も近道だ。権力や政治力といったパワーゲームで支配されている世の中は,(アミにいわせれば)まだまだ「野蛮」な段階なのだ。 愛と知性と畏敬の念によって自己組織的に動く世の中になったら,今の何倍も幸せな世の中になるはずだ。 尊敬している人のためなら,自然に何かをしたいと思えるはずだ。そういう気持ちを中心に動く社会は健全な社会といってよいと思う。パワーや権力,すなわち「恐怖」で人を動かすのは社会は不幸な社会だ。 今,テレビを子ども達にみせて, 「ほらみてごらん,このひとたちが日本の首相,リーダーなんだよ,とっても良い顔しているでしょ。」 と言える親はいるだろうか? 僕は一人もいないと思う。 ーーー 親「権力とか利益とか,本質的じゃないものを追い求めて生きるとこういう顔になってしまうんだよ。目の奥をみてごらん,笑ってないでしょ」 子ども「うん,すごい怖い顔してるね・・・・戦隊モノのボスより怖いよ」 親「水戸黄門に出てくる悪代官だって精一杯メイクしてあの程度の悪顔だからね(笑)。だから人を思いやる気持ちを忘れずに,知識の量ではなく,ほんとうの知性を身につけていくことが大切なんだよ。その上で大切な人を守る力を身につけていく必要があるんだ。そういうことを学ぶ場が学校なんだよ。池田清彦先生をみてごらん七福神のような良い顔してるでしょ」 子ども「うん,優しい顔しているね」 親「とっても頭が良いのに,一番大切な優しさも忘れないで,世の中のためを本気で考えて志し高く生きていると,ああいういい顔になるんだよ」 子ども「ぼくもああいうおじいちゃんになりたいな」 ーーー 今の状況を反面教師にして,こんなやりとりが増えていったら世の中変わっていくかもしれない。

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